「悠斗……悠斗……。」
遠くから、声が聞こえてくる。
意識がゆっくりと浮上していくような感覚。
まぶたを開くと、見慣れない天井が目に入った。
「……松田さん?」
ぼんやりとした視界の先に、松田さんの姿があった。
どうやら僕は、彼女の家の布団で眠っていたらしい。
体を起こそうとすると、あちこちに包帯が巻かれているのがわかる。
首と肩の傷が疼き、全身が重い。
「起きたね…。無理すんじゃないよ。」
松田さんが、ホッとしたように微笑む。
でも、一瞬で思考が切り替わる。
僕の頭に浮かんだのは 美琴のこと だった。
「——美琴は!?」
慌てて尋ねると、松田さんは落ち着いた様子で答えた。
「前と同じ部屋に寝せてあるよ。ずっと高熱が続いてるけど、とりあえずは大丈夫だろう。」
その言葉に、ほんの少しだけ安堵する。
でも 美琴の弱々しい姿 が脳裏にこびりついて、胸が締め付けられる。
「……彼女のそばにいてもいいですか?」
松田さんは、穏やかに頷いた。
「もちろん。行っておいで。」
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美琴の寝ている部屋に入ると、胸が苦しくなった。
布団の上で横たわる美琴は、汗に濡れた前髪が額に張り付き、顔色はひどく青白い。
息も浅く、時折かすかに眉を寄せる。
「美琴……。」
そっと彼女の手を握ると、熱を帯びていた。
体が火照っているのに、指先は妙に冷たい。
どれだけの負担を背負わせてしまったんだろう。
あの戦いのあと、僕は 本当に強制成仏をさせて良かったのか? という疑念に取り憑かれていた。
——美琴の意思を尊重した。
——でも、その結果が、これだ。
もし 僕があの時「ダメだ」と言っていたら ……?
もし もっと別の方法を探していたら ……?
美琴は こんなにも苦しまずに済んだんじゃないか?
「……僕は、どうすれば良かったんだ……。」
握った手を、そっと強くする。
美琴の意思は大事にしたい。
でも、それが 彼女を傷つける というなら—— 何を信じればいいんだ?
その時だった。
「——入るよ。」
松田さんが部屋に入ってきた。
僕の沈んだ表情を見て、彼女はゆっくりと腰を下ろし、真剣な眼差しで問いかける。
「今回はなんでこんな事になったんだい?」
僕は 迷わず 話した。
廃工場での戦い、美琴の強制成仏、そして 彼女が倒れるまでの流れをすべて。
「——なるほどね。」
松田さんはしばらく黙った後、じっと僕を見つめた。
「それで、あんたは 美琴ちゃんの気持ちを尊重したことを後悔してるのかい?」
ギクッとする。
……その通りだ。
僕が あの時、止めていたら、美琴はこんな状態にならなかったかもしれない。
「確かに……止められた可能性はあるね。」
松田さんの言葉が、まるで僕の胸の中を見透かしているようだった。
「でもね、悠斗——」
彼女は 少し優しい目をして、でもどこか強く言葉を続けた。
「美琴ちゃんは あんたを信じてたからこそ、ちゃんと代償のことを話したんじゃないのかい?」
——はっとする。
そうだ。
今回の美琴は 最初から代償のことを隠さずに話してくれた。
それは 彼女が僕を信頼していた証 だったんじゃないか?
「それにさ。」
松田さんがふっと遠くを見るように微笑む。
「あたしゃね、あんたたちならわかると思うが—— 話し合うことすらできなかった親子 だった。」
松田さんと詩織さんのことが、頭をよぎる。
互いの気持ちが伝わらないまま、最後を迎えてしまった親子。
それが、どれほど後悔を生むか、僕は知っている。
「確かに、美琴ちゃんのことを考えたら、やらせないのが一番だったかもしれないね。」
松田さんはゆっくりと続けた。
「でもさ、それで 美琴ちゃんは納得できたのかい?」
「……。」
「きっと、あの子は 自分の意思で選びたかったんだろう。」
松田さんの言葉が、静かに胸に響く。
「大事なのはね、悠斗。 選んだ結果がどうであれ、その道の先には何かが待ってるってことだよ。」
僕は息をのむ。
「尊重した結果、きっとどこかでいいことが起こるさ。」
その言葉達が、じわじわと胸の奥に染み込んでいく。
僕が 美琴の意思を尊重した こと。
それは ただ彼女を危険にさらしただけじゃない。
それは 彼女にとって大事な選択の機会を与えた ということ——。
「……。」
まだすぐには飲み込めない。
けれど—— 松田さんの言葉が、少しずつ僕の迷いを薄れさせていく。
もし この選択が、間違いじゃないなら——。
「……あんたはさ。」
松田さんが、穏やかに微笑む。
「自分の選んだ道を、信じてあげな。」
「だって、それが 美琴ちゃんとの“縁”なんだろ?」
——胸の奥が、じんと熱くなる。
松田さんの言葉が、どこまでも 優しく、深く 響いていく。
——美琴は、自分の意思で選んだ。
——そして、僕はそれを 受け入れた。
「……ありがとう、松田さん。」
その時、美琴がかすかに動いた。
うっすらとまぶたが揺れ、弱々しく声が漏れる。
「……悠斗君……?」
——その声が、何よりの答えだった。