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王子様がお迎えです!
王子様がお迎えです!
葵ひかり
恋愛現代恋愛
2025年04月03日
公開日
6,312字
連載中
毎週火曜日、金曜日の18時に最新話公開! ――いつか、王子様に出会えますように。 幼い頃から御伽噺の世界に憧れを抱いている久遠杏南、26歳。 小学一年生のときに出会った王子様のような男の子のことを未だに忘れられず、「落とした指輪を見つけたら、必ず会いに行く」という言葉をずっと信じている。 キラキラとした世界、可愛いものが大好き。 しかし、大学時代に「少女趣味?」、「恋愛に夢を見すぎ」と言われたことがトラウマになり、王子様のような男の子のことも可愛いもの好きであることも隠している。 いつしかそのトラウマから強い女性を演じるようになり、小柄な背を隠すため高いヒールの靴を愛用したり、会社では完璧なキャリアウーマンとして後輩たちに慕われている。しかし実際の杏南は、頼まれ事が断れないなど、気弱な性格だった。 ある日、唯一杏南の趣味に理解を示してくれる幼馴染に合コンをしようと提案されるが、杏南は自分をさらけ出すことが出来ずに撃沈。幼馴染への申し訳なさやら自身への情けなさやらで、バーでやけ酒をする。 そのとき、偶然杏南の隣の席に居合わせていた王司伊月(26歳)は、明らかに飲み過ぎている杏南を心配し、マスターとともに話を聞く。 杏南の幼少期の話を聞いた伊月は、その相手が自分であると明かす。伊月も指輪を今も持っていて杏南を探していたという。二人はその夜、関係を結ぶ。しかし、翌朝目覚めた杏南は、バーで伊月と話したことを全て忘れてしまっていた。 隣で眠る伊月を見て、彼が、杏南が勤め先の会長の息子であると気付く。端正な容姿、スマートな振る舞いから社内で「王子様」と呼ばれ男女ともに慕われている一方、女性関係がだらしないとも噂されている伊月と大きな過ちを犯してしまったと、杏南は伊月が目覚める前に慌てて帰宅してしまう。 頭を抱えて出社する杏南。給湯室でひとり、記憶の整理をしようとしていたところに伊月が現れる。伊月は、杏南が部屋に落としていった社名が入ったボールペンで、同じ会社に勤めていることに気付き、朝から探していたとのことだった。そうして、伊月は杏南に「運命の人」だと言って、交際を申し込むが――。

第1話 憧れの王子様

「もしかして、20年前に植物園で失くした指輪って、これ?」


 バーのカウンターで、隣に座る男がふと囁いた。

 振り返ると、そこには――幼い日の記憶に残る『王子様』が、大人になって静かに微笑んでいた。





――いつか、王子様に出会えますように。


 色とりどりの春の花が咲き乱れる植物園。


「ぐす……っ」


 涙で滲む視界を手で擦る。

 元来た道を辿っても、草花の間を探しても、大切にしていた指輪は見つからない。


――杏南あんなは、間違いなく、お姫様だよ。


 そう言って、お祖父ちゃんが私の指に合わせて作ってくれた指輪。

 ピンクコーラルの石がついた、キラキラと華やかで、肌身離さず持っていたものだ。

 植物園に入ったときは確かに右手の薬指についていた。でも気付いたら、なくなっていた。どこかで落としてしまったようだった。


「大丈夫? どうしたの?」


 しゃがみ込む私に、差し伸べられた手。見上げれば、とても綺麗な男の子。ウェーブのかかった黒髪と、宝石のように輝く瞳に目が奪われた。

 私と同じ、小学一年生くらいの男の子。


「大事な指輪、落としちゃったの」

「それじゃあ、一緒に探そう」


 そう言って、男の子は私の手を優しく握って、立ち上がらせてくれた。

 植物園の中、私の手を引いてくれるその子の手はとても温かく、柔らかかった。

 陽が暮れるまで、その男の子は一生懸命私の指輪を探してくれたけれど、結局その日は見つけられなかった。遠くで、お母さんが「もう帰るよ」と私を呼んでいる。


「僕が探しておくから、心配しないで」

「……でも、」

「大丈夫。絶対見つけるから。指輪を見つけたら、必ず君に会いに行く」


「約束だよ」男の子はそう言って、繋いでいた私の手の小指と自分の小指を結んだ。


 そう優しく微笑む男の子が、私には王子様に見えたんだ。



 軽快な電子音に、夢の世界から現実世界へと引きずり出される。

 まだ眠気の残る視界には見慣れた天井と、カーテンの隙間から差し込む朝陽。

 私は枕の下敷きになっているスマートフォンを手繰り寄せて、6時半にセットされていたアラームを止めた。


(懐かしい夢……)


 まどろむ思考で、昨晩の夢に想いを馳せる。

 小学一年生の頃の記憶。両親と行った植物園で、私はお祖父ちゃんに作ってもらった大切な指輪を失くしてしまった。

 綺麗な植物なんてそっちのけで、泣きながら指輪を探す私に、同い年くらいの男の子が声をかけてくれた。


――指輪を見つけたら、必ず君に会いに行く。


 未だに、男の子が言ってくれたその言葉を思い出すだけで胸がときめく。

 20年が経とうという現在も、まだ指輪は見つかっていないし、その男の子にも再会できていない。

 それなのに私は、未だにあの頃の夢を見てしまうくらいに、あの王子様のような男の子のことが忘れられず、憧れを抱き続けている。


 トースターに食パンをセットして、それが焼けるまでの間に、冷蔵庫の中から昨晩仕込んでおいたサラダを取り出す。

 ケトルでお湯を沸かしながら、眠気覚ましのインスタントコーヒーの準備をする。

 食器棚を開けて、お気に入りのピンクのマグカップを取るために背伸びをした。落とさないように慎重にそれを両手で取って、タイミングよく焼き上がったトーストにバターを塗る。

