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九話 霊との遭遇

僕は診察室を出た。


右手の廊下を進むと、重たそうな鉄扉が、ぽっかりと口を開けている。

空気の層が変わったような気がして、自然と足が止まった。


(……ここは、地下倉庫への入口か)


噂が頭をよぎる。

“院長が地下倉庫に何かを隠した”。という噂。


懐中電灯の光を差し込んでみても、奥は闇に包まれていて、何も映らない。

それでも、冷たい空気が、確かに肌を撫でた。


(他を探してから……だな)


喉を鳴らし、僕は一度踵を返す。

軋む階段を上がり、二階へと向かった。



二階は、廊下に色褪せた匂いが漂っていた。

古い病院特有の、埃と薬品の混ざったようなにおい。


小さな患者部屋、大きな共同部屋。

そしてその奥に、手術室とレントゲン室がひっそりと並んでいる。

どれも、時代に取り残されたような古びた造りだった。


僕は一番手前にあった小さな患者部屋の扉を押す。


きぃ……

鈍く軋む音が、やけに響く。


部屋の中には、ボロボロのベッドが一台。

壁紙は剥がれかけていて、角には埃をかぶった古い鏡が立てかけられていた。


懐中電灯を向ける。

反射で一瞬、目を細めたその時──


「……っ!」


鏡に浮かび上がった“それ”を見て、息が詰まった。


赤黒い血の手形。

じわじわと滲んで、浮かび上がってきた。


風が、どこからか吹き抜ける。

視界が埃に霞む中、


『お兄ちゃん……だれ……?』


その声が、耳元に囁くように届いた。


全身が凍りついた。

僕は反射的に振り返る。


そこに、いた。


動画に映っていた、あの少年。

カルテに書かれていた名前──誠也。


「どうして、ここに来たの?」


真っ黒な瞳が、じっと僕を見つめていた。

首をかしげながら、ぼろぼろの白い病衣をまとって立っている。


病的に痩せた体。

その細い手足は、揺れるたびにギシリと軋むように見えた。


「……友達を、探しに来たんだ」


喉の奥が張りつくようで、声が震えた。

それでも、目を逸らさずに言葉を続けた。


「彼らも僕も……この場所に踏み入って、本当に……ごめん」


霊は怖い。

でも、謝らなきゃいけないと思った。

ここは、この子の“家”なんだ。


少年は、沈黙のまま僕を見つめていた。


やがて、ぽつりと──


「……ここは、誠也の場所なのに」


その言葉と同時に、

少年の口元から、赤い液体がすうっと垂れた。


「っ……!」


次の瞬間。

僕の体が、何かに叩きつけられたように宙を浮いた。


そして、そのまま——


ドゴンッ!!


背中が壁にぶつかる。

懐中電灯が床を転がり、光が揺れた。


「ぐぁっ……!」


呻き声が漏れた。


目を上げると、誠也が宙に浮いていた。

怒りの滲む表情で、僕を見下ろしている。


しばらくそのまま見つめた後、

彼はゆっくりと背を向け、部屋を出ていった。


残された空間には、

冷たく、重たい沈黙だけが残る。


「い……てて……」


背中をさすりながら、なんとか体を起こす。


その時だった。


カツ、カツ……と、階段を上がってくる足音。


(……誰か来る?)


足音は、ゆっくりと、でも確実に近づいてくる。

僕は転がっていた懐中電灯を拾い上げ、構えた。


──そして。


その光が、僕の顔を照らした。


まぶしさに目を細める。


「先輩……!?」


聞き覚えのある声が響いた。


(……この声……!)


光の中から現れたその顔に、僕は息を呑んだ。


そこにいたのは──

驚いた表情の、美琴だった。



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