「「アアアァァァァァァッ!?」」
二人分の悲鳴が長く尾を引いて峡谷に響き渡る。
巨大な丸石に押し潰されまいと必死で逃げ込んだ先は、なんと峡谷だった。
確かに今回向かった森の北東側に峡谷があるのは知っていたが、まさかそこまで洞窟が繋がっているとは思っていなかった。
ましてや、その洞窟の出口が崖になっているなど誰が想像できるだろうか。
いや、もしかしたらこの出口もまたトラップの一つなのかもしれない。間抜けにもこうしてなすすべ無く落ちていくしか無い奴も居るわけだし。
自嘲気味にそんなことを考えながら落ちるに任せる。
マルティナの方はといえば、空でも飛ぼうというのか、必死の形相で両腕を羽ばたかせていた。
『高い所から水の中に飛び込まなければいけない時、肛門がゆるいとそこから衝撃で水が入って、内臓をやられちゃうから、入水直前に尻をキュッと締めるんだよ』
不意に師匠の言葉が脳裏をよぎり、それに合わせて尻にキュッと力が入る。
あとは垂直に足から入水するだけ、簡単簡単っ。
もはや恐怖を通り越してハイになりつつある頭でそんなことを思っている内に、気がつけば水中深く沈み込んでいた。
川の流れが思いの外早く、上も下もわからないままもみくちゃにされながら流されていく二人。
幸いなことに、水面への落下時の衝撃でこれといった怪我は負っていないようである。水中で、それでも何とか姿勢を保とうと必死でもがく。
師匠から装備をつけたまま泳ぐ、いわゆる『着衣水泳』をしっかり体に叩き込まれていたことも要因として大きいだろう。
まもなくして、プハッと水面に頭を出すことに成功した二人は、運良く途中の岩場に引っ掛かっていた流木にしがみつくとが出来た。
「――し、死ぬかと思ったっ」
「ゲホッ、ゲホッ――うぇぇ、だいぶ見ず飲んじゃったよ…………」
「怪我とかしてないか?」
「うん。こっちは大丈夫。姉ちゃんは?」
「オレも問題ない。それにほら、」と左手を水面から上げてみせる。そこには無意識の内にギュッと握りしめていたのだろう黄金の偶像が握られていた。
「やったね、姉ちゃんっ」
「ああっ」と嬉しそうにニカッと笑う。しかし頭の中では全く別のことを考えていた。
それはこれからどうするかについてだった。両サイドは高くそそり立つ崖。登るのは到底無理な話だ。
となると川を下流へ泳いでいくことになる。幸い掴まっている流木はさほど大きくない。岩場を蹴って押し出せば、すぐにでも流れに乗るだろう。
問題はその先だ。峡谷のどの辺りに出たのか皆目検討もつかず、下手をすれば滝口に繋がっている可能性さえある。
「これからどうする姉ちゃん?」
ひょっとするとマルティナも同じ考えに至ったのかもしれない。どこか不安げな視線を向けてくる。
「ま、なんとかなるだろう。なんたってオレたちは
その瞳を数秒見つめたベッキーは、ことさら『あの』の部分を強調して岩場を目一杯蹴り飛ばした。
それからどれだけ流されたのだろか。幸いにも滝に遭遇することもなく、いつしか川の流れはそれまでと打って変わって緩やかなものへとなっていた。
どうやら下流近くに出たらしい。そうとなればきっとどこかに上陸できそうな場所があるに違いない。
そして程なくして見えてくる岸辺。二人は疲れ切った体に鞭打って、水を蹴る足に力を込めた。
鉛のように重い足を、半ば引きずるように岸に上がる二人。
「もう無理ぃ〜」「オレも……」と疲労困憊とばかりにその場に倒れ込むと仰向けになる。呼吸もゼェッゼェッと呼吸も荒い。
そして極度の疲労と、緊張の糸が切れた反動で、いつしかそのまま眠りについてしまったのだった。
※ ※
「へくちっ――う〜ん…………あれ?」
案外と可愛らしいクシャミとともに目を覚ますベッキー。まだ寝惚けているのか、「月が綺麗だな……」とボソリと呟く。
何やら胸元がムズムズするなと顔を向ければ、すぐ右隣にマルティナが自分を抱きまくらに寝息を立てている姿が目に入った。
「こいつまた寝惚けてベッドを――」そこでハッとなってマルティナの腕を解いて上半身を起こす。「しまったっ、寝ちまった!」
