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十話 託す想い

「怨霊と呼ばれる中でも……迦夜は、一線を超えているわ。」


琴乃の言葉に、僕は息を呑んだ。


その表情に冗談や誇張は一切なくて。

静かに、でも確かに“絶望”を知る者の目をしていた。


「……それでも、私は諦めることができないの」


琴乃の視線が、美琴へと向く。


それは、誰よりも美琴を知っている人の――母のような眼差しだった。


「美琴、話は分かったわ。ちょっと珈琲を作ってきてくれないかしら。喉が渇いちゃってね」


「うん。砂糖とミルクは?」


「いつも通り。……両方、たっぷりね」


そう言って、ふっと微笑む琴乃。


あのクールで達観した雰囲気とは裏腹に、

可愛らしい好みだなって、なんだか少し安心する。


美琴がそっと部屋を出ていった後、琴乃は僕の方を見つめた。


「悠斗君……美琴は、あなたを巻き込んでしまったの?」


静かな問いだった。


けれど、その一言の裏には、強い想いがあった。


僕は、過去のことを思い出す。

出会い、廃病院、トンネル、温泉、そして……廃工場。


すべての始まりを思い浮かべながら――


「……いいえ。むしろ、僕の方からついていったんです」


僕は、そう答えた。


琴乃はゆっくりと頷きながら、続ける。


「大抵の霊なら、美琴の力でどうにかなる。でも――」


その瞳に、深い痛みが滲む。


「迦夜だけは違う。あれに呪われれば……私や、悠斗君のお母様のようになるかもしれない」


沈黙が落ちる。


「それでも、あなたは美琴の傍にいるの?」


……怖い。

もちろん、怖くないわけがない。


でも、それ以上に――彼女を支えたい。


「……怖いですよ。もともと、僕は霊なんて大の苦手でしたし」


思わず苦笑する。


「でも……それでも、美琴が大切なんです。僕にとって、怖さなんてどうでもよくなるくらいに」


静かに、だけど真っ直ぐに言葉を届ける。


「彼女が大事で、支えになりたいと思ってる。……だから、僕の気持ちは変わりません」


琴乃が目元をそっと押さえる。


「……本当に、いい男ね」


その声は少し震えていた。


「これからの道は、あなたにとっても過酷なものになる。だけど、こんなにも美琴を想ってくれていること……すごく、嬉しい」


涙が、琴乃の頬をつたう。


それでも彼女は、崩れないように笑った。


「美琴のことを、お願いね」


その笑顔に、僕は心の底から頷いた。


「……はい。必ず、支えます。」


──


「はい、琴乃姉さん」


戻ってきた美琴が差し出したのは――もはや珈琲とは呼べない代物だった。


白いホイップクリームが、カップの縁からこんもりと盛られていて……ミルクなんて可愛いもんじゃない。もはや“飲む”というより“すくう”に近い見た目だ。


(糖分……だいじょうぶか……?)


思わず琴乃さんの健康状態が心配になる。


「えっ……そ、それは珈琲というより……ホイップクリームたっぷりなスイーツでは……?」


と、つい口にしてしまうと――琴乃さんは、ふふ、と笑った。


「ふふ、確かに珈琲とは呼ばないかもだけど、味は悪くないわよ?それにこれは美琴が初めて作ってくれたの。」


そう言って、スプーンでクリームをすくいながら、どこか楽しそうに目を細める。


(……え、美琴が作ったのか、これ?)


そう思って横目を見ると、美琴は咳払いしながらほんのり頬を染めている。


(もしかして……美琴って、料理ちょっと苦手……?)


新たな疑惑が悠斗の中で静かに芽を出した。


「悠斗君も飲みますか?」


美琴がニコニコと聞いてくる。


これは……断ったら間違いなく傷つけるやつだ。


「い、いただきます……」


と、苦笑いしながら答えると、美琴は嬉しそうに微笑んで、再び台所へと戻っていった。


「そういえばね、悠斗君」


琴乃さんがカップを片手に話し出す。


「君がどこから“古の巫女”の血を受け継いでいるのかは分からない。でも、間違いなくその血は流れているわ」


「はい……」


僕は静かに頷きながら、青く光る霊眼を展開してみせた。


「うん。間違いない、それは“霊眼術”ね。しかも、呪いの気配が一切ない……」


琴乃さんはそう言って、どこか安心したように目を細めた。


「そしてあの子……美琴はね、本来なら“村長”になる立場だったのよ」


「村長……ですか?」


「ええ。蛇琴村では代々、“村長の血筋が村を治める”という掟があるの。これはね、あの子のご先祖――“千鶴様”が定めたものなのよ」


「千鶴様……?」


その名前は、美琴や美琴の村で何度か聞いた名前だった。


「彼女は、沙月様の親友だった。そして、ふたりで“あの呪い”に立ち向かったと記録に残ってるわ」


あの呪い……。


「その呪いは……封印されたんですよね?」


「ええ。千鶴様は、沙月様を失った悲しみを抱えながらも、その呪いを封じた。そして、それ以降――村を導く者として、血を残したの」


琴乃さんはゆっくりと話す。

その声音はどこか寂しげで、でも確かな誇りに満ちていた。


「そういえばね……」


と、ふと琴乃さんが思い出したように笑った。


「アタシと美琴、蛇琴村から“出た”人間は、歴史の中でたった二人だけなのよ」


「じゃあ、僕の“巫女の血”が誰のものなのか分からないのも、無理はない……ということですね」


「そういうこと。だけど、その力があるってだけで、あの子にとっては十分な“希望”なのかもしれないわね」


――カタン。


その時、ドアが開いた。


「お待たせしましたっ!」


明るい声とともに、美琴がカップを両手で持って戻ってくる。


……だが、その手には――


さっきのものを超える、モンスター級のホイップクリームが盛られた“珈琲”が……!


(あれ……飲み物の定義って、なんだっけ……)


僕の思考は、一瞬真っ白になった。



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