栄枯盛衰。ありとあらゆる存在は、繁栄と衰退を繰り返し続ける。
生誕し、滅亡することで、世界は少しずつ形を変えていくのだ。
もしも、これらが起きない世界が存在したら?
滅亡しない世界が存在したとしたら?
終わりのない空間へと世界が進んだ時、狂気が世界を蝕んでいく。
「イタイ……! イタイィィ……!」
「キエナイ……! イタミガァァ……!」
「グルジイ……! ダレガ……! ダズゲデ……」
手足を欠損した人々、内臓が傷ついた人々。首も心臓もないはずなのに、動き回る歪な生命。
どのような傷を受けようと、どのような病に冒されようとも人々は死ねない。
この世界で人が死ぬことは、もうあり得ない。
痛みと苦しみという狂気に侵された人々は、狂乱のまま、ありとあらゆる存在を傷つけていく。
人々はそういった存在を傷屍人と呼び、恐れ慄いた。
ある者は傷屍人たちから逃げる過程で、ある者は傷屍人を討伐する過程で大きな傷を負う。
彼らもまた苦痛に囚われ、心身を狂気に侵されていく。
少しずつ無事な人々は数を減らし、逆に傷屍人は数を増やす。
永遠に消えない痛みの螺旋。世界は、その渦に飲み込まれてしまったのだ。
この世界の名はライフ。かつては命溢れんばかりの世界を象徴する名だったが、いまでは世界が狂気に飲み込まれるまでの寿命という意味に成り果てていた。
「ハァ……。ハァ……! 少なく見えたから、安心してたのに……!」
一人の少年が、恐怖に引きつった表情を浮かべながら道なき荒野を走っている。
土汚れや痛みが進行した、ほぼボロと言っていいほどの服をまとい、肩にかけるは継ぎ接ぎだらけの小さなカバン。
くせを帯びた黒髪を揺らしながら、彼は背後を振り返った。
走る彼の背を追う者は、右腕を肩から失った一体の傷屍人。
ふらつくような足取りをしつつも、狂気に侵された瞳が少年を捉え続けている。
「わ……! あう……!」
疲れで足をもつれさせたのか、少年は転んでしまう。
ケガはしていないようだが、追いかけ続けられる恐怖に飲まれたのか、起き上がることができないようだ。
「いやだ……! こないで……!」
少年の懇願もお構いなしに、傷屍人は歩み寄る。
残った左腕を振り上げ、彼に打ち下ろそうとしたその時。
「……以前訪れた時は、比較的安全な土地だと思ったんだがな」
肉が引きちぎれる音と共に、傷屍人の左腕が宙に舞う。
攻撃する手段を失いつつも、傷屍人は左腕を破壊した人物を狂気で染まり切った瞳で睨みつける。
濁り切った暗闇には、戦斧を振り上げる赤髪の男性が映っていた。
「さらなる痛みを与えるようで悪いが、始末させてもらう」
振り上げた戦斧を返しつつ、男性は大きく体を回転させる。
回転によるエネルギーを加えられ、猛烈な威力となった戦斧は傷屍人の胴体に吸い込まれ、骨ごと真っ二つに両断した。
「ひあ……! あわ……!」
凄惨な光景を見てしまった少年は、声にならない悲鳴をあげる。
悲鳴を背に受けつつも、男性は無言で傷屍人の首を落とし、足を断ち切る。
そして、いつの間にか取り出されていた小さな箱の中に、バラバラになった体の各部をしまっていくのだった。
「少年。傷屍人の処理を見るのは初めてか?」
「ひゃ!? ひゃい!」
男性は、そこで初めて少年に声をかけた。
先ほどの荒々しさはどこへやら、その声には優しさが込められている。
少年もその声を聞き、不思議と心が落ち着いていくのを感じるのだった。
「す、すみません、助かりました! お、お手伝いします!」
「気にするな、これは俺の役目なんでな」
男性は特に気にした様子もなく、傷屍人の最後の部品を箱に押し込む。
傷屍人の体は少年の背丈よりも大きかったというのに、いまでは彼が持つ小さな箱に全てしまい込まれてしまった。
「圧縮箱……ですか。それを食料や日用品の持ち運び以外に使う人は初めてみました……」
「知っての通り、傷屍人は全身を消滅させない限りは動き続けてしまう存在。俺はそんな技術を有していないのでな、このように封印するしか方法がないんだ」
