いつも通りに家を出て、学校に向かった
「……なんだこれ」
銀星小学校へとつながる道幅の狭いスクールゾーン。色とりどりのランドセルを背負った小学生たちがおしゃべりをしながら歩く道沿いの、塀や電柱などのあちこちに、見慣れないポスターがベタベタと貼られていたのだ。
立ち止まって内容を見ると、クリーム色の紙面の上部に大きく赤と黒で『うちの子知りませんか』と書かれている。どうやら人探しのポスターらしい。
小学校低学年くらいの男の子の写真に、特徴らしいものが書き連ねてあり、『見かけたらこちらまで』という文字と一緒に携帯電話の番号で締め括られていた。
そんなポスターが、通学路のいたるところにずらずらと貼られているのは、なんとも異様な光景である。
昨日まではこんなもの、確かになかった。
同じように小学校に向かう児童たちもポスターに視線を奪われているようで、それぞれに立ち止まっては眺めている。
「なんか、やだなぁ……」
ところせましと通学路に貼られたポスター。その写真の子どもがじぃっとこちらを見ているようで、なんとも言えない居心地の悪さを覚えながら、雪弥は足早に学校へ向かった。
☆
学校はやはり例のポスターの話題で持ちきりだった。どうやらあのポスターは、雪弥の通った夕暮れ地区の道沿いだけでなく、他の地区の小学校周辺の道路沿いのほとんどに貼られていたらしい。
さすがに前日までは貼られていなかったこととその数の異様さから先生たちも気になったようで、書かれている電話番号に電話を掛けたりポスターを貼っている人がいても近付かないよう、朝礼でわざわざ注意喚起される始末である。
とはいえ、あまりない非日常な出来事に興味津々なのが小学生。昼休みになっても周囲の話題はやはり例のポスターのことばかりだ。
雪弥は一人、教室の自席であのポスターから発せられる妙な視線を思い出し、小さく身震いする。と、六年三組の教室の入り口から自分を呼ぶ声に気づいた。
「雪弥くーん」
出入り口のほうを見ると、夕暮れ地区の隣にある月夜地区に住む
虎太郎とは以前同じクラスで、互いに地区子ども会のリーダーということもあって仲が良く、最近はよく遊ぶ仲だ。
「おう、虎太郎。なんか用か?」
呼ばれるままにそちらまで向かうと、虎太郎は少し困ったような顔をしていた。
「実は今朝、
虎太郎のいう遥斗くんとは、六年一組の
「なんかって、なに?」
「よくわかんない。昼休みに話すって言われたから、雪弥くんも一緒にって思ってさ」
ずり落ちる丸いメガネを少し上げながら、虎太郎がのんびりと言った。遥斗とは同じ地区で家がそれなりに近く、登校するときに一緒になることもあるのだが、そういえば今朝は遠目にも姿を見かけていない。
「……ふーん。じゃあ、まぁ、行ってみるか」
誘われるまま雪弥は、虎太郎と一緒に遥斗のいる一組へと向かった。
「おーい、遥斗ぉ」
一組の教室に入りながら、室内に向かって呼びかけると、机に突っ伏して寝ていたらしい遥斗が、ゆっくりと頭を上げてこちらを見る。
「あ。雪弥、虎太郎……」
虎太郎と一緒に近づいた雪弥は、遥斗の妙にゲッソリした顔に驚いた。いつもの元気いっぱいではつらつとした表情とは程遠く、目の下にうっすらとクマができている。
「ど、どうした? 顔色ひどいぞ?」
「保健室行った方がいいんじゃ……」
雪弥と虎太郎が困惑しつつ言ってみたが、遥斗は手を平気平気、とひらひら振った。
「あーいや、大丈夫。ちょっと寝不足なだけだし」
「なんかあったのか?」
「うん。……ちょっと、向こういこうか」
そう言った遥斗がいつもよりもノロノロと立ち上がり、教室を出ていこうとするので、雪弥と虎太郎は顔を見合わせてから後を追いかける。
ついていくと、教室階の端にある階段へたどりついた。確かにこちらの階段はあまり使う人がいないので、内緒の話をするのに最適な場所である。
遥斗はやはり怠いのか、階段の一番上の段に腰を下ろした。
「別に、教室でもよかったのに」
「……いやぁー、ちょっとあんまり聞かれたくないからさ」
「何があったんだ?」
