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第一章 七話「封印と覚醒」

 Eランクとはいえ、目の前の魔物を前にして、ルークはかすかな恐怖を感じていた。それでも後ずさることなく、警戒を解かずにその動きを見つめている。


「それで……魔物を出して、何をするつもりなんですか?」


 ルークの問いに応じるように、エイネシアはリトルバットデビルに紐をくくりつけ、そっと解き放った。もちろん手綱は彼女が握っているため、一定の範囲内でしか動けない。しかし解放された魔物は、本能に突き動かされるようにルークへと突進する。


 だが、直前で動きがピタリと止まった。紐の長さが限界だったのだ。


「君の体内には、ちゃんと“身体マナ”がある。それは、魔法の根源。自分の中から生まれる”身体マナ”と、空気中の“大気マナ”を混ぜ合わせることで魔法は成り立つ」


 突然の話に、ルークは思わず目を見開いた。


「けど、今まで発見された“魔法を使えない人間”は、例外なく身体マナすら持っていない。──でも、君は違う。ルーク、僕の仮説が正しければ──君は“魔法が使えない”んじゃない。“使えなくされている”だけなんだ」


 その言葉が胸に突き刺さる。もしそれが本当なら──そんな術をかけられる存在は限られている。すぐに頭に浮かんだのは、自分の──“家族”だった。


 なぜ、そんなことを。なぜ、自分に。


 憎しみと悲しみが、胸を締めつける。暗くなる表情に、エイネシアは少し申し訳なさそうに目を細めた。そして、あえて明るく話を切り替える。


「だからこそ、こいつの出番ってわけ。リトルバットデビルの超音波には、魔法を“阻害する”効果があるの。高度な術式でかけられた封印も、これで揺らげば、僕の解除魔法と合わせて突破できるかもしれない」


 ただし、成功は五分五分だと、エイネシアは苦笑する。


 だが、ルークはその可能性に懸けた。今まで一度も触れられなかった“魔法”という世界。その扉が、今、目の前で開かれようとしている。


「……お願いします! 本当に使えるようになるなら……!」


「よし、始めよう!」


 エイネシアは笑みを浮かべると、リトルバットデビルを軽く挑発した。すると、魔物は甲高い音を響かせ、超音波を放つ準備に入る。


「ルーク、くるよ。痛みはないけど、身体の力がふわっと抜ける感覚になる。油断しないで」


 警告と同時に、超音波がルークに届く。脳が揺れるような不快な感覚とともに、身体から力が抜けていく。思わず膝をつきそうになるルークにエイネシアは、すかさず魔力を送り込んだ。


 次の瞬間──ルークの胸に、複雑な紋様を描く魔法陣が浮かび上がった。


「やっぱり……。これは、魔力供給源に対する封印魔法……」


 リトルバットデビルの超音波で陣が歪み始めたその刹那、エイネシアは微笑みながら呪解の上位術──《ハイディスペル》を唱えた。


 術式が何層にも弾け飛び、音もなく消えていく。そして、最後の円が砕けた瞬間──


 ルークの全身に、温かな光が広がった。


「これが……魔法……?」


「正確には、身体マナだね。大気マナと混ぜて術式を構築すれば、魔法が使えるようになる。君は今、その“第一歩”を踏み出したところさ」


 手を見つめるルーク。指先から感じる微かな熱が、確かな変化を物語っていた。


 その様子を見ながら、エイネシアは言う。


「さて、今後のことだけど……基本は僕が行くクエストに同行してもらって、戦闘と魔法の基礎を教える。最終的には、Aランク相当のクエストを単独でこなせるようになってもらうつもり」


 想定内の話だ。ルークは素直に頷いた。ただ一つ、胸に残る不安がある。──六年後、アストレア魔術学園の入学試験。それは彼にとって、越えるべき大きな壁だった。


「ま、何事も経験あるのみ! 三日後に出発するよ。ギルドの仲間にも紹介するから、よろしくね!」


「はい! よろしくお願いします!」


 まだ知らない世界が、今まさに開かれようとしている。その胸の高鳴りを、ルークは確かに感じていた。


 あの場所に挑む日まで、あと五年と少し――名門、アストレア魔術学園。ルークの目は、確かに未来を見据えていた。


 一方で──エイネシアの顔に、陰りが差す。


(あれは……明らかに、複数人がかりで行使された特級レベルの封印術式。……なぜ、ルークに?)


 考える間もなく、ぞくりと背筋を凍らせるような殺気が襲う。慌てて振り返ると──そこには、ただ笑顔で立っているルークの姿があった。


 だが、エイネシアの額にはじわりと汗がにじむ。


「エイネシアさん!? 大丈夫ですか!? なんだか顔色が……」


「あ、ああ。なんでもないよ。ちょっと疲れただけ……ありがとうね」


 そのままその場を離れるエイネシア。心の中では、確信に近い恐怖が渦巻いていた。


(……あの殺気。あれは、私より“遥かに格上”の存在のものだった。……ルーク、一体君は──)


 ルークにかけられた封印、突如として感じた殺気と圧倒的な魔力。すべてが、偶然ではない。


 けれど、今はまだ、その真実には手が届かない。だからこそ──彼女は決めた。


 まずは、目の前の少年を育てること。それが、自分にできる唯一の“正解”だと信じて。


 不穏な影が、すでに動き始めていることに気づかぬまま──。


 ――その日の出来事は、ルークの記憶の奥底に静かに刻まれた。やがて、それは一つの“大切な記憶”となって、彼の未来を見守り続けることになる。

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