 ほろ苦いコーヒーと共に朝食を済ませ、使った食器をシンクに置いた桶の中の水につけておく。


 洗顔と歯磨きを済ませ、メイクに取り掛かる。左の耳を出すように髪を耳にかけて、シンプルなストーンがついたピアスをつけた。

 白のブラウスに、グレーブラウンのパンツスーツを纏った。

 リビングの隅に置かれた姿見に自分の姿が映る。その姿は、この部屋の中では、とても浮いて見えた。


 ピンクとホワイトで統一された部屋。ベッドカバーにはフリルがついている。カーテンも一人暮らしをするときに厳選して、レースの柄にまでとことんこだわった。

 大きなウサギのぬいぐるみはお気に入りのキャラクターで、見ているだけで幸せになれる。


 幼い頃から、可愛いものやキラキラと輝くものが大好きだった。シンデレラや白雪姫、いばら姫など、御伽噺の世界にずっと憧れを抱いていた。私もいつか、素敵な王子様に迎えにきてもらいたい。そして、幸せに暮らしたい。

 幼い夢は、大人になっても変わらなかった。ふわふわと愛らしい世界は、私の心をときめかせて止まなかった。


 でも……今は、それが、誰にも知られたくない秘密になっている。

 黒のバッグを肩にかけて、小柄な身長を隠すように7cmのヒールがついたパンプスを履く。仕事に行く服装は、私にとって、防護服のようで、そして戦闘服のようだった。

 『鋼の姫』という誰かがつけたあだ名が、決して崩れることのないように。

 大切な宝物と、本当の私が誰にも見られることがないように、そっとアパートの扉を閉めて、鍵をかけた。



 会社に出勤し、入館ゲートのICカードリーダーに『久遠杏南くおんあんな』と自分の名前が書かれた社員証をタッチする。

 ゲートを抜けて、出会った他部署の同僚と他愛ない話をしながらエレベーターで五階へ上がる。

 ジュエリーやアパレル、インテリアと幅広く手掛ける企業・王司おうじ商事。

 私はそこの企画部に所属している。


 企画部のフロアエレベーターを降りて、他部署の同僚と別れる。


「おはようございます」と挨拶をしながら企画部の扉を開けた途端、泣き顔が私に迫って来た。


「く、久遠さ~ん! 助けてくださぁい!」


 書類を抱え、泣きついてきたのは後輩の女性社員。


百合川ゆりかわさん、どうしたの?」


 とりあえず落ち着きなさい、とその子、百合川さんの肩を撫でる。


「今日、午後からプレゼンがあるじゃないですかぁ……」


 ぐすぐすと泣き声を漏らしながら、彼女はぽつぽつと話し出す。


「うん、14時からよね」

「はい。それで、今、資料を印刷しようと思ってデータを開いたんです。そうしたら、昨日作ったデータが全部消えててぇぇ」


 もう間に合いませぇぇん、と百合川さんはまた子どものように「うわーん」と大きな泣き声を上げた。


「バックアップは?」

「うう、すみません。忘れてました……」


 彼女はしょんぼりと肩を落とす。微かに震えるその手に握られているのは、昨日プレゼン資料を作るときに使った書類。彼女なりに何とか挽回しようと頑張っていたのだろう。


「私のUSBメモリに、確か最終チェックする前のデータが残っていたはず。修正は誤字脱字程度だったから、大丈夫よ。間に合う」


 私も一緒にやるから、と百合川さんを安心させるために微笑みかける。彼女はようやくパッと表情を明るくさせて、涙を拭って大きく頷いた。



 USBメモリに残っていたデータのおかげで14時からのプレゼンには間に合い、無事に会議を終えることができた。

 会議室の片付けをしながら、百合川さんに声をかける。


「これからはバックアップ、しっかりと癖づけてね」

「はい! もう絶対に忘れません。久遠さん、本当にありがとうございました!」


 百合川さんは「明日ランチ奢ります!」と意気込んでいた。その姿が愛らしくて、微笑ましいと同時に、少しだけ羨ましい。

 ふわりと巻いた髪や、ブルーの小花が散りばめられたフレアスカートを臆することなく着こなせる百合川さんは、まさに可愛いの象徴といった雰囲気だ。


(私も、本当は百合川さんみたいな服を着てみたいけれど……)


――え、久遠さんって、少女趣味?


 引きつった笑みがフラッシュバックする。息が詰まりそうになる。


「さすが、杏南先輩! さすが、俺たちの姉御!」


 不意に開きかけてしまった記憶の引き出し。

 同じ部署で働く後輩・佐々木ささきくんの声で我に返って、慌ててその引き出しを閉めた。嫌な記憶を鮮明に思い出してしまう前で良かったと、心の中でホッと安堵の溜息を吐く。


「誰が姉御よ」


 その呼び方やめて、と笑って返す。

 けれど、自分が社内ではちゃんと、後輩に頼ってもらえるくらいしっかりした大人に見えていることに安心する。

 弱くて、可愛いものが好きな私は、誰にも見つかってはいけない。

 もう、傷つきたくないんだ。

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