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13.帰りたい


 その一瞬での世界の暗転は、あまりにも鮮やかで――。

 懐中電灯が消えたのか、照らすことの出来ない大きな闇が覆い被さってきたのか、初めから闇しかない景色を見ているのか……それすら分からなくなる。


「みんな、落ち着いて!

 見えなくてもほとんど一本道なんだ、落ち着いてすぐそこの脇道へ入って――」


 何とかしようと大声で指示を出すも、すぐにそれは別の――もっと衝撃的な悲鳴に塗りつぶされてしまった。


「あああああっ!? や、やめろ! やめろォ!!

 み、見るな! 見るな見るな見るな見るなあっ! アア、アアァァァ――!?」


 恐怖に染まりきった絶叫が、その底知れない恐怖を、容赦なく撒き散らす。


 一条の光もない真の闇の中、すぐ側で、誰かに何かが起こっている――。

 そう思うと、もう僕自身、落ち着こうとか、何とかしようとか、そんなことを考えていられる状態じゃなくなっていた。


 夢中で、何とか場所を覚えている脇道へ入り込み、手探りしながら、ひたすら真っ直ぐに来た道を戻り続ける。


 その間も、追い立てるように、嘲笑うかのように――。

 耳の奥ではあの不快な『声』が渦を巻いて、一色に染まった闇の中では、何かが――そう、きっと『小さい何か』が、こちらを凝視しながらざわついていた。


 ……ここはもう違う、人の世界じゃない、人のいられる場所じゃない……!



 僕は逃げた――。


 一面の闇の中を、

 血で真っ赤に染まった赤いカーペットの上を。


 一面の闇の中を、

 芋虫のようにのたうつ子供がいる白い部屋を。


 一面の闇の中を、

 男の子と女の子が話す教室の中を。


 消えては現れるはっきりした光景と、はっきりしない光景の混沌の中を。

 ――地獄と悪夢の境界線を。


 何を踏みしめているかも分からない足で、

 何に触れているかも分からない手で、

 必死にもがき、地上を目指してただひたすら、僕は逃げ続けた。



 そうして、気が付けば――。

 いつの間にか僕は、あの毒々しい太陽の光を全身に浴びながら……トンネルの入り口前に立っていた。


 けれど――すぐ後ろではまだ、嫌な響きのある声が、していた。



「帰りたいィぃッ!

 帰りたい、帰りたい帰りたい帰りたいよぉォーー!!」



 頭を抱え、髪を振り乱しながらそう繰り返しているのは――美樹子みきこだった。


 僕に気付いているのかいないのか、何度も何度も同じ言葉を繰り返しながら近付いてくる美樹子。


 ……そして、限界まで見開かれた、その大きな瞳は――


「うわあああっ!」


 僕は銃を抜いていた。そして、無我夢中で立て続けに引き金を引いていた。

 正確に狙っている余裕なんてなかった。


 それでも、距離が近かったから何とか命中したんだろう――。

 美樹子は、弾かれるようにして勢い良く仰向けに倒れ込んだ。


 その頭を中心にして……乾いた地面に、血溜まりが広がっていく。


「はーっ、はーっ、はーっ……!」


 ……銃が、とにかく重かった。ただ持つのも億劫なほどに。

 それでも、だらりと下がった手を必死に持ち上げ、ベルトに戻していると――



「何で――何で撃った!」



 いきなり横から肩を掴まれた。

 僕の目の前には、今まで見たこともないような泰輔たいすけの形相があった。


「泰、輔――」

「答えろ景司けいじ! 何で撃った! 何で美樹子を! 何で!」


「何で、って――」


 不意に、かっとなった。

 身を守るために必死だっただけなのに、謂われのない非難を一身に受けている気がして。


「そんなの決まってるじゃないか! 泰輔は見てなかったの!? 目が痙攣してた! あの嫌な動きになってた、『あの状態』になってたんだ!

 だから、こうするしかなかったんだよ――!!」


 ふっと、肩を掴んでいた泰輔の手から力が抜けた。


「『あの状態』に? まさか――ウソだろ?」


 込められていた力と同じに、急速に怒気の失せていく泰輔を見ていると、僕自身の高ぶりも合わせて――どうして頭に来たのかすら分からなくなるほどに、しぼんでいく。


「……本当、だよ。

 でなきゃ、誰が好き好んでこんなこと……!」


 視線を落とす。

 泰輔は、そんな僕の脇を抜けて、倒れた美樹子の側にしゃがみ込んだ。


「……美樹子――」


「しょうがなかったよ、景司くん。しょうがなかったんだよ……」


 ぎゅっと僕の服の裾を掴んで、絞り出すような声でそう慰めてくれたのはユリだった。


 さらに、足音がするので顔を上げると――ちょうど芳乃よしのも、よろよろとおぼつかない足取りでトンネルから出てくるところだった。


 この暑いぐらいの気候の中で、それでも寒いというのか……自らの身体を両腕で掻き抱き、歯の根をカチカチと鳴らしながら。

 そんな芳乃は、美樹子の近くまで歩み寄ると……その亡骸を見下ろす。


「ミキ……見られたのね……。

 見たりするから……見られるのよ、見るのよ……。

 バカな子……甘えてたって……誰かが何とかしてくれるわけもないのに……。

 じ、自分で、自分で逃げるしかないのに……あの、あの小さな……白い小さな……混沌……そう、混沌、混沌……!

 見られないように……見られないように……! み、み、見られないように――!」


「芳乃、君は……」


 ぶつぶつと、誰にでもなく言葉を呟き続ける芳乃――。

 その虚ろな表情にはいつもの気丈さどころか、生気すらなかった。


 声を掛ければ、反応もするし、まったくコミュニケーションが取れないわけじゃないけれど……そこには僅かな、けれど致命的なまでのが――生じていた。


「芳乃も……見ちまったんだな。

 きっと、富永とみながと同じ、『何か』を……」


 泰輔の悲痛な言葉に、僕は力無く頷くことしか出来なかった。



 ――そして、それから3時間待ったけれど……結局、岩崎いわさきだけは戻ってくることがなかった。



 僕と泰輔は、手近な道具を使って穴を掘り、美樹子を埋葬すると……芳乃とユリを連れてその場を後にした。

 ほとんど会話らしい会話も交わすことなく、示し合わせたわけでもないのに、足の向くまま帰り着いた先は、あの市庁舎で。


 そして、僕も含めて残った4人――もう一度あのトンネルに潜ろうだなんて、誰一人口にはしなかった。



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