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14.まさか


 ……市庁舎に戻ってからも、しばらくの間は、何をする気も起こらなかった。


 トンネルで遭遇した恐怖の記憶に怯え、進む道も友達も失った絶望に、圧し潰されそうで――。

 だけど、このまま塞ぎ込んで何もしないでいれば、いずれ本当に恐怖と絶望に負けてしまう……そう危機感を覚えるだけの理性は、まだ残っていた。


 だから僕は、何とか正気を保ち、生き延びる意志を持ち続けるために――せめて何らかの作業に没頭しようと、図書館へ通うようにした。

 島を出るための新しい可能性を探り、とにかく資料を漁る――それは、僅かでも希望を繋ごうとする上でも打って付けだったからだ。


 泰輔たいすけも、トンネルから戻ってきてすぐの頃は、僕と同じように無力感を抱いていたようだけど……やっぱり、このままではいけないと自分を奮い起こしたんだろう。

 気付けば、彼も色々と調べ物をしているようだった。



 けれど――どうしてだろう。

 僕らの関係は、今までのものとはどこかが、何かが……違ってしまっていた。



 何かあればお互いに協力はするのだけど、会話は随分と減って――気付けば泰輔からは、僕と一緒にいるのは生き残るための義務でしかないとでも言いたげな、そんなどこか冷めた空気が漂っていた。


 もしかすると、芳乃よしのに次いで、何かと美樹子みきこのことを気に掛けていた泰輔だから……彼が居合わせないときに、僕が独自の判断で彼女を撃ち殺したことが、わだかまりになっているのかも知れない。


 一方、芳乃は――もう自分で何かをしよう、なんて意志は無くて。

 時折、彼女だけが見えている恐怖に、狂ったように怯え、身を震わせながら……それ以外はただぼうっと時間を過ごすだけだった。


 そして――そう、ユリは……そんな僕らを、僕の傍らで、ただ心配そうに見つめていた。

 今もそうだ、日記をつける僕の近くで、その様子を見ている。

 変わったところはない、何も。――何も。



「そうだよな……」


 ノートの余白に何となく書いていた疑念に、今の心中そのままに『まさか』と付け足して、僕は日記を閉じた。


 ……改めて思い返しても、あのトンネルは、存在そのものが悪夢のようなものだった。

 だから、あの中で見聞きしたことなんて、何一つとして信用出来るものじゃない。

 わざわざ思い出して、考え直すほどのものじゃない。


 いや、むしろ――考えない方がいいんだ。平静を保つためにも。


「どうかしたの?」


 ユリの問いに、何でもないよと首を振りつつ、僕はさっきまで開いていた郷土史の本を適当に机の端に片付ける。


 今日もこうして、図書館で色々な資料を漁ってみたけれど……槻島つきしまトンネル以外のルートについて、めぼしい情報は何一つ無かった。

 こうなると本当に、海を渡るために、船をどうにか動かすことを考えるしかないのかも知れない――。


 取り敢えず、数時間も通して調べ物を続けたので目が疲れていた僕は、一度休憩室に戻って休もうと、図書館を出る。



 瞬間――パァン、と乾いた炸裂音が、エントランスの方から響いてきた。



「今の……!」


 ……間違いない、銃声だ……!

 泰輔が、僕らより先に図書館を出て行っていたことを思い出した僕は、とにかくエントランスへと走る。


 そこには――



「泰輔……」



 銃口から細い煙を棚引かせた拳銃を、ゆっくりベルトに戻す泰輔と……頭から血を流して倒れた、金髪の女性の姿があった。

 ――エマさんだった。


「これは……何が……」


「何ってほどのことでもねえさ。

 ――この女、いきなり襲って来やがったんでな」


 エマさんの死体をじっと見下ろしたまま、泰輔は淡々と答えた。


「まさか……」


「何が『まさか』なんだ?」


「え? あ、うん、この前会ったときは……そんな、おかしいって感じじゃなかったから。

 だから、少し意外で……」


 泰輔の鋭い問いかけに、僕はそんな程度の答えを返すのが精一杯だった。

 エマさんは何かを知っていたようだから、泰輔を襲うような状態になるなんて思えない――そんな正直な考えは、とてもじゃないけど口にする気になれなかった。


「それで泰輔、怪我とかは……?」


「ああ、大丈夫だ。

 ――それで景司けいじ、お前はどうしたんだ?」


 泰輔はようやく、ついと視線をこちらに向ける。


「僕は……ちょっと疲れたから、休憩室で休もうと思って。

 そうしたらいきなり、銃声がしたから……」


「そうか、驚かせて悪かったな。

 死体は俺が片付けとくから、お前は休んでろよ」


「あ、でも……泰輔は?」


「俺たち2人が同時に休むわけにもいかねえだろ? 一応は。

 片付けが済んだら、お前が起きてくるまで適当に、あの部屋で、太陽が動いてないか確かめたりしとくさ」


 泰輔は微苦笑を浮かべながら肩をすくめる。

 ……泰輔が言っているのは、以前ペンで窓ガラスに太陽をなぞった、あの部屋のことだ。


 トンネルから戻ってきて以来、彼は何もしていないときは大抵、あそこで太陽を観察していた。


「分かったよ。

 ――太陽、動いてれば……いいんだけど」


「そうだな。

 そうしたら……揺さぶって、勢いをつけてやらないとな――思い切って」


 僕は、泰輔は何か冗談を言っているのだと思った。

 だけど、その表情は――どこか思い詰めたような、鬼気迫るほどに真剣なものだった。


 何となく、その迫力に、これ以上かける言葉を失って……僕は休憩室に戻ろうと階段室へ向かってきびすを返す。

 ……けれど、それを当の泰輔が呼び止めた。


「なあ景司、もう1回聞かせてくれ。

 美樹子を撃った、あのとき……アイツは、『あの状態』になっちまってた、そうだな?

 確かに――見たんだな?」


 まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかった僕は、少しの間言葉に詰まった。

 どう言うべきか迷ったけど……ただ純粋に、事実だけを答えることにして、頷く。


「うん――間違いないよ。確かに、そうだった」


 僕の答えに、そうか、とだけ言って頷くと、視線をついと周囲に走らせる。


「――それで景司、ユリは? 一緒にいるんじゃないのか?」


「え? ユリなら……」


 泰輔にならうように、視線をぐるりと一回りさせる。


 さっきまですぐ側にいたはずのユリは、いなかった。

 もしかしたら、先に休憩室の方へ行ったのか――あるいは、銃声もしたことだし、芳乃が大丈夫かどうか、様子を見に行ってくれたのかも知れない。


 僕がそのことを告げると、泰輔はまた、そうか、とだけ短く答えた。


 そして、その後はただじっと――僕がエントランスを立ち去るまで、エマさんの死体を見下ろしていた。



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