「うん、昨日は水泳の日だったんだけどさ……」
俺の通ってるスイミングスクールは駅の向こうにあるから、帰る時は必ず駅前にある『銀星街』を通るんだ。
水泳が終わる時間は、いつも帰宅ラッシュで人が多くて。昼間より人通りの増えた銀星街を歩いていたら、突然知らない女の人に話しかけられた。
「うちの子、知りませんか?」
その人はそう言いながら、クリーム色の紙を差し出した。見た目は母さんよりちょっと年上くらいかなって感じで、着ている服はきちっとしてるんだけど、肩くらいまでの黒髪はボサボサで変な感じ。
差し出された紙はチラシで『うちの子知りませんか』と上部に書かれてる。小学生くらいの男の子の写真と、特徴らしいものが書かれてて、今朝通学路にいっぱい貼られていたポスターあるじゃん、あれを小さくした感じ。
女の人がグッと目の前に突き出すから、ちゃんと見たんだけど、同じ地区の子じゃないし、学校でも見たことない子だった。
だからちゃんと「知りません」って答えた。
すると女の人は「そうですか」って言いながら、ガッカリした感じで深々と頭を下げて、他の人に話しかけにいった。辺りは人は多いけど、急いで帰りたい人が多いから、話しかけても無視されてるみたいだったよ。
行方不明の子がいるなんて話、この辺じゃ聞いたことないだろ? だから多分隣町とか、もっと遠い違う場所での事件なのかなぁって思いながら普通に帰宅して、ご飯食べて宿題やって、いつも通りに寝た。
うん、ここまではいい。
問題はこの後なんだ。
ぐっすり寝てた夜中、深夜二時を回ってたと思うんだけど、インターホンの鳴る音で目が覚めたんだ。ピーンポーン、ピーンポーンって、一定の間隔でずーっと鳴ってる。
こんな時間に来るなんて非常識だなって思いながら二度寝した。でもいつまで経っても鳴り止まないし、そのうち両親が対応するだろうって思ってたんだけど、そんな気配もない。もしかしたら二人ともぐっすり眠ってて、鳴ってることに気付いてないのかもしれないって思ったんだ。
放っておいてもよかったんだけど、ずっと鳴っててうるさいし迷惑だから、自分が出るしかないかって思って、リビングにあるドアモニターを見に行ったんだ。故障とか変な人だったら両親を叩き起こそうかなって。
ドアモニターにはちゃんと人が写ってた。怖そうな人とかじゃない。銀星街で会ったあの女の人だったんだ。なんで家に?って思ったよ。もしかして後をつけてきたのかな? それなら警察を呼んだほうがいいかもしれないって思った。
恐る恐るドアモニターに近づいていくと、インターホンに混じって何かぼそぼそと、小さく話している声が聞こえる。
なんだろうって思ってドアモニターに耳を近づけて、ようやくなんと言っているのか聞き取れた。
〈すみません、うちの子そちらに行ってませんか?〉
何を言ってるんだ? そんなわけないだろ!って思ったと同時に、いきなり後ろから何者かに腕をギュッと掴まれた。
両親のどちらかと思ったが、明らかに自分の手よりも小さい、子どもの手の感触。
驚いて振り返ると、そこには青白い顔をした、見知らぬ男の子がいた。
「いないって言って!」
ぎゅうっと腕を強く掴みながら、その男の子が叫んだ。
「……そ、それで?」
「そのまま気絶したっぽくてさ。気付いたら朝になってて、リビングで目が覚めたんだよね」
「だから、そんな疲れた感じに?」
「うん……」
遥斗は気絶したまま硬いフローリングの床の上で朝を迎えたため、起きたときには身体中が痛くて大変だったらしい。
「えーーー。遥斗くん
ブルブル震えながら最後まで話を聞いていた虎太郎が、顔を真っ青にしながら言う。
「
「あぁ、ボクじゃなくて、月夜地区の子の、お兄さんが似た体験したんだって」
虎太郎によれば、そのお兄さんは電車で通学しており、帰宅途中に銀星街を通った時に声をかけられたとか。
「で、やっぱり夜中に女の人が来て、子どものお化けが出たのか?」
「うん、そうみたい」
今朝学校に向かう途中、月夜地区の子にそんな話を聞かされた虎太郎は、昼休みに雪弥と遥斗に話そうと思っていたのだ。しかし、まさか遥斗が同じような体験をしているなんて。
