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2.皮肉だった


 診察室の方を見た僕は……ぎょっとした。


 ドアの小窓越しに映る、どう見たって診察室のものじゃないその光景に――確かに、見覚えがあったから。



 白い壁に囲まれた真っ白な部屋。白衣を着た男たち。

 そして――彼らに観察される、芋虫のような姿に拘束され、のたうつ子供。

 無機質で、冷たく、乾燥した光景……。



 見覚え……?

 そうだ、でも違う――何だろう、この異様なまでの臨場感は……。


 掻きむしりたくなるほどに胸焼けがする……平衡感覚が無くなるほどに目眩がする……なのに、なのに……目が、離せない――。


 これは幻だと分かっている、幻覚だと理解しているのに……



「……どうやら、少なくとも言語感覚だけは戻ってきたようじゃないか」

「当初は聞くに耐えませんでしたが。

 数値上も、様々な面で沈静化が進んでいます」



 どうして――どうして白衣の男たちの声が、そして――



「あ――ア、あ――!

 あア! イイいイッ、アア、あ――ッ!!」



 そしてあの子供の、どこか人間離れした金切り声が、はっきり聞き取れるんだ……!?



「では、いずれは回復するものだと?」

「それはまだ何とも。

 免疫のようなものが存在するのか、境界線の問題なのか、あるいは一種の擬態なのか……とにかくもうしばらく経過を観察しないことには」

「観察――か。

 あるいは、こうする我々も観察されているのかも知れないな――から」



「イイあアッ、あア、あアいあ――ッ!!!」



 ――僕を呪縛から解き放つきっかけになったのは、子供の金切り声だった。


 視線を、半ば力ずくで診察室の小窓から引き剥がし――異様な胸焼けによる吐き気を必死に抑え込みながら、待合室の中に転がり込む。



 地震と略奪で物が散乱し、荒れ放題になっている小さな待合室……。

 その光景が、いかに退廃的なものだろうと――これまで通りであることに、僕は安堵すら覚えていた。


 長椅子の端に倒れるように座り込むと、手製の槍を床に放り出し、何度も何度も深呼吸して、ただただ動悸を静めようと躍起になる。


そうしているうちに……気付けば、玄関のガラス戸を押し開いて、泰輔たいすけが外から戻ってきた。


「あ……ああ、お帰り、泰輔……」


「おう、起きたのか。

 ……って、景司けいじお前、大丈夫か? 顔色悪いぞ?」


 挨拶もそこそこに、泰輔は怪訝そうに僕の顔を覗き込む。


「……そう――かな?

 うん、大丈夫、何でもないよ……」


 余計な心配はかけまいと、無理矢理にでも笑顔を作る。

 すると、空元気の効能なのか、それともやはり何もかも幻だったからか――あれほど酷かった胸焼けが、嘘のように収まっていった。


「そうだ、泰輔、それで外の様子は……どうだった?」


「ああ……そうだな。

 取り敢えず、いつものようにと言うか……この島の人口が減る、そういう場面には出くわしたよ」


 1人で外にいる間、ずっと気を張っていたのだろう――。

 泰輔は、ようやく人心地ついたという風に大きく息を吐き出しながら……僕とは違う列の長椅子に、どっかと腰を下ろした。


「……そう」


 今となっては悲嘆に暮れるほどのことではないけれど――それでも、決して嬉しいものとは言えないその報せに、僕はただ頷くしかない。


「ただ、皮肉だったな……。

 ――ほら、2、3日ぐらい前にアーケードの方でさ、人助けしてる医者を見かけたこと、覚えてるか?

 こんな状況になったばっかりのときは、同じような行動してる奴はもうちょっといたけど、最近はほとんどいなかったから、随分久しぶりに見たような気がするな――って話した……」


「ああ……うん、いたね、そう言えば。

 生き残った人間同士、協力し合ってこの過酷な事態を乗り切ろう――って、呼びかけてたっけ……」


 僕の脳裏に浮かんだのは……2つのグループの諍いに割って入り、身を挺して仲介をしていた、白衣の男性の姿だった。


 その志と行動は、人間として素晴らしい、立派なものだろう。

 僕だって、穏やかな日常の中にあったなら感銘を受けて、素直に共感したかも知れない。


 だけど――この異常な状況にどっぷり浸かった今となっては、僕にしろ泰輔にしろ、そういったことをどことなく愚かだとさえ感じる、冷ややかな目線が出来上がってしまっていた。


「それで、皮肉、って?」


「ああ。さっき殺されたのが、その医者だったんだよ。

 それもよりによって、そいつが保護してたらしい、女子供を中心にした一団に袋叩きにされてな。

 ……何か、『あの状態』になったと疑われるような言動をしちまったのか、それともただのパニックの延長なのか……そこまでは分からねえけどさ」


「そう……」


 確かに、皮肉な話だと思う。

 ただ、可哀想だとか、酷い話だとか……そういった感情は、まったく無いわけではないけれど、ごく小さなものしかなかった。


 ――これも、慣れ、なのかも知れない。


 僕らを取り巻く今の世界には、とにかく死が多すぎる。

 未だ腐敗の兆候すら見せず、瑞々しいとさえ言える骸が、街中ありとあらゆるところに転がっているのだから。

 生きている人間というより、生そのものが――この世界の中にあってはむしろ異質なんじゃないかと、そう錯覚するほどに。


 だから、自分たちに直接関係のない『死』というのは、当たり前に周囲に存在する、ありふれたものの1つでしかなくて……。

 今となっては、特別な感情を強く呼び起こすほどのものじゃなくなっていたんだ。


 その奇妙な冷静さは、感覚の麻痺なんて表現はとっくに通り越した――たとえて言えば達観とか、そういった領域に踏み込んでいる証という気もする。


 ……ということは、もしかしたら、あるいは――


 僕の頭の中には、ふっと1つの考えが浮かんだ。

 それを、ただそのまま口に出す。


「人間じゃ無くなってきているのは、僕らなのかな……」


「……さあ……どうだろうな」


 あくまで独り言のようなものだったのだけど……そこから泰輔は、僕の考えていたことを察したらしい。

 一言そう言って、立ち上がった。


「俺は、むしろ――今の俺たちの方が、実はよっぽど人間らしいんじゃないかって……そんな風にも思うけどな」



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