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第3話 私の王子様

 物心ついたころには、可愛いものや、キラキラとした世界観が、大好きだった。

 運命の王子様に出会って幸せに暮らす、御伽噺のお姫様にずっと憧れていた。


「もう小学生なんだから」

「そろそろ、お姫様は卒業しないと」


 成長するにつれて、両親や周りの大人は私にそう忠告してくれたけれど、お祖父ちゃんだけは違った。


「お姫様には、素敵な指輪が必要だろう」


 お祖父ちゃんはそう言って、小さな私に目線を合わせ、右手の薬指に指輪をはめてくれた。

 指輪職人のお祖父ちゃんが、私のために作ってくれた世界で一つだけしかない指輪。それはとても輝いていて、身に着けているだけで本当のお姫様になったような気持ちになれた。

 でもそれを私は、植物園で失くしてしまった。一生懸命、私と一緒に探してくれた王子様のような男の子を忘れられず、再会できることを望んでいるけれど、そんなものは夢物語でしかないのかもしれない。

 今日の合コンでより一層、その思いは強くなった。


 もう26歳だし、失くした指輪とともに「いい思い出だった」と、憧れには蓋をして鍵をかけて、現実を見るべきなのかも……。


「ちょっと待って」


 お酒が入ってぼんやりする思考で、私はどこまで何を話しただろうか。隣の席に座る男性の声に、俯き気味だった顔をあげた。


「植物園で落とした指輪って、もしかしてこれのこと?」


 彼はジャケットの内ポケットを探ると、小さなリングケースを開いた。

 そこにあるのは、子どもサイズの小さな指輪。ピンクコーラルの石が控えめに輝いている。


「これ……!」


 失くしたのは20年前でも、絶対に忘れるはずがない。絶対に間違えるわけがない。

 正真正銘、お祖父ちゃんが作った指輪だ。


「やっぱり。話を聞いて、ピンと来たんだ。俺も、ずっと君を探してた。あのとき、植物園で一緒に指輪を探したのは、俺だよ」

「ええ!?」

「こんなことって本当にあるんだな、驚いた」


 ふわり、と彼が笑う。

 良かったですね、と、彼と一緒に話を聞いてくれていたマスターも微笑んでくれた。


「ありがとうございます、嬉しい。本当にまた会えるなんて……」


 嬉しさが涙になって込み上げて、視界が滲む。

「お礼に一杯、ご馳走させてください! 一緒に吞みましょう!」

「いや、君、もう結構酔ってるだろ!?」

「いいえ、大丈夫です! 酔いもすっかり冷めましたから! マスター、私たちにおすすめのカクテルを!」


 合コンは上手く行かなくて、落ち込んでしまっていたけれど。

 今日は、なんて素敵な夜なんだろう――。



「……ほら、水ちゃんと飲んで」

「……んん」


 見慣れない天井。あれ、さっきまでバーにいたはずなのに。

 背中はふかふかで滑らかなシーツの感触。


「君が酔い潰れて――タクシー呼んだんだけど――俺の家……」


 心地いい声。

 ずっと聴いていたい。


「うわっ、ちょっと、」


 目の前に、綺麗な顔。

 その頬に両手を添える。

 ああ、この瞳。覚えてる。あの日、私に優しく微笑みかけてくれた『王子様』の面影がある。

 ずっと探してた――。


「……やっと会えた。私の、王子様」

「……っ」


 彼が、息を飲んだ。少し顔が、赤い……?


「先に煽ったのは、君だからな」


 頬に当てていた手を絡めとられて、シーツに縫い付けられる。

 柔らかな体温が私の唇に重なった。

 お伽噺のお姫様たちも、王子様とこんなにも気持ちの良いキスをしていたのかな……。


 ……。

 ………。


 まどろむ視界。

 無防備なのに、綺麗な寝顔が目の前にある。

 スヤスヤと、規則正しい寝息。


「……ひぃっ!」


 小さな悲鳴が口から零れる。

 ずれたシーツの間から見えた、生まれたばかりの一糸まとわぬ私たちの体。


(待って、待って待って待って! どういうこと!? どうして!?)