「……でも、不思議なんだよね」
「なにが?」
「実は昨日の夕方、僕もおつかいを頼まれて銀星街に行ったんだけど、ビラを配ってるその女の人、見なかったんだ」
「え、まじで?」
虎太郎の言葉に、遥斗の疲れ切った顔がさらに暗くなる。
もしかしたら銀星街でチラシを配り、話しかけてくるという女の人もお化けかもしれない。人間だったとしても、教えたわけでもないのに夜中に他人の家にやってくる時点でヤバいヤツだが。
「……ふん。『夕暮れ少年探偵団』なんて作るからだ」
真っ青な顔を見合わせる遥斗と虎太郎を見ながら、雪弥が呆れたように息を吐く。
『夕暮れ少年探偵団』とは、つい先日、留守番をしている子どものもとに届く『赤い手紙』の一件を解決した後、虎太郎と遥斗の二人が妙に盛り上がって名づけた、この三人での愛称のようなものだ。名づけた虎太郎によれば、街の『怪奇』な事件を解決する探偵団という設定らしい。
これまでは同じ地区の子どもたちからの相談がきっかけで『怪奇』な出来事にまきこまれてしまっていたが、今回は遥斗自身が遭遇しているので少しばかり事情が違う。
きっと、探偵団なんてつくるから事件のほうから寄ってきたのだ。
「それとこれとは別だよぉ」
雪弥の嫌味に虎太郎が頬を膨らませる。怖がりの癖に、探偵の真似事は好きなのだから、タチが悪い。
「とはいえ、放っておくわけにはいかないよなぁ」
女が配っているチラシと、通学路のポスターが同じということは、あれもやはりお化けが貼ったのだろうか。
遥斗をはじめ、街の人たちが怖い思いをしているのはいただけないし、なにより通学路が気持ち悪いままなのは嫌だ。
「子どもを探しててあんなことしてるなら、子どもを見つけて会わせてやればいいのかな?」
「えー……じゃあその男の子を、探すの?」
「いやもう、絶対生きてないだろ……」
「でもまぁ、それしかないだろ?」
怯える虎太郎と眉をひそめる遥斗に、雪弥は当たり前だろう、という顔で頷く。
お化けになっているなら、きっとその子はもうこの世にはいないはずだ。しかしお化けというやつは自分の死体を見つけて欲しくて出てくるというし、死んだ場所を見つければそこに男の子もいるのではないか、という安直な考えである。
「よし。とりあえず、帰りに例のポスターをちゃんと見てみようぜ」
「見つかるかどうかは置いといて、なにか手がかりはあるかもな」
「……わかったぁ」
放課後は一緒に帰ろう、と話がまとまったところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
☆
学校が終わった後、雪弥たち三人は通学路沿いの壁に貼られた、例のポスターをじっくりと見た。
ポスターに書かれていた男の子は、小学二年生で、黒髪短髪、背は120センチ、体重22キロの痩せ型。いなくなった当時は、ボーダー柄の半袖Tシャツに、紺の半ズボンだったようだ。
写真がモノクロなのもあるのだが、前髪が長いせいで目元がわかりにくく、顔の判別は少し難しい。背中を丸めているので、少し引っ込み思案な印象をうけた。
「んー、見た感じ普通の男の子、って感じだね」
ポスターをしげしげと眺めながら、虎太郎がズレる丸メガネを指先で上げる。
確かに虎太郎の言うとおり、学校で一度は見たことありそうな、よくいる雰囲気の、悪く言えば特徴のない感じの男の子だ。
「遥斗がみた男の子と同じか?」
虎太郎と同じようにじぃっとポスターを見つめる遥斗に雪弥が尋ねると、遥斗は小さく頷く。
「そうだな。髪型は同じ感じ……服装までは覚えてないけど、こんな感じだった、かも?」
「なんか印象に残ってる部分はないの?」
「うーん……。あるとしたら、掴んできた手が異様に細かったのと、腕にアザがいっぱいあったくらい、かな」
「……なるほど」
腕を掴まれ「いないって言って!」と言われてすぐ気絶したらしいので、手の印象が強いのかもしれない。
「……しかし、困ったな」
「なにがだ?」
「この子を探すんでしょう?」
