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15.同じだ


富永とみなが……さん」


 思わず口を突いて出た、その呼びかけに応じるように――。

 鮮血の滴るピッケルを手にした富永さんは……ゆっくりと、返り血に真っ赤に汚れた顔をこちらに向けた。


 『あの状態』になってしまったのか――。

 そう判断して、僕や泰輔たいすけは思わず、いつでも抵抗出来るようにと手製の槍を握り締める。


 だけど――違った。


 僕らを見る彼女の目は、あの不快な痙攣はしていなかった。

 真っ直ぐ焦点が合っていて……僕らを、僕らとして認識しているのが分かる。


 ただ、じゃあまともなのかと聞かれれば――素直に頷くことは僕には出来ない。


 落ちくぼんだ目と、その目つき……そしてぞっとするような凄みを感じさせる表情からは、およそ普通じゃない――狂気めいたものが窺えた。

 ホテルの前で会ったときも、違和感を覚えたけど……そのときの比じゃない。


「富永さん、君は何を……。

 そこの子供たちに襲われたの? それで身を守るのに――」


「なに言ってンの……?

 襲いに来るまで待ってたら遅いじゃない。

 だって――」


 僕の問いかけを遮って、富永さんは口を開く。

 それは、最初は恐ろしく冷たい、静かな調子だったのに……急に、スイッチが切り替わったように一転して、激しくまくし立て始めた。


「コイツら、夢を見てやがったンだよ!?

 アタシは知ってる、気付いたんだから! ――そうだ、気付いたンだ!!

 夢を見たヤツはああなるんだ! 襲って来ンだよ、食われて!

 頭からガリガリガリガリ囓られて! 丸呑みにされて! 真っ白く溶けるんだ! 真っ白くするのに邪魔なんだ、他の色! 色んな色が! 分かンないから塗りつぶすンだよ! 塗り替えるのに邪魔なんだ!

 だからその前に止めた! 殺して止めてやったンだ! 止めてやったンだよッ!!」


「富永、お前何言って……」


 岩崎いわさきが困惑気味にそう尋ねると、富永さんは……一瞬だけ、嘲るような笑みを浮かべたあと。

 また目を剥いて、何とも形容しがたい――ただ、表現するなら憎悪とか憤怒とかいったものが最も近いとは思う――醜悪な形相で、さらに言葉をぶちまける。


「アンタら気付いてないの? 夢ン中から覗き込んでいやがるんだよ、何か! 小さい何かが!!

 夢見たら見られる、ソイツが入ってくる! 食われるンだ! だからおかしくなるんだよッ! あの小さい――小さい小さい、小さい何かが……ッ!」


「な、何、なんなのよ……その、小さい何か、って……!」


 続けて芳乃よしのが問うと、今度は……まるで自らが発した言葉に怯えるように、明らかな恐怖の色が富永さんの表情を塗り潰した。


「し、知らない……知らない知らない! 知らない……ッ!

 ああ……で、でも知ってる、アタシは知ってる――!

 いるんだ……! アイツらはいやがるんだよ! 夢を見たがってる……!」


 富永さんの表情の変わり様は普通じゃなかった。

 恐怖に青ざめていたかと思うと、また、僕らに嘲笑を向ける。


「……あ、アンタたちは、白い色があるから、アタシと同じで気付いてると思ったけど……そうか、まだ気付いてないんだ……。

 なァんだ――じゃあ、コイツらと同じだッ!!」


 富永さんはいきなり、足下に転がっていた子供の死体――彼女が割ったのだろうその頭を、恐ろしいほどの勢いで踏みつけた。

 そして、噴き出し、飛び散る赤黒い――液体とも固体ともつかない何かに足を汚しながら、さらに何度も何度も踏みつけながら……天井を見上げて笑い出す。


「アハハ、アハハハハ!! コイツらと同じ、同じだよ! アレに食われて終わっちゃう!!