 未だ、ぐっすりと眠り込んでいるその人の顔をじっくりと見つめる。

 絶対に間違いない。


 なぜかお互いに裸で、見慣れない部屋で、隣同士眠っていたこの相手は、同じ会社に勤める王司伊月だ。


 しかも彼は、その苗字の通り、王司商事の会長の息子さん。

 1年前までは子会社の運営を任されていたはずなのに、なぜか今年から急に本社であるうちの営業部に異動してきたことで、社内でも大きな話題になっていた。


 営業部に所属している彼と、企画部に所属している私は、今まで直接お話すらしたことがない。会長の息子ということもあり、私は一方的に王司さんの存在は知っているけれど……。


 昨日、合コンのあと、ひとり反省会をするために近くのバーに入って……。

 う……。それ以上先のことが全く思い出せない。完全に記憶を失っている。


 部屋の中を見回す。

 綺麗に整頓されているけれど、生活感を感じる。おそらく王司さんの自宅なのだろう。

 ベッドの下に散乱した下着と洋服をかき集め、彼が起きてしまう前に急いで身に着けた。


 部屋の隅に置かれた姿見で、乱れた髪を整えていると、首筋にキスマークがついていることに気付いて、顔に熱が集まって来る。


 やっぱり、体の関係を結んでしまったという事実をそこから突きつけられたような気がした。

 そっと王司さんの寝顔を盗み見る。


 社内では彼のその名前にちなんで「王子様」だなんて呼ばれているだけあって、とても綺麗な人だ。

スラリとした長身、高級そうなスーツも、いつもパリッと着こなしている。

 男性からも女性からも慕われている人。


 けれど、一部で囁かれていた「女性関係にだらしない」という王司さんの噂は、やはり本当だったのだろう。


 だって、初対面に近い私と、体を重ねてしまうくらいなのだから……。


「はぁ……」


 大きな私の溜息が、昼下がりの給湯室に響く。

 目が覚めたのが早く、仕事前に一度家に帰ってシャワーを浴びる余裕があったのは不幸中の幸いだった。


 しかし、どれだけ頭を抱え、記憶を引っ搔き回しても、昨日のバーに入ってからの記憶を一切思い出せない。ナナコとはその前に既に別れていたし、誰に何があったかも訊けない……。


 いや、王司さんに尋ねるのが一番早いとは思っているけれど、「私たち、どうして体を重ねたんですか?」なんて訊けるはずもない。

 もしかしたら、王司さんは私が同じ社内の人間だと知らないかもしれないし。


 何度目かの深い深い溜息が口から零れる。

 女性関係が激しい彼のことだから、一夜を共にした私のことなんて記憶にないかもしれない。ワンチャン、それに賭けて、これからも顔を合わせないように――。


「こんなところにいた」


 不意に背後から掛けられた声に、我ながら小動物のように肩が跳ね上がった。

 飛び跳ねるようにして振り返り、給湯室の入り口に立ったその人と目が合う。


(噂をすれば、王司さん……!? どうして、企画部に!?)


 企画部と営業部は5階と7階でフロアが違うのに、どうして彼が企画部の給湯室にいるのだろう。


「一言声を掛けてから帰ってくれたらよかったのに」


 目が覚めたらいなくて寂しかった、と彼は私に詰め寄る。

 後退りをした自分の背中が、とん、とシンクにぶつかった。


「え、あの……人違いでは、ないですか?」


 私がそう言葉を絞り出せば、王司さんは瞳をパチパチと瞬かせる。それから、思案するように顎に手をやった。

「君、久遠杏南さん……だよね?」

「どどど、どうして私の名前……!」

「俺の部屋に、君のボールペンが落ちてたから。これ、この会社で記念品として社員に配られた、名前入りのやつ」


 そう言って、彼は内ポケットからボールペンを取り出すと私にそれを見せた。


 ミルクティーブラウンが可愛らしい木製のボールペン。そこには、金色の文字で私の名前が刻印されている。彼が言う通り、これは会社の周年記念で社員に配られたものだ。見た目も書き心地もよく気に入っていて、仕事中はジャケットのポケットに入れていたのだけれど……。


(そういえば昨日、会社を出るとき、ペンケースに仕舞い忘れてた……!)


 ジャケットもベッドの下に落ちていたし、おそらくそのときに床に転がってしまったのだろう。

 冷や汗が背中を伝う。


「君が、まさかうちの社員だったなんて。こんなにも近くにいたのに、全然気づかなかった」


 王司さんの長い指が、私の頬に触れる。聞き心地の良い低い声と柔らかな笑顔に、心臓がうるさい。


「君はやっぱり、俺の運命の人だ。ずっと久遠さんのことを探してた。君のことが好きだ。俺と、付き合って欲しい」


 王司さんの射抜くような真剣な瞳に、困惑した私が映っていた。



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