「そのつもりだったんだけど……」
腕を組みながら雪弥は唸る。
最初は虎太郎の言うとおり、写真のこの子を探すつもりであったが、このポスターには肝心なことが書かれていない。
「このポスター『どこでいなくなった』か、が書いてないんだよな」
「あっ!」
「言われてみれば、確かに……」
人探しのポスターなら、いつどこでいなくなった、ということが書かれているべきなのに、このポスターにはいなくなった男の子の特徴しか書かれていないのだ。
これではどこを探せばいいのか、探そうにも探しようがない。
「ど、どうするの?」
居場所の手掛かりはないが、男の子に会う方法ならひとつある。
「女の人に話しかけられたら、夜にその子が来るんだろ?」
「そうだけど……。あ、もしかして」
「逆に女の人を見つけてこっちから近づいて、話しかけてもらうんだよ」
「ええー!」
それはもう分かりやすく虎太郎が嫌な顔をした。
「やだよぉ! ピンポンされた時点でボク倒れちゃうよ!」
「俺もさすがに2回はいやだ……」
「ええー……」
虎太郎が嫌がるのは分かっていたが、遥斗も嫌がるとは。しかし、立て続けに家にお化けが来るのは流石にいやか、と雪弥も思い直す。
しかし、いなくなった場所も分からない男の子をやみくもに探すより、駅前や商店街で目撃されている母親のほうが、圧倒的に見つけやすいし、他に方法は思いつかない。
何せ男の子と女の人はセットで現れるお化けのようだし、事前に来ると分かってさえいれば、そんなに怖くないような気がする。
「じゃあ見つけたら俺だけで話しかけるよ。それならいいだろ?」
「う、うん……」
「まぁ、それなら」
しぶしぶ、という感じで虎太郎と遥斗が頷いた。
「よし、じゃあまず銀星街のほう行こうぜ!」
雪弥はそう言いながら、ランドセルを揺らして駅前にある銀星街へ足をむける。虎太郎と遥斗は一足遅れて雪弥の後を追いかけた。
銀星街は小学校から徒歩10分ほどにあるアーケードのついた商店街で、そこを抜けた先には急行の停車する駅がある。
三人は銀星街の通路の中央を歩きながら、左右にじっくり見て回った。
「それっぽい人がいたら言えよ」
「うん」
ゲームセンターにラーメン屋、銀行の出入り口にカラオケ、ドラッグストア。銀星街は普段と変わらずいろんな店舗がところ狭しと並び、活気にあふれている。
しかし、こんなにガヤガヤと騒がしいところでも、お化けは現れるものなのだろうか。
「なーんか、お化けが出るって感じはしないんだけどなぁ」
「まぁ、ここはいつでもこんなだもんね」
騒がしい商店街をゆっくりじっくり歩いてるので気づいたが、例のポスターが中央の通路から脇に逸れていく道角にある電柱に、しっかり貼られているのに気づいた。
確かに女の人のお化けは、ここに来ている。
「そうだ遥斗。その女の人ってどんな格好してたんだっけ?」
「たしか、白いシャツに明るいグレーのスーツ、だったかな。会社に行ってる人みたいに、結構きっちりしてた」
「でも髪がすごいボサボサだったんだよね?」
「うん。肩くらいまでの黒髪だったんだけど、頭洗ってないのかな?ってくらいパサパサでしてて、変な感じだったなぁ」
「グレーのスーツか……」
改めて銀製街を歩く人たちに目を向けてみるが、時間帯のせいかスーツ姿の人は見当たらない。カジュアルな服装の主婦っぽい人がお店の人とおしゃべりしていたり、制服を着た中高生が買い食いしたりしている。
じっくりゆっくり、数百メートルはあるアーケード街を見て歩いたが、目当ての人物を見つけられないまま、反対側の端に着いてしまった。
「……いなかったな」
「うん」
「なんか、普通のティッシュ配ってる人もいなかったね」
休みの日はもっと人出が多いので、何かしら配る人もいるのだが、平日の午後だとそういう人もいないらしい。
「駅前のほうまで行ってみるか?」
「そうだな」
三人は銀星街を抜けた先にある駅前広場まで行ってみたが、チラシを配る女の人は見つからなかった。
「ぜーんぜん見あたらないねぇ」
