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-Ⅲ- 白い闇に、にじり寄る夢が覗く

1.増えている


 後ろから、声を掛けられた。

 何でも知ってる、金色のカタツムリだ。



〈危ない、危ないよ!〉



 僕は答える。


 ――危なくなんてないよ。



〈ピエロが来るよ。近付いてくる。

 真っ白、のっぺりなピエロが来るよ!〉



 ――ピエロだからね。



〈見ちゃダメだよ! 小さいんだ、ホントは!

 とっても、とっても、とっても!〉



 ――小さかったら見えないよ。



〈でも見えるよ。でも見ちゃダメなんだ!〉



 ……ふと、気付いた。


 金色のカタツムリの向こうに――。



 色とりどりの、風船が見えた。



〈ダメだよ! 知ってしまう!〉



 ぞくりとした。


 風船を持った小さな男の子が、見えた。



 ……見てしまった。





「――ッ!?」


 目を見開く。何度も瞬きする。

 視界に映り込む光景は、一転して別のものになった。


 それは、太陽の光に赤く色付く……白い天井だ。



 ――夢を見てしまった……!?



 ぎくりとした。

 思わずシーツをはね除け、勢い良く身体を起こす。


「おい、大丈夫かっ?」


「え!? あ……」


 いきなり横合いから声をかけられ、僕は変な声を上げてしまう。


 そうだ……眠るときには、誰かが見張りをすることになっていたんだった。


 僕の寝起きが普通じゃなかったからだろう――その見張り役だった岩崎いわさきが、ゆらりと立ち上がる。

 心配そうな表情で……けれど、血糊で汚れたままの鉄の棒を、しっかりと握り締めて。


「まさか、夢――見てたのか?

 なのに、起こす前に起きたのか……?」


 岩崎の尋問のような一言に、僕は慌てて顔に苦笑を作り、右手を揺らして見せた。


「夢?――まさか、違うよ。

 多分、寝返り打ったときだと思うんだけど、何か右手が変な風によじれてたみたいでさ……痛くなって、びっくりしただけだよ」


 僕の答えに、岩崎は僅かに目を細めるも……僕がまともであることはすぐに納得したらしく、大きく息を吐きながらパイプ椅子に座り直した。

 手にしていた鉄棒も、元通り壁に立てかける。


「驚かすなよな〜……。

 さすがに、友達の頭をかち割るようなことはしたくないんだからさ……」


 苦言をもらす岩崎に、僕は驚かせたことをなおも何度か謝った。

 とりあえず、僕が夢を見ていたことは悟られずに済んだらしい。



 ――今度もまた、彼女の夢だった。



 そう、それは、気付けばいつしか記憶に残るようになっていた……そして、以前から見ていたような気もする、金色のカタツムリの夢――。


 小さく頭を振りつつ、ふと枕元のスマホを手に取る。

 ……表示時刻は1時だった。

 眠る前の表示が99時半ごろで、100時になる瞬間表示が0時に戻ることを考えると、大体1時間半近く眠っていたことになる。

 最近めっきり慣れてしまった小休止としては、ちょうどいい時間だ。


 枕元に置いてあるもう1つのもの――拳銃を取ってベルトに挿すと、僕はベッドから起き上がった。


「……日記、付けなくていいのか?」


「え? ああゴメン、忘れるところだったよ。ありがとう」


 寝起きから神経を使ったせいか、少しぼうっとしていたみたいだ。


 僕は岩崎の指摘してくれた通り、ベッド脇に置いていた荷物からノートを取り出すと、続きのページに少し覚え書きを足し……。

 その後、背表紙を開き、逆側からさらに、経過した時間も書き込んでおく。


 ……この記録は、もうすっかり僕の習慣になっていた。

 太陽は動かず、さらにスマホに限らずあらゆる時間の表示が、一向に日数だけは前に進む気配を見せないから……暫定的に何日が経過したかを、こうして計算しているんだ。


「……それで、結局何日目になるんだ?」


「あくまでパークを脱出してホテルに戻ってから、だけど……。

 時計の通りだと信じて計算するなら、これで15日目に突入、かな」


「……10日前後だろうと思ってたけど、そっか、もう2週間過ぎてるのか……。

 長いんだか短いんだか、よく分からないよな……」


 岩崎の言葉に、僕は相槌を打つ。

 太陽がまったく動くことなく、時計も、実際のところどれだけ正常に時を刻んでいるのか検証する術がないこの状況下だと、人間の時間感覚っていうのが、本当にどれほど曖昧かを痛感させられた。


 いや――あるいは長く過ごせば過ごすだけ、そういった感覚がおかしくなっていくのかも知れない。

 それとも、これも一種の適応なんだろうか……。



「……それで、泰輔たいすけは? 見回りにでも行ったの?」


「ん? ああ。

 この辺り、アイツらの被害は少ないみたいだけどさ、だからって油断は出来ないからって」


「――そうだね。着実に増えていってるみたいだし……」


 ベッドを下りると、ブラインドのかけられた窓に近付き、指で隙間を作ってそっと外の様子を覗き見る。


 ……僕らが今いるここは、鐘目かなめ市内の中心からは少し外れた……やや古い建物が雑多に並ぶ区域にある、小さな診療所だ。

 休息を取るためとはいえ、病室のベッドを使うというのは正直あまりいい気分ではなかったけれど、背に腹は代えられない。



 ――この2週間ほどの間に、『あの状態』に陥る人間は着実に増えていた。

 そしてその事実は、化け物のようになった人間が増えるという言葉通りの意味だけじゃなく……何よりも、未だ何とか正常でいる人間同士の恐怖に根ざした疑念に油を注いで、不安を限界まで煽るという、忌まわしい効果があった。