 終わりだ! 夢見て、見られて、終わりだよ! アハハ! アハハハハハ!!」


 そんな、背筋が薄ら寒くなるような笑い声をひとしきりあげたあと……。

 富永さんは、途端に僕らに興味が無くなったように……ついと視線を外した。

 そして――


「でも、アタシは気付いてる、気付いてるンだから……!

 お前らなんかに食われてたまるか、真っ白にされてたまるか……!

 逃げ延びてやる、生き延びてやる……!

 夢見てるヤツは殺して、お前らからは逃げ延びて……ずっと生き続けてやる……!

 みんな溶けて真っ白になっても、アタシは、アタシだけは生き延びてやる、生き残ってやる……!

 死んでたまるか……死んでたまるか……!」


 誰にでもなく、宙に向かってそうブツブツと繰り返しながら……ふらふらと歩き去っていく。

 僕らはそれを――ただただ、見送ることしか出来なかった。



 ……その後は、モールを出るまで……僕らは終始無言だった。



 入った場所から外に出て、入り口前の広場を半ばまで来た辺りでようやく……泰輔が、ぽつりと口を開いた。


「富永、アイツ……パークから出て、ホテルに集まってからは全然会わなかったけど……何があったんだろうな……」


 僕が最後に富永さんと会ったのは、ホテルを逃げ出す少し前だった。

 そのとき既に、少し様子がおかしかったのは確かだから……ホテルに滞在していた間に何かあったのは間違いない。

 だけど、彼女をあんな風にした原因が一体何だったのかとなると……それはまるで分からない。


 でも――確かなことはある。

 僕は声を潜め、あまり他には聞こえないようにして、泰輔に告げた。


「……これから、あんな風になる人はどんどん増えていくんだろうね……」


「そうだな……この状態が続く限りは、そうなんだろうな。

 ――でも富永のヤツ、おかしくはなってたけど……言ってたことの全部が全部、ただの妄想だとは……思えないんだ」


 首を捻りながら、泰輔は言葉を続ける。


「眠るって行為に危険があるんじゃないか――ってことは俺たちも話してたけど、アイツが言ってたみたいに……その上で、『夢を見る』ってことも1つのポイントなのかも知れない。

 ――小さい何か、ってのは……とりあえず置いとくとしてさ。

 思い返せば……古宮こみやのヤツも、ああなる前、寝てるときに何か寝言みたいなこと言ってた気もするし。

 それにそう考えれば、寝てるヤツみんながみんな、『あの状態』になるわけじゃないってことの理由にもなるだろ。

 ……実際、俺は今のところ、寝たときに夢見た記憶は無いしな」


 これなら納得出来る、とばかりに頷く泰輔。

 でも、彼の仮説を聞く僕は……何と言うか、底知れない気持ち悪さを感じていた。



 なぜなら……僕は、見ていたからだ――夢を。

 何度も、確かに、鮮明に。



 内容は……どうしても、思い出せない。

 でも、見たことだけは間違いない――。


 一瞬、打ち明けておくべきじゃないかと思ったものの……迷った末、僕は結局、何も言い出すことが出来なかった。

 あくまで仮説の上での話なんだし、別に大したことじゃないかも知れない。

 でも――


「――だから、とりあえず休むときは、夢見てそうなヤツはすぐ起こすようにすれば、もしかしたら未然に防げる……って、何だ景司けいじ、どうかしたか?」


「あ、ううん……何でもないよ」


 ……でも、怖かった。

 打ち明けることで、この状況で、みんなから異質な存在と見られるかも知れないのが怖かった。


 いや、それだけじゃない――。

 何よりも、自分が自分を、異質だと認識してしまうのが怖かったんだ。


 きっと、僕は運が良かっただけなんだ――そう言い聞かせながら顔を上げると、否応なく、あのまるで動かない、夕日とも朝日ともつかない金色の太陽が目に入る。



 それはやはり、嗤っているように思えた。

 懸命にもがく僕らを。


 そして――僕を。



 ふと、唐突に吐き気がした。

 記憶が揺さぶられる、あの感触――。



 ――そんなはずは無いのに。ありえないのに。


 あの太陽を、あの嗤笑を――かつてどこかで見たような気が、した。



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