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12.見るな


 悲鳴を上げたのは――美樹子みきこだった。


 慌ててそちらを振り返る。

 目指していた方向とは逆、土砂崩れの方を向いて……彼女は地面にぺたんと座り込んでいた。


 何があったのかと近寄った僕らは、すぐに理由を察し――反射的に顔を背ける。



 そこには……僕らよりも先にこのトンネルを通り抜けようとした人たちのものだと思われる死体が、幾つも幾つも転がっていたのだ。



 ただ、僕らを戦慄させたのは、そのことじゃない。

 死体なんて、もう散々に見慣れてしまっていたから――損傷の少ないものから、それこそ酸鼻極まる無残なものまで、数えられないくらいに。

 だから、どんな惨状が広がっていようと、そこまで動じることなんてないはずだった。



 ――そう、それが……死体なら。



「な、なんなんだよ、これ……」


 改めて、確認のためにそちらを向いたとき……岩崎いわさきは嫌悪感たっぷりにそう言い捨てた。


 転がる死体のうち多くは、頭が割れていたり、引き裂かれたりといった……ある意味、普通のものだ。

 だけど、その中に幾つも混じっていたんだ――悪夢が形になったとしか思えないものが。



 ……それは、人でありながら、人の形をしていなかった。

 四肢が、そして頭が――本来あるべきはずの場所でなく、自らの胸や腹の上、腰といった場所からんだ。



 そう、誰かが力ずくで切断したのを後から縫いつけたとか、そういった猟奇的な行動の比喩なんかじゃなくて――。

 本当に、生まれたときからそうであったかのように……胴体の不自然極まりない場所から、至極自然に――それらは生えていたのだ。


 そこに、白目を剥き、舌を限界までだらりと垂れ下げた死相が加わり――いやそれどころか、その顔からまた手足が生えているものまであるのだから……まさしく、狂気と悪夢からしか生まれようのない、最悪のオブジェだった。


「なに――なにこれ、なんなのよ……っ!?

 何が起こったら、こんなことに……」


 震える美樹子を抱いて、同じく震える声で芳乃よしのが呟く。


「――お、おい、ちょっと!

 なあ、こっちの、こいつって……と、富永とみながじゃねえか……?」


 少し離れた場所の、別の死体を見に行っていた岩崎が、真っ青な顔でこちらを振り返りざま……とんでもないことを言い出した。

 まさかと思いつつ、女子たちはひとまずその場に待機させて――僕と泰輔たいすけの2人で、岩崎のもとへと駆け寄る。


 一瞬、たくさんのはたきに埋もれているのかと思ったそれは……やはり、人の身体だった。

 はたきのように見えたのは、人間の指で……。

 指の数すら10や20と冗談のように無茶苦茶な人の手が、左右一対だけじゃなく、幾つも幾つも――倒れた胴体のあらゆる場所から生えて広がっていたのだ。


 そしてそんな悪夢めいたキノコのような、群生する手の苗床になっている胴体は、紛れもなく僕らの学校の制服を着ていて――背中と腰の境目辺りに、白目を剥いた見知った顔がにゅっと伸びていて。

 見る影もないほど、恐ろしい形相に成り果てていたけど……間違いなくそれは、富永さんだった。


「と、富永だ、確かに……。

 こいつも、ここから島外へ出ようとして――」



「見るな……混沌だ、原初だ……見ちゃいけない……」



 僕も、岩崎も、泰輔も――その瞬間、あまりに驚いて跳び上がりそうになった。


 ……喋ったのだ。

 到底生きているとは思えない状態になっているはずの、富永さんが――。

 男も女も、老人も子供も、色んな人間のものを重ね合わせたような……不気味な響きの囁き声で。


「見ちゃ駄目だ……混沌だ、本当の混沌なんだ、そうだ、原初なんだよ……見るな……何もかもがありえないんだ……生まれる前なんだ……混沌だよ、混沌……原初……分かるわけがない……見てはならない……ありえるんじゃない、決めうるんだ……見るな……混沌に……理解の外に……法則の外に……真理の外から……原初なんだ混沌なんだ、見るな……夢を見るな……見ないでくれ……見るな見るな……見るな見るな見るな見るな――!」


 愕然とする僕らの目の前で、富永さんの頭は囁き続けた。

 やがてその「見るな」の連呼が、徐々に、大きく強くなり始めて……このままじゃ女子たちに聞こえて、また大変なことになると危惧したその瞬間――。


 富永さんの頭は、急に静かになった。

 そして、それが当然のように……ぴくりとも動かなくなる。


「ねえ、ちょっと、何があったの? 今、声がしなかった……?」


 僕らの様子を訝って、芳乃が声を掛けてきたけれど――僕らは3人が3人とも、互いに顔を見合わせるばかりで、何も答えることなんて出来なかった。


 ただ……危機感が、急速に膨れ上がるのだけを感じる。

 今度こそ決定的に、これ以上ここにいてはいけないと、引き返せと、本能が狂ったように警鐘を鳴らしていた。


 そして、みんなに提案しようと口を開きかけたそのとき――。



 ざわり……ざわり……と。

 辺りを包み込む闇が、ざわついた。



 いや、音なんて何一つしていない。

 けれど、何か……はっきりそれと分かる、確かなざわつきが感じられたのだ。


 そしてその気配に伴って、あの、無機質な『声』が……。

 あの不快極まりない『鳴く声』が、どこからともなく聞こえて――いや、違う!


 これは音にもなってない! 耳の奥で『声』が直接、渦を巻き始めてるんだ……!

 微かに――でも確実に、少しずつ大きく、騒がしく……!


「なに――やだ……ヤダヤダッ! もうこの音ヤダあぁぁーーッ!!」

「くそっ! 何だまた、これ、どこから――!」


 頭に響く『声』に苛まれているのはみんな同じようだ。

 誰もが必死に耳を塞いだり、頭を振ったり、何かを引き剥がそうとするようにもがく。


「――ダメだ、もうこれ以上は危険だ!

 引き返そう、みんな! 引き返すんだ!!」


 僕は声を限りに叫ぶ。

 だけど、それが届いたかどうかを確認する間もなく、突然――


「うわあぁっ!」「ウソ、またっ!?」


 ……僕らの視界が、闇に包まれた。



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