次に男性は地面を掘り始めた。
できあがった小さな穴に先ほどの箱を置き、静かに土をかけていく。
そして胸の前に手を置き、静かに祈り始めた。
「鎮魂の儀……。いまのこの世界で、それをする人は初めてみました……。でも、なぜそれをするのですか? 傷屍人の意識は既になく、ただ生者や世界を傷つけるだけなのに……」
追いかけまわされ、攻撃をされようとしていた少年には、男性の行動が理解できなかった。
なぜ人を襲う存在に、死者の安らぎを祈る儀を行うのだろうか。
先ほどの傷屍人が、他の誰かを傷つけた可能性もあるはずなのに。
「どんな状態になろうとも、元は誰かから生まれ、誰かに愛された人。俺たちと変わらない人だ。傷屍人になったからと言って、ただ捨て置くにはあまりにも不憫なんでな」
彼の言葉を聞き、少年の脳裏には幼い頃の思い出が浮かび上がる。
大したことでもないのに、やり遂げたことを思いっきり喜んでくれた。
泣き出しそうな時は、思いっきり抱きしめてくれた。
先ほどの傷屍人にも、そういった人がいたのかもしれない。
「こんなところか。さて、少年。少々聞きたいことがあるのだが、いいか?」
「あ、はい。構いませんが」
いつの間にか祈りを終えた男性は、戦斧を背負いつつ、両腕に巻かれた包帯を結び直していた。
よくよく見ると彼の両足にも包帯が巻かれているが、ケガをしているのだろうか。
背は少年と比べてもかなり高いが、刺々しく伸びた赤髪と包帯以外はこれと言った特徴はないようだ。
「お前はこの場で一人、何をしていたんだ? 傷屍人は少ないようだが、子どもの身空では危険なだけ。食料を取れるような場とも思えないが?」
「……」
少年は答えることなく、固く口を閉ざす。
何やら事情があると感じた男性は、ため息を吐きつつ他の質問から行うことにした。
「質問を変えよう。お前が住む集落が付近にあるのか?」
「……ええ、あります。向こうに森が見えるでしょうか? あの中に僕たちが暮らす集落が存在します」
少年が指さした先には、確かに森があった。
だが、それほど規模が大きい森ではなく、食料補給をするには難がありそうだ。
「そこまで送ろう。案内してくれるか?」
「わ、分かりました……」
どこか不服そうな表情を浮かべつつも、少年は森に向けて歩き出す。
そんな彼の後ろ姿を見つめつつ、赤髪の男性は小さく微笑みを浮かべ、後に続いて行くのだった。
傷屍人の襲撃はなく、二人だけの静かな歩みが大地に響く。
やがて二人は、暗い森の手前にたどり着くのだった。
暗闇に包まれた森の小路。何かしら傷が付いているあちらこちらの樹々たち。
少年が点けたランタンの明かりがその傷を照らし、不気味な影を映し出している。
「傷屍人の攻撃を受けているようだな。集落にはどれくらいの人がいる? 見回りができる者はいないのか?」
「ここに住んでいる人は、お年寄りが多いんです。見回りどころか日々の食料集めすらまともにできないほどです」
少年の言葉を聞いた男性は、苦々しく表情を歪めていた。
若者は食料を探しに集落の外に出ることで傷屍人に襲われ、傷屍人に変化する。
それを期待して待っていた人々もまた飢えに苦しみ、空腹から傷屍人に変化する。
今時、世界のどこに行っても無事な場所など存在しない。
全ての土地で、傷屍人が発生する可能性があると言ってよいほどだ。
「ここは森ですので、まだましな方なんですよね? 食料を奪い合い、集落規模で傷屍人が発生した場所もあると噂で聞きましたが……」
「ああ、そんな場所はいくらでもある。まったく、こんな形で世界が壊れるなど予想だにしなかった。まあ、これが禁忌に触れた人間への罰なのだろうな」
嘲笑しつつもついてくる赤髪の男性に、少年は質問をしてみようと考える。
彼を知ることで、いま抱えている問題を解決できるかもしれないという判断のようだ。
「あなたは、傷屍人を狩って来たんですよね? 何年ぐらい行っているのですか?」
