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第11話  希望と現実

生活保護を受けはじめてから、数ヶ月。

食事が安定して取れるようになったおかげで、紗英の顔にはほんの少しだけ、血色が戻りはじめていた。


朝、白いご飯と具だくさんの味噌汁。

スーパーの割引シールが貼られたおかずでも、温かい食事があるだけで、心がふっと落ち着く。


「……ちゃんと食べて、生きよう」

そう思える日が、少しずつ増えていた。




春のある日、紗英はハローワークの自動ドアをくぐった。


面談室で担当者が丁寧に話す。


「こちらの企業、事務職で募集が出てまして、未経験可です。どうされます?」


「……お願いします。面接、受けてみたいです」


紹介状を受け取った帰り道、風が少しだけ優しく吹いていた。

かつての自分と違う。今の私は、踏み出している。

その感覚が、紗英の背中を押していた。




面接の日。白いブラウスに、ハローワークで紹介されたリサイクルスーツ。

手持ちのバッグも少しだけきれいに磨いた。


面接官は物腰の柔らかい男性だった。


「……うん、誠実そうだし、やっていけそうですね。ぜひ、来週からお願いします」


「……え?」


「採用です。これから、よろしくお願いしますね」


思わず、その場で涙があふれた。


「ありがとうございます、ありがとうございます……」




だが、勤務初日を目前に控えたある日。

朝から鈍い下腹部の痛みが続いていた。


「風邪かな……」と軽く考えていた紗英だったが、数日前から胸の張りと吐き気も感じていた。


不安が拭えず、近くの婦人科を受診する。


診察室の奥、医師の表情が曇る。


「……妊娠はしてます。ただ、状況が少し良くありません。子宮の中に、胎嚢が確認できないんです。これは、子宮外妊娠の可能性があります」


「……え……?」


頭が真っ白になった。


「このまま進行すると、卵管破裂の恐れがあります。早めの処置が必要です。緊急入院も視野に入れてください」




帰り道、足が震えて、まともに歩けなかった。


「なんで……また、こんな……」


やっと、やっと人生が少しだけ前を向いたと思ったのに。


アパートの小さな部屋に戻ると、採用通知の封筒がポストに届いていた。

紗英はそのまま床に座り込み、封筒を胸に抱えたまま、声もなく泣いた。




その夜、ケースワーカーに電話をかけた。


「……すみません、また、助けてもらうことになるかもしれません……」


「大丈夫ですよ、紗英さん。私たちは、味方ですから」


その言葉が、今の紗英には何よりも温かかった。





彼女の身体は、また一つ大きな痛みを抱えることになる。

けれども、今の紗英には、かつてのように“一人ではない”と感じられる、わずかな支えがあった。


そしてまた、闘いが始まる。

生きることそのものとの、静かで切実な闘いが──。


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