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第2話 ホントの私

「ごめんね、折り返すの遅くなって」


 21時前。自宅アパートの玄関を開けながら、繋がった電話の相手に謝る。


『どうせ今日も、他の人の仕事引き受けて残業してたんでしょ』

「う……っ」


 言われた言葉が図星すぎて、思わず言葉に詰まる。

 電話の相手は、幼稚園のころからの幼馴染・安西あんざいナナコ。幼稚園からの付き合いだけあって、私のことをとてもよく理解してくれている。良くも、悪くも。


 午前中、百合川さんのプレゼン資料の作成を手伝ったあと、これから出張に行かなければいけないという上司から、あれこれと仕事を押し付けられてしまった。

 自分が抱えている仕事を後回しにしたことも相まって、退社するときには定時をとっくの昔に過ぎてしまっていた。


「でも、可愛い後輩や先輩が困っていたら助けてあげたくなるじゃない……?」

『気持ちは分からなくもないけど。杏南の場合は、断れないだけってところも多いんじゃないの?』

「うう……」


 昔からそうなんだから、とナナコが呆れている。

 バッグをソファーの上に置いて、ジャケットを脱いでハンガーに掛けた。そして、ソファーを背もたれにして、ラグの上に膝をかかえて座る。


 ナナコの言う通りだ。困っている人を放っておけないという気持ちもあるけれど、本当の本当、根っこの部分にいる私は、頼まれたら断り切れないだけの性格なだけ。


『もっと周りに頼ればいいのに』

「できないよ。そんなことしたら、『本当の私』がバレちゃう。せっかく隠し通せてるんだから」

『まだ大学のときのこと引きずってるの?』

「……うう、悪い?」

『いい加減、忘れなさいよ』

「そんなこと言ったって……すごく、傷ついたの。もう傷つきたくないの」


 はぁ、と溜息を吐いて、立てた膝の間に顔を埋めた。

 ううん、とナナコが唸っている。


 大学生のとき。同じ学部に在籍する友人に誘われて行った合コン。「何が好きなの?」という質問に、「可愛いものが好き」と答えた純粋な私。


 それを聞いた男の子が「ああ、だから」とそのときの私の、花柄があしらわれたシフォン生地のワンピースを見て、苦笑いをした。

 私の隣に座っていた友達が、「この子まだ、王子様に憧れてるんだよ」と、茶化すように言った。


――「まじ? 恋愛に夢、見すぎじゃね?」

――「少女趣味ってこと? 大学生なんだし、そろそろ現実見たほうが良いよ」



 心が、パキッとひび割れる音がした。

 お酒が飲める年齢になっても、可愛いものが好きなのは悪いことなのだろうか。

 王子様に憧れているのは、おかしいことなのだろうか。

 あはは。そうだよね、と愛想笑いで頷いたことは覚えている。それと同時に、本当の自分はもう、一生隠してしまおうって思ったんだ。


「私はもう、植物園の王子様だけを想って生きていくの」

『また言ってる。そんな彼、もう出会えるかどうかも分からないじゃない』

「それでもいいの。可愛いものが好きなのも、御伽噺の世界に憧れるのも辞められないんだから」

『うーん……あ、じゃあ合コンしない!?』


 これは妙案だと言わんばかりのナナコの提案。


「なんでそこで合コンになるのよ」

『世の中には星の数ほどの男がいるのよ? どこかに、杏南のすべてを受け入れてくれる王子様がいるかもしれないでしょう?』

「そんな人いるわけ……」

『やってみなきゃ分からない! じゃあ、セッティングしたらまた連絡するから!』


 有無を言わせない勢いでナナコはそう捲し立てると、「おやすみ」と言って通話を切った。「ええ……」と困惑した独り言が、一人暮らしのアパートに虚しく響く。

 スマートフォンをソファーの上に置いて、天井を仰いだ。

 ナナコが言うような王子様なんて、私の前に現れるわけなんてない。

 でも、どこかに私のことを受け入れて好きになってくれる人がいるかもしれない。


「もう少しだけ、勇気を出してみようかな……」


 そう呟いて、祈るように瞼を閉じた。



