「……寒い」
春の終わりとは思えない冷気が、肌をかすめる。
まるでこの場所だけが、季節から見捨てられてしまったようだった。
懐中電灯の光が、静かに空間を撫でる。
朽ちかけた椅子、転がった車椅子、黄ばんだシーツ、そして……壁に打ちつけられたままの掲示物。
空気は重く、動かない。
時だけが置き去りにされた部屋。
埃とカビと、微かに残る消毒液の匂いが混ざり、喉の奥に張りついた。
どこかに“何か”が潜んでいるような気配が、背中にまとわりついて離れない。
僕は床に落ちていた構内図を拾い上げる。
「病室エリア」「倉庫」「診察室」「院長室」……
翔太がどこにいるのかはわからない。
でも、もう戻ることはできない。
(……本当は、怖い。でも……)
その時――
奥の廊下から、きぃ……と、木が軋むような音が響いた。
息が止まる。
鼓動の音だけが、耳の奥に響いている。
足が勝手に動いていた。
⸻
「診察室」──
剥がれかけたプレートの文字が、懐中電灯に浮かび上がる。
ドアを開けた瞬間、空気が変わった。
ぴたりと止まる風。
光に照らされた診察台と、古びた器具。
乾ききった空間に残された無数の紙束。
それらは、まるで“読まれることを待っていた”かのように、机の上に積まれていた。
こんなにも多くのものを残したまま、なぜ閉院したのか。
まるで誰かに追われるように、逃げるように去った……
そんな気配だけが、空気に染みついていた。
院長が実験していた 地下に何かを隠した…
そう言った噂を思い出す。
背筋を冷たいものが這い上がる。
体の奥がざわざわと軋んだ。
無意識に、机の引き出しへ手が伸びていた。
軋む金具。鈍い音。
中にあったのは、変色した古いカルテの束。
手を止めた、その一枚。
『患者名:山口 誠也(7歳)』
(……動画で見た子だ)
光を当てながら、僕は文字を追った。
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『診断名:肺結核(急性期)』
『主訴:長引く咳、発熱、倦怠感』
『入院日:昭和47年4月2日』
『経過:持続的な咳、呼吸困難。抗生剤治療反応乏しく、徐々に衰弱』
『死亡確認:昭和47年4月12日 午後3時14分』
『備考:家族の……を知り……容体急変』
⸻
今では治せる病気。
だけど、50年前なら……子どもから命を奪うには十分だった。
たった7歳の子が、その苦しみに、どれだけ耐えたのだろう。
その時だった。
カサッ。
持っていたカルテから何かが落ちる音。
一枚の、折りたたまれた便箋。
拾い上げると、そこには、子どもらしい丸い文字。
⸻
〈かぞくのみんなへ
せいやは だいじょうぶだから あんしんしてね
でも みんなとは はやく あいたいな……〉
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かすれたインク。添えられた似顔絵は、微かに笑っていた。
でも、その笑顔は……どこか寂しげだった。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
寒気とは違う。
痛みでもない。
それは……感情の奥に沈んでいた、見えない何かだった。
遺された言葉。
ここにいたという証。
誰かを想い、残された“最後の手紙”。
その紙が、ほんのりと揺れた気がした。
風など吹いていないはずなのに――
それは、まるで“届いてほしい”という想いが、まだこの場所に残っているかのようだった。