結界の中で黒崎がもがいている。
紅い霊気が全身を包み、皮膚を焼くように弾けるたび、苦痛に歪んだ表情を晒していた。
石津製鉄所の冷たい空気が、彼の呻き声で重く震える。
「…あなたは多くの人を殺めました。」
「挙句の果てには、自らの罪から逃げ、自死を選んだ……。」
美琴の声が響く。
怒りに震えながらも、その言葉にはどこか威厳があった。
「あなたに、楽して浄土へ上がる権利はありません。その罪を……償ってもらいます。」
彼女がそう告げた瞬間——。
ザワ……ッ
不穏な空気が、結界の内外を満たしていく。
黒崎の周囲に漂っていた被害者たち——五人の霊が、静かに結界の前へと歩み寄る。
彼らの姿はぼんやりと揺らぎながら、しかし確かな意志を持ってそこに在った。
『——ッ!?』
黒崎の表情が強張る。
その視線の先には——彼が殺した人間たちの顔があった。
『……ありがとう…ずっと闇の中に囚われていたような……そんな暗い気持ちだったよ……。』
穏やかながらも、どこか寂しげな声が響く。
記憶の中で見たスーツ姿の男性——彼が、美琴に深く頭を下げた。
『私たちの怨念が、あなたたちを傷つける要因になってしまったわね……ごめんなさい……。』
女性が、申し訳なさそうに眉を下げる。
「いえ……あなた方は何も悪くありません。」
美琴が、震えながらもはっきりと答える。
「ただ理不尽に命を奪われ、苦しんでいただけです……。」
その言葉が静かに廃工場に染み渡る。
『君たちのおかげで、俺たちも浮かばれるよ。』
そう言ったのは、あの重機で轢き殺されてしまった男性だった。
彼の後ろに並ぶ二人も、それぞれ僕たちに向かって頭を下げる。
彼らは——この世界に留まる理由を、もう持たない。
「——黒崎……」
気づけば、僕の拳は強く握りしめられていた。
こいつがいなければ、彼らは今も生きていたはずなんだ。
この人たちが、こんな風に犠牲になるべきじゃなかったのに——。
怒りを抑えながら、五人の霊を見つめる。
——ふわっ……。
彼らの姿が、徐々に薄くなり始めた。
すると、美琴がゆっくりと目を閉じる。
美琴が静かに詠唱を始める。
「魂の
その声は、どこまでも穏やかで優しい。
霊たちの血に染まっていた姿が、次第に変わっていく。
傷つき、痛みに歪んでいた顔が、生前の安らかな表情へと戻る。
「あ……」
血の跡が消え、衣服が整えられ、彼らの瞳が静かに輝きを取り戻す。
それぞれの表情に、ようやく”解放”という安堵が滲む。
「……どうか、安らかに逝ってください。」
僕は、祈るようにそう呟く。
「
美琴が、静かに手を合わせる。
——ふわり……
淡い光が霊たちを包み込んだ。
温かな紅い光が、優しく、そっと彼らの魂を導いていく。
『ありがとう。』
霊たちが微笑む。
次の瞬間——。
——すぅ……っ。
彼らの姿が、静かに霧のように溶け、穏やかな風に乗って消えていった。
僕は、ただそれを見送ることしかできなかった。
「……。」
ようやく、この廃工場に漂っていた闇が、ほんの少しだけ晴れた気がした——。
しかし、まだ”終わり”ではない。
僕たちの視線が、再び結界の中へと向く。
『—おい!! ガキども!!』
黒崎が叫ぶ。
怯えと焦りを滲ませながら、必死にもがいていた。
『ふざけんな! 勝手に終わらせてんじゃねぇ!! 俺が……俺がこんな……!!』
「先輩…… 私はこれから、この人を強制的に成仏させます。」
美琴がそう告げる。その声には悲しさが混じっていた。
「強制成仏?」
僕は尋ねる。
「はい。これから行う術は、霊にとって何物にも勝る苦痛を与えます。全身が……業火に焼かれるような痛みを……この人は味わうことになります。」
美琴の言葉に、黒崎は叫んだ。
「わ、悪かった!! もう殺しはしねぇ!! だからそんなのはやめてくれ!!」
自分勝手に五人も殺しておいて、この命乞いの様な姿。
この姿に僕は心底腹が立つ。
「ただ先輩……これから行う術は、一番代償が重いんです。」
「えっ」
代償——。
あの時の美琴を、また見ることになるのか……?
それなら、やめてほしい。
でも——。
「私はもう、決めました。」
美琴がまっすぐ僕を見つめる。
その瞳の奥には、揺るぎない決意が宿っていた。
震えることも、迷うこともなく、彼女はまっすぐに前を向いている。
……止められない。
きっと、何を言っても、美琴は自分の道を進む。
それなら——。
「……わかった。」
僕は静かに息を吐き、彼女の覚悟を受け入れるように頷いた。
自分の気持ちを押し付けるんじゃなくて、美琴の意思を尊重する。
彼女が選んだ道を、僕は信じる。
すると——。
美琴がふっと微笑む。
「ありがとうございます……悠斗君。」
その声は、どこか寂しげだった。