最初は怖がっていた虎太郎も、あまりに見つからないので怖がっていたことも忘れて息を吐いている。
不意に遠くから、甲高いオルゴールの音で『夕焼けこやけ』のメロディが流れてきた。銀星街の出入り口にある、大きな仕掛け時計が17時を知らせる音楽である。
「やべ、そろそろ帰らないと」
「続きは明日だな」
「そうだね」
三人は嬉しいような残念なような気持ちで家路についた。
☆
銀星街を通り抜け、ポスターだらけの通学路を通り、途中の道で遥斗や虎太郎と別れた後、雪弥は夕暮れ地区にある自宅ではなく、すぐ隣にある天崎家のインターホンを押した。
両親が共働きで誰もいない日、雪弥は天崎家にお世話になることになっている。
「ただいまー」
「はーい。おかえり、雪弥くん」
そう言って玄関ドアを開けてくれたのは、幼馴染で大学生のお兄さん、
いつもなら肇の母親が出てくるはずが、予想外に肇が出迎えたので、雪弥は少々面食らう。
「あれ、肇兄? おばさんは?」
「遠方に住んでる叔母さんが怪我しちゃったらしくて、お見舞いとお手伝いに行ってるんだ」
「あー、そうなんだ」
雪弥は勝手知ったる我が家同然に上がると、リビングのソファにランドセルを置いた。
「だから今日は僕と雪弥くんだけでお留守番! 晩御飯も僕が作るよ」
「……大丈夫かな」
「さすがに料理くらいはできるよぉ」
妙に張り切って腕まくりをして見せる肇に、雪弥は一抹の不安を覚える。自分より八歳も年上の幼馴染であるが、虎太郎と同じかそれ以上にビビりなうえ、少し抜けたところがあるのだ。
「心配だからオレも手伝う」
「本当? ありがとう!」
嬉しそうに言う肇と一緒に、雪弥はキッチンに立つ。
「で、何作るの?」
「今日はハンバーグでも作ろうかなって」
キッチンの中央にあるカウンターの上に、ひき肉や卵、玉ねぎが置いてあった。
「僕はお米といでセットするから、その間に雪弥くんは玉ねぎの皮剥いてくれる?」
「ほーい」
雪弥は手を洗うと、キッチンのカウンターに出された玉ねぎの、薄茶色の皮を剥き始める。
「今日は帰ってくるの遅かったね、どこか寄り道してたの?」
「あー、実はさぁ……」
炊飯器の釜に入れたお米を流しでガシャガシャと洗う肇に聞かれ、雪弥は眉を下げつつ、銀星街に現れた人探しをするお化けの話をした。
するとお米を洗い終え、炊飯器にセットした肇が顔を真っ青にして情けない声をあげる。
「えぇ〜〜〜!」
「いや、今日は女の人見つけられなかったし、大丈夫だって」
お化けにあったら夜中にやってくる、という部分が嫌なのだろうと思い、雪弥が呆れたようにいったのだが、肇の口から出てきたのは予想外の言葉だった。
「今日、僕、商店街で買い物してた時に、そんな感じの女の人に話しかけられちゃったんだけど……」
「えぇ!?」
夕飯の材料を買いに銀星街に行ったところ、グレーのスーツを着た女性に話しかけられたという。クリーム色のチラシを見せつけながら「うちの子知りませんか?」と聞いてきたらしい。
話を聞く限り、女性の特徴も遥斗が言っていた人物像と一致する。
「それ、何時くらい?」
「たしか17時よりは前だったと思うけど。買い物して、チラシもらって、銀星街出た後くらいに『夕焼けこやけ』が鳴ってたし」
おかしい。
その時間なら、自分たちも銀星街で女の人を探していた頃だ。
三人で銀星街を端から端まで、しっかり見ながら探し回っていたのに、女の人にも肇にも会っていない。
「ど、どうしよう……」
よくあるビラ配りに会ったくらいのはずが、まさかのお化けかもしれないという事実に、いい大人のはずの肇が本気で泣きそうな顔をしていた。
肇の話が本当であれば、今夜その女の人が訪ねてくるはず。
「じゃあインターホンが鳴ったら、オレも起こしてよ」
「うぇぇ、わかったぁ、ありがとうぅ〜〜」
「……普通、逆じゃね?」
半泣きになりながらも玉ねぎを切り始めた肇に、雪弥は呆れたように息を吐いた。
☆
ぐっすり眠っていた雪弥は、体が大きく揺れる感覚で目が覚めた。
「……んぇ?」
「ゆ、ゆ、雪弥く〜〜ん! 起きてぇぇ!」