「何年……か。時間が止まったに等しい世界でそれを数える意味はないと思うが、そうだな……。ざっと百年くらいは過ぎただろうか」
百年も戦っているのに、傷屍人は増加する一方なのか。
少年は絶望を抱いてしまったものの、同時に男性がそれにならずに戦い続けられていることに小さな希望を抱いた。
彼にお願いしてみてもいいかもしれない——と。
「そういえば、名前を言っていませんでしたね。僕の名前は——」
「依頼があるのなら、依頼があると言うだけで良い」
男性の言葉に驚きつつも、話を聞いてくれることを嬉しく思う少年。
この異常な世界で、拒絶するそぶりを見せることなく話を聞いてくれる外界の人物と出会うのは、久しいことだったのだろう。
「僕には歳の離れた姉がいるのですが、どこかに出かけてからずっと帰ってきてくれないんです」
「その姉を、俺に見つけてきて欲しいと言うことか?」
男性の質問に少年は大きく首を横に振り、森へと歩み出そうとする足を止める。
そしてゆっくりと身体を男性に向け、彼の炎のように赤い瞳をじっと見つめた。
「僕と一緒に探してほしいんです。戦う術は持たず、傷屍人から逃げることしか僕にはできませんが、どうしてもあの人を……!」
なるほど、だからあの場を一人で歩いていたのか。
男性は心の中で納得しつつ、次の少年の言葉を待つことにした。
「足手まといになるのは分かってます。助けられた立場でこんな依頼をするのもどうかと思いますが、聞き入れていただけないでしょうか……?」
「……」
腕を組み、何も言わずに瞼を閉じてしまう男性。
断られるかもしれないという恐怖に怯えつつも、少年は真剣な表情を彼にぶつけ続ける。
やがて男性は瞼を開いて腕組みを解除し、口を動かした。
「大切な姉を探したいんだろう? こんな依頼などと言う必要はないさ。詳しい話は集落で聞く。さあ、森を進もう」
少年はぽかりと口を開け、男性が歩き出すのを見つめていた。
「ほら、案内をしてくれなければ、俺は集落にたどり着けないんだ。それに、傷屍人がどこから現れるか分からない。気付かれて集落までついてこられでもしたら大変だぞ?」
「あ! は、はい! 失礼しました! あの、僕はレオンと言います。よろしくお願いしますね!」
「名前はいいと言ったようなものだったんだが……。まあ、教えられてしまえば答えるしかないか。俺はガトリム、覚えなくていいぞ」
少年レオンと赤髪の男性ガトリムは、暗い森の中へと入っていく。
彼らが森へと入ったからだろうか。
先ほどまでいなかったはずの傷屍人たちが、命無き大地をさまよいだしていた。
きっかけは誰もが思い描く望み。
永遠に幸せを享受できたら、永遠に愛する者と歩めたら、永遠に生きられたら。
誰もが落命せず、永遠に生き続けられる秘術不老不死。
現在を失うことを恐れた人々は、こぞってその技術を追い求めた。
悠久の時を重ね、不老不死はついに成就する。
死ぬこと、滅びることへの不安を失った人々は、争いをも忘れ、ただひたすらに知識を深めながら世界と共に生き続けた。
幸福な日々だった。
限界以上に知識を蓄え、それらを世界のために使うことができたのだから。
ある日、誰かが死とは何かと疑問を抱いた。
永遠を生きられる人々が唯一知ることができないこと、死に興味を抱いたのだ。
その疑問は人々に伝播し、多くの人が死の研究を始めていく。
ある者は紅蓮の炎に身を投げ入れ、ある者は身体を石化して破壊する。
ある者はあらゆる物質を溶かす液体をその身にふりかけ、ある者は真空の世界に閉じこもる。
死ねなかった。
いくら身体を傷つけ破壊しようと、痛みが発生するだけで意識が消えることはなかったのだ。
神経もろとも皮膚が焼けていく痛み、石となり砕けたはずの身体が発する痛み、身体を水に蝕まれる痛み、酸素不足による臓器が破壊されゆく痛み。
彼らは数々の痛みを、決して死ねない身体で永遠に受け続けることになった。
それが、不老不死という禁忌を手にしてしまった世界に訪れた終末。
命溢れる世界、ライフの寿命が尽きるその日まで、人々はもだえ苦しむ。