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二十二話 代償の末

倒れた美琴を背負い、僕は石津製鉄所を後にした。


空気の悪いこの場所に、彼女を置いておくわけにはいかない。

僕自身も霊力を使い果たし、身体中が痛むほどの疲労に苛まれていた。

首と肩の傷が疼き、足が鉛のように重い。

でも、美琴のことを思えば、そんなことを気にしている余裕はない。


「……美琴、辛い時に背中でごめん……。タクシーが見つかれば、もう少し楽になるから。」


返事はない。

背中越しに伝わる美琴の呼吸は浅く、時折かすかに揺れる。

力を使いすぎた影響は明らかだった。

僕はそのまま歩き続けた。


---


どれくらい歩いただろう。


時間の感覚が曖昧になっていたけど、たぶん1時間くらいは経っている。

腕も足も限界に近く、息が上がる。

視界が揺れ、汗が首の傷に染みてチリチリした。


タクシーを拾おうにも、こんな寂れた道じゃほとんど通らない。

スマホは黒崎との戦いで壊れ、呼ぶこともできない。

バスは……血まみれの僕が乗れば、確実に通報される。


「……今は、こうするしかないか。」


自分を奮い立たせ、また一歩を踏み出した。


でも、足元がふらつく。

霊力の消耗もあるけど、すでに疲労と身体の痛みで限界だった

美琴の体温だけが、今の僕の支えだ。


——その時だった。


——プァァァン!


背後から、クラクションの音が響いた。


思わず立ち止まり、振り返ると、一台の車が停まる。

助手席の窓が開き、そこから懐かしい顔が覗いていた。


「——悠斗!? なんだってこんな所に…!?それにあんた、血まみれじゃないか! それに、美琴ちゃんもすごく具合悪そうだね!?」


驚いたような声で、松田さんが僕を見つめていた。

その隣には、一人の男性が座っている。


「松田さん……。」

僕は、呆然と彼女の顔を見つめた。


「……! あんたもすごい疲れた顔してるじゃないか……なぁ彼らを乗せてもいいかい?」


松田さんが、運転席の男性に声をかける。

その男性は、静かに頷いた。


「もちろん。乗ってください。」


「ありがとうございます……。」


僕は美琴を支えながら、車へと向かった。

その時、ふと隣の男性に目を向ける。

どこかで見たことがあるような気がする——。


「ところで……松田さんたちは、どうしてこんな場所に?」


僕の疑問に、松田さんが小さく息をついて答えた。


「……実はね、さっきまで詩織の墓参りに行ってたんだよ。」


「詩織さんの……?」


思わず問い返すと、松田さんはゆっくりと頷いた。


「詩織がこの人にお礼を言ってねって言ってたからね……私はこの人に謝罪をしたんだ。」


その言葉に、僕は改めて運転席の男性を見つめる。

彼は静かに微笑みながら、穏やかに口を開いた。


「僕は、詩織の婚約者でした。」


「……!」


胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


「彼女が亡くなったあの日から、僕もずっと答えを探していました。でも、松田さんが謝ってくれたことで、ようやく……僕も、前に進もうと思えたんです。」


彼の言葉に、松田さんが小さく笑う。


「だから、今日は二人で墓参りに行ってたんだよ。詩織も、きっと安心したと思う。」


「……なるほど。」


僕は、胸の奥に温かいものを感じながら、静かに頷いた。

詩織さんが、ずっと望んでいたこと。

それは、きっと彼らがこうして前に進むことだった。


——良かった。


二人の間にあったわだかまりが解け、ちゃんと歩みを進められたのなら、それほど嬉しいことはない。


「あんたたちのおかげだよ。」


松田さんが、しみじみとした声で言った。

「本当に、ありがとうね。」


「……そんな、僕達は……。」


感謝されるようなことをしたわけじゃない。

ただ、詩織さんの想いを伝えたかっただけなのに。


でも、そうか——。


詩織さんの願いは、叶ったんだ。


その安心感と、全身を覆う疲労が、一気に押し寄せる。

視界がぼやけ、身体がふわっと浮くような感覚がした。


「……松田さん、すみません。少し、眠……。」


松田さんが、優しく微笑んで言う。


「とりあえず今は、休みな。」


その言葉に、僕の意識はふっと遠のいていく。


車の揺れが心地よく、まぶたが重くなる。

背中の美琴の温もりが、最後に感じた感覚だった——。

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