夜中とはいえ、月明かりが煌々と輝くおかげで松明の明かりに頼らなくても視界は確保できた。ベッキーは血の気が引く思いで、慌ててそばに落ちていたリュックの中身を確認する。
そこにはしっかりと黄金の偶像が収まっていた。思わずフーッと安堵の表情で息を吐く。幸運なことにどうやら眠り込んでいる間に誰も来なかったか、もしくは気づかず通り過ぎていったかしたらしい。これも『不幸中の幸い』と云うのだろうかと、ふと考える。
そこへ一陣の風が吹き込み、ベッキーの体をブルリと震わせた。
「クソッ、パンツまでぐしょぐしょじゃねぇか……」
体に張り付くチュニックの胸元を引っ張りながら鬱陶し気にボヤく。いくら季節が夏だからとはいえ、この地方はそれなりに気温が下がる。このままでは下手をすれば風邪をひいてしまうだろう。
「おい、起きろマルティナっ」肩を揺する――起きない。
「おいっ、起きろって」今度は胸倉つかんで頬に往復ビンタを喰らわせる――が、「黄金のフライドチキン……」という謎の寝言を言うだけで起きる素振りは微塵もなかった。
「ったく。しゃーない。勝手に脱がすか」
先に焚き火を、とも考えたがその間に風邪をひかれても困る。ベッキーは自分の装備は後回しにして、早速とばかりにマルティナの防具を外し、衣類を脱がせていく。あっという間に下着姿になったマルティナだったが、やはりこの期に及んでも起きる素振りは無かった。
次いで胸当て――古代ローマ時代のマミラーレというものに近いものらしい――を外す。するとその下で押し潰されるように隠されていたものが、ここぞとばかりに主張しだす。
「クソーッ、相変わらずデカいな!」
眼の前に横たわる豊満なお胸に思わず歯ぎしりする。いっそここでもいでやろうかとも考えたが、そこはグッと堪えて我慢した。
最後にショーツも脱がし、やはり起きない妹のことは真っ裸のまま放置し、手早く自分も身に着けているものを脱いで同じく真っ裸になると、焚き火の準備に取り掛かった。
この辺はよく木々が流れ着くのか、幸いにして薪に困ることはなかった。ポーチから火打ち石を取り出し、手慣れた手付きで火種を作る。師匠と出会い、これまでに何度となく行ってきた手順に淀みはない。あっという間に焚き火が完成していた。
そして長い木の枝を3本組み合わせて三角錐を作り、火に近づけ過ぎないように調整しつつ、火の真上に濡れた衣類を置いて乾かしていく。乾くまで手持ち無沙汰になったところで、今度は閃光手榴弾を手に取る。これまでの衝撃で安全ピンが外れかけていないか、浸水していないかの確認をしていく。
「黄金の豚さんがっ」とここで盛大に寝言を口にしたかと思えば、その腹がグ〜ッと鳴った。そこでようやく目を覚ましたのか「お腹すいたっ」と飛び起きた。
「ようやく起きたか。腹減ったんならそこに干し肉があるから好きに食え」とリュックを親指で示す。
「は〜い」と元気に返事をし、いそいそとリュックを漁るマルティナ。「あれ、何でアタシ裸?」
とそこでようやく自分の格好に気がついたのか、「パンツは〜?」とキョロキョロしだす。
「今乾かし中だから大人しく待ってろ」
「……姉ちゃんが脱がしたの?」
「なんか問題あったか?」
「……エッチッ」
いや〜んとしなを作るマルティナに、思わずイラッとしてピンを抜きかけたが、今睡られても困るとグッと我慢した。
そして翌早朝。
交代で寝ずの番――マルティナにそれが務まるのか疑問だったが、そこはやっぱり冒険者。いざという時はしっかりその役目を果たしていた――を行い、心身ともにリフレッシュした二人は、その頃には乾ききっていた下着や、衣類を身につけると、防具を装備して帰り支度を初めた。
「まずはここがどの辺なのかってことだが……」と地図を広げる。「ここをこうして流されたわけだから……今この辺りか」
それは馬を置いた森の入口まで、直線距離だと徒歩で半日ほどの距離だった。
「さて、まずはこの川を渡らなきゃならんし、ひとまず川沿いに下るか。その内橋でも見つかるだろう」
それで近くに村か、民家でもあれば馬でも借りられるかもしれない。
そう都合よく行くかは分からないが、今はともかく進むしかなかった。