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二十話 犠牲者の成仏

結界の中で黒崎がもがいている。


紅い霊気が全身を包み、皮膚を焼くように弾けるたび、苦痛に歪んだ表情を晒していた。

石津製鉄所の冷たい空気が、彼の呻き声で重く震える。


「…あなたは多くの人を殺めました。」


「挙句の果てには、自らの罪から逃げ、自死を選んだ……。」


美琴の声が響く。

怒りに震えながらも、その言葉にはどこか威厳があった。


「あなたに、楽して浄土へ上がる権利はありません。その罪を……償ってもらいます。」


彼女がそう告げた瞬間——。


ザワ……ッ


不穏な空気が、結界の内外を満たしていく。


黒崎の周囲に漂っていた被害者たち——五人の霊が、静かに結界の前へと歩み寄る。

彼らの姿はぼんやりと揺らぎながら、しかし確かな意志を持ってそこに在った。


『——ッ!?』


黒崎の表情が強張る。

その視線の先には——彼が殺した人間たちの顔があった。


『……ありがとう…ずっと闇の中に囚われていたような……そんな暗い気持ちだったよ……。』


穏やかながらも、どこか寂しげな声が響く。

記憶の中で見たスーツ姿の男性——彼が、美琴に深く頭を下げた。


『私たちの怨念が、あなたたちを傷つける要因になってしまったわね……ごめんなさい……。』


女性が、申し訳なさそうに眉を下げる。


「いえ……あなた方は何も悪くありません。」


美琴が、震えながらもはっきりと答える。


「ただ理不尽に命を奪われ、苦しんでいただけです……。」


その言葉が静かに廃工場に染み渡る。


『君たちのおかげで、俺たちも浮かばれるよ。』


そう言ったのは、あの重機で轢き殺されてしまった男性だった。

彼の後ろに並ぶ二人も、それぞれ僕たちに向かって頭を下げる。


彼らは——この世界に留まる理由を、もう持たない。


「——黒崎……」


気づけば、僕の拳は強く握りしめられていた。

こいつがいなければ、彼らは今も生きていたはずなんだ。

この人たちが、こんな風に犠牲になるべきじゃなかったのに——。


怒りを抑えながら、五人の霊を見つめる。


——ふわっ……。


彼らの姿が、徐々に薄くなり始めた。


すると、美琴がゆっくりと目を閉じる。


美琴が静かに詠唱を始める。

「魂の彷徨ほうこうを調べに乗せよ……我が静かな祈りにて冥路めいろの門をかそけく開けよ……汝が安寧あんねいに還りゆけ。」 


その声は、どこまでも穏やかで優しい。


霊たちの血に染まっていた姿が、次第に変わっていく。

傷つき、痛みに歪んでいた顔が、生前の安らかな表情へと戻る。


「あ……」


血の跡が消え、衣服が整えられ、彼らの瞳が静かに輝きを取り戻す。

それぞれの表情に、ようやく”解放”という安堵が滲む。


「……どうか、安らかに逝ってください。」


僕は、祈るようにそう呟く。


還魂かんこん冥送ノ調めいそうのしらべ——」


美琴が、静かに手を合わせる。


——ふわり……


淡い光が霊たちを包み込んだ。

温かな紅い光が、優しく、そっと彼らの魂を導いていく。


『ありがとう。』


霊たちが微笑む。


次の瞬間——。


——すぅ……っ。


彼らの姿が、静かに霧のように溶け、穏やかな風に乗って消えていった。


僕は、ただそれを見送ることしかできなかった。


「……。」


ようやく、この廃工場に漂っていた闇が、ほんの少しだけ晴れた気がした——。


しかし、まだ”終わり”ではない。


僕たちの視線が、再び結界の中へと向く。


『—おい!! ガキども!!』


黒崎が叫ぶ。

怯えと焦りを滲ませながら、必死にもがいていた。


『ふざけんな! 勝手に終わらせてんじゃねぇ!! 俺が……俺がこんな……!!』


「先輩…… 私はこれから、この人を強制的に成仏させます。」


美琴がそう告げる。その声には悲しさが混じっていた。


「強制成仏?」


僕は尋ねる。


「はい。これから行う術は、霊にとって何物にも勝る苦痛を与えます。全身が……業火に焼かれるような痛みを……この人は味わうことになります。」


美琴の言葉に、黒崎は叫んだ。


「わ、悪かった!! もう殺しはしねぇ!! だからそんなのはやめてくれ!!」


自分勝手に五人も殺しておいて、この命乞いの様な姿。

この姿に僕は心底腹が立つ。


「ただ先輩……これから行う術は、一番代償が重いんです。」


「えっ」


代償——。

あの時の美琴を、また見ることになるのか……?


それなら、やめてほしい。

でも——。


「私はもう、決めました。」


美琴がまっすぐ僕を見つめる。

その瞳の奥には、揺るぎない決意が宿っていた。

震えることも、迷うこともなく、彼女はまっすぐに前を向いている。


……止められない。

きっと、何を言っても、美琴は自分の道を進む。

それなら——。


「……わかった。」


僕は静かに息を吐き、彼女の覚悟を受け入れるように頷いた。

自分の気持ちを押し付けるんじゃなくて、美琴の意思を尊重する。

彼女が選んだ道を、僕は信じる。


すると——。

美琴がふっと微笑む。


「ありがとうございます……悠斗君。」


その声は、どこか寂しげだった。


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