 今では外を出歩けば、構図はどうあれ、1日に1回は人と人の争いが見られると言っても決して言い過ぎじゃないぐらいだ。


 そんな状況だから――ここのようにちゃんと寝床、しかも荒れていてもそれほど血に汚れていない場所っていうのは、貴重だったんだ。


「ちょっと、僕も様子を見てくるよ」


 窓から見える、診療所裏手の駐車場とその周辺に泰輔の姿は無かった。

 大丈夫だとは思うけど、万が一のときのことを考えて少し外を確認してこようと、ベッド脇に立てかけていた手製の槍を手に、岩崎に断って廊下に出る。


 すると、隣りにもう1つある、女子が使っている病室からも、ちょうど芳乃よしのが出てくるところだった。


「あ――景司けいじ。どう、少しは休めた?」


「うん、まあ、何とかね……。そっちは?」


「ああ、あたしは見てた方。

 ミキが起きたから、ちょっと顔でも洗ってこようと思って」


「そう。――美樹子みきこの調子はどう?」


 僕の問いかけに、芳乃は少し表情を険しくする。


 僕らの中でも、美樹子は特に、ここのところ精神的に参っているようだった。

 気心の知れた人間が集まって、励まし慰め合うから何とかまだ平静を保ててはいるけれど……そうじゃなければいつ、富永とみながさんのように――おかしな言い方だけど、『あの状態』とは違って、ある意味真っ当に――狂気に侵されても不思議じゃない状態だ。


「……こんな状況にいる限り、良くなんてならないでしょうけど……今のところはまだ大丈夫よ。

 元気があるとは言えないけど、正気は保ててる。ただ――」


 芳乃は眉間に皺を寄せながら、口元に手をあてた。


「眠る前とかは特になんだけど、昔のこととか家のこととか懐かしんでさ、戻りたい帰りたいって、よく泣くの。

 ……まあね、それ自体は、あたし自身、自分に言い聞かせるつもりでなだめたり元気付けたりすれば済むことだけど……。

 問題は、そんな状態で眠ったりしたらあの子、夢を見ちゃうんじゃないか――ってことなのよね……」


「ああ、うん……」


 現に、夢というものを見たばかりだった僕は、気まずさを感じながらただ頷く。


 ――今の僕らにとって、夢とは特別な意味があった。

 その原理なんてまるで分からないけど、奇しくも富永さんが狂気の中で告げたように……僕らは、『あの状態』になってしまう原因がきっと夢にあるのだと、この2週間ほどの経験から、半ば確信していたからだ。


 現に、『あの状態』になる人間がどんどんと増えている現状にあっても、眠るときには見張りを置き、夢を見ていそうだと疑ったらすぐに起こすようにしている僕らの中からは、そうなる人は出ていない。


 それに、富永さんと同じように、夢の中に『何か』を見た人はいるらしく……そのことをしきりに――とても正常とはいえない雰囲気ではあったけど――街角で叫んでいる姿を何度か見かけたから、というのもある。


 そして、そんな風に認識しているからこそ――僕が起きたとき、夢見を疑った岩崎はその手に凶器を握り締めていたんだ。

 いざというときには、今やすっかり慣れてしまった――『殺してでも止める』という選択肢を取るために。


 ただ……少なくとも、僕は。

 誰かに起こされることなく夢を見続ける、ということを何度も繰り返していながら――それでもまだ正常でいる僕だけは……。

 夢を見ることだけが、『あの状態』になる唯一の引き金じゃないってことを、誰よりも身をもって知っていた。


 けれど、その数を重ねるごとに、僕自身がどこか異質であると証明されていっているような気持ち悪さがあったし……。

 何より、今や夢見そのものに恐怖を抱いている友人たちに疑惑をもたれたりしたくなかったから、まだその事実は誰にも言えずにいた。


「――でも芳乃、もし美樹子が夢を見たとしても、注意しておいてすぐに起こしてあげれば大丈夫なんだし……」


「それはそうだけど……。

 見ていてすぐにそれと分かるような夢見じゃなかったり、見張りのあたしまでつられて寝ちゃう可能性を考えると……やっぱり、ちょっとね」


 珍しく弱気な発言を繰り返すあたり、芳乃も疲れているんだろう。


 僕は二言三言、芳乃を僕なりに励ましてから、顔を洗いに洗面所へ行くという彼女と別れ……短い廊下を突き当たりまで行って、待合室の方へ出ようとする。


 そして、そこでふと視線を向けた診察室――。

 その中の光景に、僕は思わず足を止めていた。



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