自分の体を揺すりながら、か細くどこまでも情けなく呼びかける肇の声の後ろで、ピーンポーン、と甲高いインターホンの音が鳴り響いている。
そのことに気付いて、雪弥はハッと一気に覚醒し体を起こした。
「……まじか」
室内にある時計を見ると、時間は深夜の2時を回っている。聞いていた通り、なんとも非常識な時間の訪問者だ。
「ど、ど、どうしよう……」
隣にいる肇は、雪弥の腕にしがみついてオロオロとするばかり。
本当にこいつは二十歳を超えた大人なのだろうか。
肇があまりに狼狽えているので、雪弥は逆に冷静になってしまっていた。
「……まぁ、出るしかないでしょ」
これは聞いていた通り、お化けのなかでのセオリー通りの行動である。不可思議なこの現象をなんとかするには、彼らのルールにこちらがある程度合わせるしかない。以前、赤い封筒の手紙を送りつけてくるお化けと対峙した時に、嫌と言うほど思い知ったことだ。
ただ今回は、以前のように居なくなってもらう方法が分からないので、ひとまず会ってみるしかない。
「ほ、本当にいくのぉ?」
「だって、こんな時間にずっと鳴らされてたら、近所迷惑じゃん」
「そうだけどぉ……」
インターホンを鳴らしているのがお化けと分かっているので、やっぱり嫌なのだろう。
ただ肇の中では恐怖と良心が戦っているようで、いつになく眉の辺りがこんがらがっていた。
「嫌ならオレが出てくるから、肇兄は待ってなよ」
雪弥がそういってベッドから降りて立ち上がると、肇が慌てたように抱きついてくる。
「やだぁ! 一人はやだぁ!」
「じゃあほら行くぞ、もう!」
今にも泣き出しそうな、情けない大きな幼馴染を連れて、雪弥は部屋を出た。
いつも泊まる時に寝ている肇の部屋は、天崎家の二階の、それも奧のほうにある。腕を掴まれたまま部屋を出た二人は、薄暗い廊下を階段のある端までゆっくり移動した。
「ゆ、ゆきやくん、明かり……」
「はいはい」
怖がる肇に急かされ、廊下の端にある階段周辺の明かりをつけるスイッチを押す。しかし視界が明るくなることはなかった。
「……あれ?」
カチッカチッ、と何度も押してみたが変化はない。
「どしたの?」
「つかない……」
「えぇーー!」
就寝前、各部屋の戸締りをして回った時は普通についていたはずなのに、こんなに急に切れるとは思えない。
よくホラー映画なんかでは、お化けのせいで明かりがつかないシーンがあるけれど、あれは本当なんだなぁと雪弥はぼんやりと実感していた。
「つかないならしょうがないよ」
「うぅ……」
玄関のある階下に繋がる階段の先が、いつも以上に真っ暗に感じる。
そうこうしてる間にも、インターホンは一定の間隔で変わらず鳴り続けていた。
「ゆっくり降りるからな」
「はいぃ……」
壁や手摺りに手を沿わせながら、雪弥と肇は一段ずつゆっくりゆっくり階段を降りる。一階に近づくにつれ、やはり室内が異様に暗く感じた。
電気を消し、カーテンを閉めていても、外に立つ街路灯の灯りなどで室内も多少は明るいものだが、そういった光の一切が遮断されているのではないだろうか。
一階につき、すぐに廊下の明かりもつけてみようとスイッチを押したが、やはりここもつかなかった。
暗いままの廊下から玄関のほうを見ると、ドア周辺のすりガラスの向こうがぼんやりと明るい。人感センサーで点灯する玄関照明が点いているようだった。
つまり、そこに人がいる。
雪弥と肇は顔を見合わせると、玄関から一番近いキッチンに入り、すぐ横の壁に貼り付けられたドアモニターを覗いた。
小さな四角い画面の中に、玄関照明の黄色い光に照らされた、グレースーツ姿の女性が立っている。
「商店街で声かけてきたひと?」
「う、うん……」
聞いていた通り、きっちりしたスーツ姿なのに、髪の毛はボサボサで奇妙だ。照明で影ができているせいか、表情はよく分からない。
一定間隔で鳴るチャイムの隙間で、モニターマイクから何か言っているらしい声が聞こえた。
〈……すみません、うちの子そちらに行ってませんか?〉
ボソボソと呟くような声で、同じ言葉を繰り返している。
