誰そ彼に死者のレシピを孤悲願う ~金平糖とかささぎの夏~
有沢楓
文芸・その他ノンジャンル
2025年04月11日
公開日
2.8万字
完結済
――死者のレシピをカフェで出す、うちの神様はうまく泣けない。
稲葉和(いなば のどか)、20代半ば。民俗学系ライター兼編集の契約社員。
子供の頃から他人には見えない小さな神々や死者の気配を感じることができた彼女は、初めて自身の企画が通った「神社巡り」の仕事に取り組んでいた。
しかし上司の異動を機に、取材先の綾白神社の事故は神の祟りだ、という記事のでっち上げを強要されるなどの、パワハラとセクハラに追い詰められていく。
そんな時、同じ力を持ち唯一の理解者だった祖母が生前、「困ったときに行くように」語っていた店の存在を思い出す。
そこは「一見さん歓迎、二見さん大歓迎」――黄昏時から深夜だけ開店する和カフェ「夜見」。
現世と常世の境にあり、常世に紛れ込もうとする人々に、失われた「死者のレシピ」を渡す場所。
営むのは黒髪の美青年――早瀬と名乗る消えゆく川の神と、彼の眷属の茜と澄の二人。
祖母のレシピを食べて勇気づけられた和は、男性客・斉藤の苦境を知り、死に別れた母親の「ちらし寿司」の再現を手伝いたいと思う。
ヒントとなる、常世の死者からの文は、熊笹の枝に付いた『かささぎの渡せる橋』、百人一首にも収められた和歌の初めだけだった。
和は早瀬と共に、和歌と伝承文学の知識を生かして、斉藤が母親から語られた七夕伝説の類型から、彼の母親のルーツとなる地域とレシピを探ろうとする。
一方で、早瀬が常世に毎日手紙を送り、「殺してしまった」友人からの返事を待ち続けていたことを知り……。
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プロローグ たそかれ時の告白
誰そ彼れ時の空に沈みゆく太陽は、彼岸花に似ていた。散りゆく赤は青年の背後の陰影を切り取り、薄暗闇の紗は横顔を覆う。
「現世における生き物の死は、肉体の滅び。では、血肉なき神の死は何によってもたらされるか、ご存じですか」
長い時を生き、神と呼ばれるようになった川の問いに、人の身である和は答えを持たない。
沈黙の間に花が散り、天頂から刷くように藍色が重なり空に塗り込められる。
ふたつの影を夜が呑み込んだ頃、和の目が慣れて見付けた微笑と滲む涙は、いつから浮かべられたものだったろうか。
「ひとつは、他の神によって死がもたらされたとき。もうひとつは、実在を信じる人々がいなくなった時。ですが、死より恐ろしいのは――」
そうして、庭に置いた水盤の上を揺らいでいた白く細く、そして和も知るせせらぎのように冷たい指先が、ようやく一点で止まる。
指の間に挟まっていた白い薄様が水盤に浮かべられた。柳のような墨の軌跡がするりと紙から浮かび上がり、水面に揺蕩う。古い言葉で書かれた文字は、かつて死に別れた友人に、許しを請うものだった。
「自我を失った荒ぶる神となり、人に記憶されることです」