 ナナコからの連絡は想像以上に早かった。

 合コンがセッティングされた水曜日の夜。駅で待ち合わせをしたナナコは私を見るなり、眉根を寄せた。


「なによ、その地味な格好は!」

「し、仕事だったんだから仕方ないでしょ!」

「それでももうちょっと頑張れたでしょ!?」


 ナナコの言う通り、昨晩まではもう少し可愛らしい恰好をしようと思っていた。ワンピースを着てみようかな、とクローゼットから出して準備もしていた。

 けれど、朝、怖気づいてしまって、結局いつも通りのパンツスーツに落ち着いてしまった。


「もう……時間ないから、今日は仕方ない。けど、会話は頑張ってよ」

「う、うん。頑張る」

「可愛いものが好きな杏南を、可愛いって思ってくれる人は絶対いるから。自信もって」


 ナナコに背中を軽く叩かれる。頑張ろう、と私も一つ大きく深呼吸をして、居酒屋の暖簾をくぐった。



 そう、覚悟を決めて、暖簾をくぐった……はずだった。


「まぁ……急な話だったし。これからゆっくり自分をさらけ出していけたらいいよ」


 お店に入る前は背中を押してくれたナナコの手が、今は慰めるように私の肩に置かれている。

 結局、自分をさらけ出すどころか、当たり障りのない話をしただけで、合コンはお開きになってしまった。

 連絡先ひとつ、誰にも訊けていない。思わず頭を抱えてしまう。


「せっかくチャンスを作ってくれたのに……本当にごめん、ナナコ」

「そんなに落ち込まないでよ。次があるよ、次が」


 ナナコはそう言ってくれるけれど、次なんて本当に私にあるのだろうか。

 また、苦笑いをされたらどうしよう。

 二十六歳にもなって可愛いものが好きだなんておかしいと言われたら、今度こそ私は立ち直ることができないかもしれない。


「杏南、どうする? どこか一緒に飲みに行く?」

「いや……今日はもう、帰ろうかな」

「そう? じゃあ、私も帰ろうかな。駅反対だよね、ひとりで大丈夫?」

「うん、平気。今日はありがとう、お疲れさま」

「お疲れさま、また連絡する」


 じゃあね、と手を振り合って別れる。

 週の中日だというのに、賑わう飲み屋街。ナナコの姿が見えなくなるまで、彼女の背中を見送った。


 はぁ、と大きく溜息が零れる。


 ナナコには家に帰ると言ったけれど、このまま家に帰っても、ただ虚しさが大きくなるだけのような気がする。もう少しどこかで、ひとり反省会も兼ねて静かに飲みたい気分。


 駅の方向へ向かいながら、街を彷徨う。ふと目に入った黒いドア。そこには『Bar:Fly to the moon』の文字が、月色に光っている。

 何度かこの街には来たことがあったけれど、こんなバーがあったなんて知らなかった。


 引き寄せられるように、私はその扉を開けた。



 ダウンライトに照らされる、落ち着いた雰囲気のバー。お客さんも多くなく、静かだ。

カウンターの奥にはマスターがいて、カクテルを作っている。


「すみましぇん、もういっぱい、おなじやつ、おねがいしましゅっ」


 空になったグラスをマスターに差し出す。

 ふわふわと視界が揺れている。


「ちょっと、お姉さん。俺、ずっと隣で見てたけど、呑みすぎじゃない?」


 隣から聴こえる、穏やかで優しい声。目の前のグラスは、その人の手によって遠ざけられた。


「マスターも困ってるから」


 その人がそう言うからマスターを見れば、確かに眉を下げて頷かれてしまった。


「放っておいてくだしゃい、わたし、いま、ひとり反省会ちゅうなので」


 お気遣いなく、と手のひらを差し出せば、「いやいや」と隣の席の男性は苦笑いを浮かべた。


「マスター、お水」と言う声が聴こえる。数秒もしない内に、透明なお水が注がれたグラスが私の前に置かれた。


「お姉さん、話聞かせてくれる? 俺でよければ、だけど」


 ふわふわした視界では、うまくその人を捉えることができない。だけど、そう私に微笑みかけてくれるその顔が、とても優しいことだけは理解できた。



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