誰かが、階段を上がってくる——。
(……誰だ?)
全身がこわばった。反射的に息を殺し、身をかがめる。
足音はゆっくり。でも、確実に近づいてくる。
カツ、カツ、カツ……。
廊下に響くその音が、やけに不気味だった。
そして——
足音が、部屋の前でピタリと止まる。
ライトの光が、こちらを照らす。
「先輩!?」
まぶしさと一緒に飛び込んできたのは、聞き覚えのある声だった。
(……え?)
眩しさに目を細めながら、声の主を見る。
そこに立っていたのは——学校で出会った、不思議な雰囲気をまとった少女、美琴だった。
「美琴!?」
思わず、声が裏返った。
驚きと戸惑いが、胸の奥でぐるぐると渦を巻く。
こんな場所で、彼女と再会するなんて——想像すらしてなかった。
「どうしてこんなところに……?」
美琴が、不安そうに僕を見つめている。
その視線に息をつきながら、僕は少し肩をすくめて答えた。
「それはこっちのセリフだよ……実は友達を探しに来たんだ」
「お友達を……ですか?」
「そう。昨日の夜、ここに侵入した配信者達の中に僕の友人がいた可能性があってさ。そいつがまだ帰ってきてなかったから……もしかするとって思ってさ」
「配信、ですか?」
彼女はキョトンとして僕を見つめる。
「今朝、学校で話題になってたんだ。生配信で霊が映ったって」
「そう……ですか」
美琴がそっと視線を落とす。
その手には、小さな木彫りの人形が握られていた。
ボロボロで、犬の足が片方もげてしまっている。年季の入った、それでもどこか温かみのある形。
「美琴はどうしてここに?」
僕が尋ねると、彼女は静かに答えた。
「私は……これを届けに来たんです」
「それを……届けに?」
一瞬、意味が分からなかった。
届けるって……誰に?
でも、美琴の表情は真剣だった。冗談なんかじゃない。
「先輩……私は霊が見えるんです」
その一言に、鼓動が跳ねた。
「えっ……」
思わず言葉が詰まる。
「ここに住む霊……いえ、ここに“
男の子。
間違いない。彼女は、あの霊を見てる。
「実は……僕にも霊が見えるんだ」
口が、勝手にそう言っていた。
これまで誰にも話したことのない秘密だった。
でも、美琴には……なぜか話せた。
「ですよね」
彼女は微笑んだ。
「なんとなく、気づいてました」
「えっ、なんで?」
「霊から目を逸らす仕草、してましたから」
——どうやらバレてたらしい。
学校でも、見えてしまう霊を見ないフリしてた。それを、見抜かれてたなんて。
「あの子を……一緒に探しに行きましょう、先輩」
美琴の声は、まっすぐだった。
「見えてる以上、霊との関わりは避けて通れません」
彼女は僕の考えを理解しているかのようにそう告げてくる。
「っ……」
分かってる。分かってるけど……怖いんだ。
母さんが霊に襲われた、あの夜のことが頭をよぎる。
「それに、私と一緒にいれば安全ですから」
そう言って笑った美琴の顔は、どこか頼もしかった。
…………。
確かに…彼女となら——翔太を見つけられるかもしれない。
「わかった……一緒に探そう」
そう答えると、美琴が手を差し出してきた。
そっと、その手を握る。
立ち上がった瞬間、まだ膝が痛んで少しだけよろけた。
美琴がすっと支えてくれる。
「ありがとう」
その温もりが、不思議と怖さを和らげてくれた。
——そして、僕たちは手術室へ向かった。
廊下の空気が重たい。
消毒液の残り香と、金属のきしむ音が静けさを破る。
……気配がある。
確かに、“何か”がいる。
そのとき——
姿を現した。
誠也。
病衣を着た小さな男の子の霊。
痩せ細った体に、寂しげな瞳。その目が、こちらを見つめていた。
美琴が、一歩前に出る。
「もう大丈夫……寂しかったよね」
人形を胸元に抱えて、ゆっくりと歩み寄る。
でも——
「来るな!!」
鋭く、叫び声が響いた。
次の瞬間、近くの錆びたトレイが宙を飛ぶ。
カンッ!
金属音が空間を裂いた。
「っ……!」
美琴は、逃げなかった。
トレイを受け止めたその手には——まだ、しっかりと人形が握られていた。