悠斗君、と美琴が呼んでくれた。
その声は優しかった。でも、僕は喜びきれなかった。
代償——その言葉が頭をよぎる。
美琴は、すぅっと深呼吸をし、静かに両手を掲げた。
——彼女の霊力が、今までとは明らかに違う気配を帯びていく。
「
美琴の声が響く。
その瞬間、石津製鉄所の空気が震えた。
今までの詠唱とは何かが違う。
空間が歪むような、圧倒的な霊力の膨張——。
「強制成仏・
その名が紡がれた瞬間——。
——ゴウッ!!
黒崎の身体から、真紅の炎が噴き上がった。
それは渦を巻き、廃工場の錆びた鉄骨を照らし出し、焦げるような異臭が鼻をついた。
熱風が僕の頬を叩き、まるで空間そのものが燃えているかのようだった。
『あ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁ!!!!!!』
絶叫。
耳を劈くような、悲鳴とも断末魔ともつかない咆哮。
黒崎の身体がのたうち回る。
『やめろおおおおお!!!!』
炎は消えない。
どれだけ手で叩こうが、転がろうが、皮膚に焼き付き、肉を抉るように燃え続ける。
その炎はただの火ではなく、まるで生き物のように彼を締め上げ、喰らい尽くしていた。
『熱い゛!!! 熱い゛!! た゛の゛む!! や゛め゛て゛ぐれぇ゛ぇ゛ぇ゛!!』
喉が枯れるまで叫び、もがき、全身を叩きつける。
だが炎は衰えない。
『俺が……!! 俺がわ゛るがった゛から゛!!!! 頼む゛から゛やめ゛でぐれぇ゛ぇ゛!!!!』
僕は息を飲む。
全身が焼けるような痛みなのだろう…。
いや、それ以上かもしれない。
業火に焼かれる苦しみは、死すら逃げ道にならない。
美琴は、顔を俯かせたまま手をかざし続ける。
でも、その唇はわずかに震えていた。
まるで——迷いがあるかのように。
(美琴……。)
優しい彼女のことだ。
こんな奴相手でも、裁きを下すことに葛藤があるんだろう。
——それでも。
この選択をしたのは、美琴自身だ。
僕は、それを尊重するって決めたんだ。
だから——止めることはできない。
『がぁぁぁぁぁぁ…!!!』
黒崎の苦しみは続く。
炎の勢いは増し、彼の形が曖昧になっていく。
炎の中で、黒崎の叫び声に混じって、かつての笑い声や泣き声が一瞬響いた——それすらも業火に飲み込まれていく。
——メキ……メキ……。
不気味な音が響く。
炎の揺らめきの中で、黒崎の影が捩じれるように揺れた。
『嫌だ……!!! いやだあ゛あ゛あ゛あ!!! 俺は……こんな……こんなことで……!!!』
——シュウゥゥ……。
黒崎の姿が、赤黒い霊の粒子となって舞い上がる。
だが、それは美琴が今まで救った霊たちのように、清らかなものではなかった。
血のような、穢れた赤。
黒い淀みを帯び、ゆっくりと、塵のように散っていく。
そして——黒崎は、跡形もなく消え去った。
静寂。
誰も、何も言わない。
ただそこに、罪だけが残ったような空気が漂う。
美琴がふらつく。
僕はすぐに駆け寄り、支えた。
「美琴……!!」
彼女の体が驚くほど冷たい。
顔色も青白く、息が浅い。
「……悠斗君……。」
美琴が微かに笑う。
「……代償が……きます……。」
その言葉が終わるのと同時に、彼女の膝が崩れた。
「美琴!!!」
僕の腕の中で、美琴の意識が途切れた。
「っ……!!」
苦しそうな表情のまま、彼女の体は完全に力を失った。
僕は彼女を支えながら、喉の奥で何かが詰まるのを感じた。
尊重するって決めたのに——やはり苦しかった。