「怨霊と呼ばれる中でも……迦夜は、一線を超えているわ。」
琴乃の言葉に、僕は息を呑んだ。
その表情に冗談や誇張は一切なくて。
静かに、でも確かに“絶望”を知る者の目をしていた。
「……それでも、私は諦めることができないの」
琴乃の視線が、美琴へと向く。
それは、誰よりも美琴を知っている人の――母のような眼差しだった。
「美琴、話は分かったわ。ちょっと珈琲を作ってきてくれないかしら。喉が渇いちゃってね」
「うん。砂糖とミルクは?」
「いつも通り。……両方、たっぷりね」
そう言って、ふっと微笑む琴乃。
あのクールで達観した雰囲気とは裏腹に、
可愛らしい好みだなって、なんだか少し安心する。
美琴がそっと部屋を出ていった後、琴乃は僕の方を見つめた。
「悠斗君……美琴は、あなたを巻き込んでしまったの?」
静かな問いだった。
けれど、その一言の裏には、強い想いがあった。
僕は、過去のことを思い出す。
出会い、廃病院、トンネル、温泉、そして……廃工場。
すべての始まりを思い浮かべながら――
「……いいえ。むしろ、僕の方からついていったんです」
僕は、そう答えた。
琴乃はゆっくりと頷きながら、続ける。
「大抵の霊なら、美琴の力でどうにかなる。でも――」
その瞳に、深い痛みが滲む。
「迦夜だけは違う。あれに呪われれば……私や、悠斗君のお母様のようになるかもしれない」
沈黙が落ちる。
「それでも、あなたは美琴の傍にいるの?」
……怖い。
もちろん、怖くないわけがない。
でも、それ以上に――彼女を支えたい。
「……怖いですよ。もともと、僕は霊なんて大の苦手でしたし」
思わず苦笑する。
「でも……それでも、美琴が大切なんです。僕にとって、怖さなんてどうでもよくなるくらいに」
静かに、だけど真っ直ぐに言葉を届ける。
「彼女が大事で、支えになりたいと思ってる。……だから、僕の気持ちは変わりません」
琴乃が目元をそっと押さえる。
「……本当に、いい男ね」
その声は少し震えていた。
「これからの道は、あなたにとっても過酷なものになる。だけど、こんなにも美琴を想ってくれていること……すごく、嬉しい」
涙が、琴乃の頬をつたう。
それでも彼女は、崩れないように笑った。
「美琴のことを、お願いね」
その笑顔に、僕は心の底から頷いた。
「……はい。必ず、支えます。」
──
「はい、琴乃姉さん」
戻ってきた美琴が差し出したのは――もはや珈琲とは呼べない代物だった。
白いホイップクリームが、カップの縁からこんもりと盛られていて……ミルクなんて可愛いもんじゃない。もはや“飲む”というより“すくう”に近い見た目だ。
(糖分……だいじょうぶか……?)
思わず琴乃さんの健康状態が心配になる。
「えっ……そ、それは珈琲というより……ホイップクリームたっぷりなスイーツでは……?」
と、つい口にしてしまうと――琴乃さんは、ふふ、と笑った。
「ふふ、確かに珈琲とは呼ばないかもだけど、味は悪くないわよ?それにこれは美琴が初めて作ってくれたの。」
そう言って、スプーンでクリームをすくいながら、どこか楽しそうに目を細める。
(……え、美琴が作ったのか、これ?)
そう思って横目を見ると、美琴は咳払いしながらほんのり頬を染めている。
(もしかして……美琴って、料理ちょっと苦手……?)
新たな疑惑が悠斗の中で静かに芽を出した。
「悠斗君も飲みますか?」
美琴がニコニコと聞いてくる。
これは……断ったら間違いなく傷つけるやつだ。
「い、いただきます……」
と、苦笑いしながら答えると、美琴は嬉しそうに微笑んで、再び台所へと戻っていった。
「そういえばね、悠斗君」
琴乃さんがカップを片手に話し出す。
「君がどこから“古の巫女”の血を受け継いでいるのかは分からない。でも、間違いなくその血は流れているわ」
「はい……」
僕は静かに頷きながら、青く光る霊眼を展開してみせた。
「うん。間違いない、それは“霊眼術”ね。しかも、呪いの気配が一切ない……」
琴乃さんはそう言って、どこか安心したように目を細めた。
「そしてあの子……美琴はね、本来なら“村長”になる立場だったのよ」
「村長……ですか?」
「ええ。蛇琴村では代々、“村長の血筋が村を治める”という掟があるの。これはね、あの子のご先祖――“千鶴様”が定めたものなのよ」
「千鶴様……?」
その名前は、美琴や美琴の村で何度か聞いた名前だった。
「彼女は、沙月様の親友だった。そして、ふたりで“あの呪い”に立ち向かったと記録に残ってるわ」
あの呪い……。
「その呪いは……封印されたんですよね?」
「ええ。千鶴様は、沙月様を失った悲しみを抱えながらも、その呪いを封じた。そして、それ以降――村を導く者として、血を残したの」
琴乃さんはゆっくりと話す。
その声音はどこか寂しげで、でも確かな誇りに満ちていた。
「そういえばね……」
と、ふと琴乃さんが思い出したように笑った。
「アタシと美琴、蛇琴村から“出た”人間は、歴史の中でたった二人だけなのよ」
「じゃあ、僕の“巫女の血”が誰のものなのか分からないのも、無理はない……ということですね」
「そういうこと。だけど、その力があるってだけで、あの子にとっては十分な“希望”なのかもしれないわね」
――カタン。
その時、ドアが開いた。
「お待たせしましたっ!」
明るい声とともに、美琴がカップを両手で持って戻ってくる。
……だが、その手には――
さっきのものを超える、モンスター級のホイップクリームが盛られた“珈琲”が……!
(あれ……飲み物の定義って、なんだっけ……)
僕の思考は、一瞬真っ白になった。