「大丈夫です……。もう、帰りますし」
気まずいと思っても、頭がクラクラして思考が回らない。それに、フラフラしてきた。立ち続けることができず、椅子に座りこんでしまう。
すると、慌てるように副社長が駆け寄ってきた。
「大丈夫か!? まともに、立てないじゃないか」
「すみません。でも、心配しないでください」
膝をついた彼は、私をじっと見つめている。まるで心を見透かされているようで、いたたまれなくなった。
「きみこそ、遠慮ばかりしないでほしい。部下である原田さんを、心配してはいけないのか?」
それが辛いのだけど、口いすることはできない。体調不良だからか、心が折れそうになった。
「嬉しいんですが、副社長は優しすぎです。副社長のほうが、参っちゃいますよ」
ボーっとして、とにかく身体が熱い。会話を切り上げて、早く帰ろう。
「きみは、まったく頑固だな」
サッと立ち上がった副社長は、執務室へ戻っていった。気を悪くしただろうか。気になるけれど、今はフォローする余裕がない。
ゆっくり帰り支度をしていると、副社長が再び執務室から出てきた。手には、通勤鞄を持っている。
「タクシーで、家まで送るよ。このまま、原田さんを一人で帰せないから。嫌だと言っても、今回ばかりは従ってもらうよ」
彼の勢いに圧され、遠慮することを諦める。素直に頷くと、副社長が私のバッグを持ってくれた。
「少し触れるよ?」
「はい。お願いします……」
副社長に身体を支えられ、エレベーターでホールまで下りる。オフィスビルを出ると、彼はすぐにタクシーを拾ってくれた。
「身体、すごく熱いよ」
車内でもずっと支えてもらい、そう呟かれる。私も同じことを感じていて、弱々しい声で言った。
「たぶん、マックスで熱が上がってきたかなって……」
疲れ熱が出ただけならいいけれど、風邪なら副社長に移してしまう。自宅に着いたら、早めに彼と別れよう。
程なくして自宅に着くと、副社長が部屋の玄関まで送ってくれた。靴を脱ぐだけでも倒れそうで、副社長にかなり心配をかけていると思っている。
「部屋の中まで入るのは控えるが、一人で大丈夫か?」
「はい。充分です。本当に、ありがとうございました」
なんとか笑みを見せると、副社長は心配そうな表情を崩すことなく小さく頷いて玄関を出ていった。
彼の優しさに感謝をしながら、私は着替えを済ませベッドへ潜り込んだのだった──。
「コロンの匂いがする……」
翌日、目が覚めるとお昼前になっていた。副社長に送ってもらってから熟睡していて、昨夜が嘘のように頭がスッキリしていた。
お風呂に入れないままだから、自分から副社長のコロンの香りがする。替えを感じてしまい、途端に恋しい気持ちが込み上げてきた。
「お礼のメールを、してみようかな……」
きっと副社長は、今も心配している気がする。上司として、責任感の強い人なのだと改めて思った。
《昨日は、ありがとうございました。お陰様で、熱も下がりだいぶスッキリしています》
これで、安心してもらえるだろう。返事があるか分からないけど、こちらの状態が伝わればそれでいい。
「シャワー、浴びてこようかな」
メイクも落としたいし、さっぱりしてこよう。ゆっくりベッドから起き上がり、メイクと汗を洗い流す。
ルームウエアを着替え直しベッドへ戻ると、副社長からメールの返事が届いていた。
《あとで、差し入れをドアに掛けておくよ。一回インターホンを押して帰るから、ゆっくり取りに出てきて》
「えっ!?」
そこまで……? メールの内容に驚いていたとき、インターホンが鳴った。一回きりで、それが副社長だと分かる。
(このままだと、帰っちゃう)
気を遣ってくれているのだろうけど、私は直接お礼を言いたい。熱が下がったばかりなのに、玄関まで走ってドアを開けていた。
「副社長、待ってください」
私の声にびっくりしたようで、副社長は足を止めて思い切り振り向いた。
「原田さん!? 寝てないと、だめじゃないか」
私服姿の彼も素敵で、ネイビーのシャツと同系色のパンツスタイルが垢抜けていた。
「どうしても、直接お礼を言いたくて……」
本当は、それだけじゃない。副社長の顔を見たかった……。
「体調が悪いときなのに、きみは気を遣いすぎだ。そんなに、考えなくていいから」
ゆっくり引き返してきた副社長は、苦笑しながらドアノブに掛けられた袋を取る。そして、私の背中を優しく押した。
「玄関の中まで一緒にいるよ。でも、そこまでだ。原田さんは、静かに寝るんだよ」
「はい……。お休みの日なのに、ありがとうございます」
手渡された袋には、ヨーグルトとりんごジュース、それにレンジでできるおかゆが入っていた。
「お礼はいいよ。どうしても、原田さんのことが気になったから。じゃあ、月曜日に元気で会おう」
「はい。ゆっくり、休んでおきます」
週明けには、いつもの笑顔を見せられるようにしたい。返事をした私に、副社長は優しく微笑んでくれた──。