雪弥はハッとして辺りを見回した。
「ど、どしたの雪弥くん」
「……やっぱ、だれもいないよな?」
「今うちには僕と雪弥くんしかいないよぉ!」
雪弥の言葉に、肇が情けない声でさめざめと言う。
遥斗の話では、女性が何と言っているのか聞いた後、すぐに探されている男の子が現れたと言っていたのだが、やはり二人もいると現れないのだろうか。
それとも、女性に話しかけられていない自分が対応するという、お化けの出るセオリーを破ってしまったからか。
「……しゃーないな」
雪弥は頭を掻くと、玄関の方へ向かう。
「ま、待ってどうするの!?」
慌てた肇が雪弥の腕にピッタリと抱きつきながらついてきた。
「いやぁ、いないもんはいないし。『うちにはいません』って教えようと思って」
「ええ……お化けと話すの?」
「だってしょーがないじゃん」
この家に女性が探してる男の子はいない。
雪弥が腕にしがみつく肇を引きずりながら玄関ドアを開けようとした、その時だった。
ぴったりくっついていたはず二人の腕を、第三者の小さくて骨ばった手がぎゅうっと握りしめて。
〈いないって言って!!〉
いつの間にいたのか、二人の間に見知らぬ男の子がいた。
「ぎゃーーーー!!」
ポスターで見た通り、ボーダー柄の半袖Tシャツに紺の半ズボンを履いた、痩せ型の男の子。大きな特徴のない平凡な顔も、猫背気味な姿勢も、何もかもポスターの写真通りである。
「だぁーーーー! うるせーーーー!!」
肇が恐怖で絶叫するのと対照的に、怒り任せた声色で雪弥は叫んだ。
それから自分の腕を掴んでいた細い手を逆に掴み返し、そのまま引きずるようにして、雪弥は勢いよく玄関ドアを開ける。
「ここにいます!!」
怒りのままに叫ぶようにそう言うと、女の人も男の子も、まるで煙のようにふっと消えてしまった。
☆ ☆
翌日の昼休み、雪弥は昨晩起きた出来事を、遥斗と虎太郎にげっそりした顔で報告した。
「まさか、肇お兄さんが遭遇してたなんて」
「やつれてるけど、大丈夫か?」
「もしかして、怖くて眠れなかったとか?」
おずおずと虎太郎に聞かれるが、雪弥は疲れた顔で首を横に振る。
「ちげーよ。肇兄に抱きつかれたままで寝たから、全然寝た気がしなくってさ」
二人の幽霊が消えたあと、怯える肇を宥めつつベッドに戻ったのだが、まるで抱き枕よろしくがっつり抱きつかれて眠ることとなり、体はちっとも休まらなかった。
「お前と肇お兄さん、逆じゃね?」
「オレもそう思う」
筋金入りの怖がりと分かってはいたが、まさかここまではとは。
今日だって、雪弥の母親が家にいるので天崎家に泊まりに行かなくてもよいのだが、自宅に一人になってしまう肇が『夜が怖いから』という理由で、雪弥の家に泊まりにくることになっているのだ。
通っている大学も少し遠いはずなのに、一人暮らしをしていないのはこの怖がりが原因なのではないだろうか、と八歳も年下なのに雪弥は肇の今後が心配になる。
「ま、でもこれでもう出ることはないだろ」
「探してるお母さんに引き渡したんだもんね」
「そういや、通学路のポスターも綺麗さっぱりなくなってたな」
まさか一晩であれだけ大量にあったポスターが消えるとは思わなかったが、それこそ女性が男の子を探す必要がなくなったからと思えば、納得がいく結果だ。
「まぁでも、引き渡してよかったのかは微妙だけどな」
どうしてあの男の子は、女性から逃げ回っていたのだろうか。
男の子の腕を掴み返した時にチラリと見えた顔や腕には、まるで殴られたようなアザがあったのが印象に残っている。手には未だに、妙に細すぎる骨ばった腕の感触と一緒に、小さな後味の悪さが残っていた。
しかしもう、男の子が逃げていた理由について、知る方法はない。
「でもさでもさ!」
虎太郎が妙に楽しそうな声を上げる。
「『夕暮れ少年探偵団』としては、なかなか良いスタートなんじゃない?」
「たしかに! 今回はちゃんと解決できたもんな」
「……いやもう勘弁してくれ」
妙に楽しげな遥斗と虎太郎を見ながら、雪弥は疲れ切ったように大きな息を吐いた。