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第13話  ボランティア

図書館の一室。

「読み聞かせの時間です」と書かれた看板の前に、数人の小さな子どもたちがママやパパに連れられてやってくる。


緊張で喉がカラカラだった。

けれど、絵本を開いて、優しい動物の絵を見た瞬間、少しだけ心がほどけた。


「みんな、こんにちは。今日は『くまくんのおさんぽ』っていうお話を読もうね」


小さな目が、じっと紗英を見つめる。

声は少し震えていたけれど、それでも子どもたちは耳を澄ましてくれていた。


くまくんが森の中で迷子になる場面を読むと、男の子が小さな声でつぶやいた。


「かわいそう……」


思わず、紗英の胸がぎゅっとなった。

「そうだね。だけどね、このあと、くまくん、ちゃんと帰れるんだよ」


その一言が、まるで自分自身に向けた言葉のように響いた。





読み聞かせが終わったあと、スタッフの一人、中年の女性が声をかけてくれた。


「初めてとは思えないくらい、落ち着いた読み方だったわ。優しい声ね。よかったら、これからも定期的にお願いできるかしら」


「……はい。ありがとうございます」


嬉しさと、戸惑いと、少しの誇らしさ。

その全部が混ざったような、久しぶりの「前向きな感情」だった。




帰り道。

ベンチに腰かけて缶コーヒーを飲んでいると、ふと、病院で交わした佐伯さんの言葉がよみがえった。


「やり直せますよ、時間はかかっても」


──その言葉が、ようやく、少しだけ信じられる気がした。


携帯を開いて、メモ帳に一文書く。


「今日は、少しだけ生きていてよかったと思えた」


涙は出なかった。

でも、胸の奥にあった冷たいものが、ほんの少し、溶けた気がした。




数日後。


図書館にまた通い始めた紗英は、偶然出会った中年の男性スタッフ・篠田と挨拶を交わすようになる。

彼は元・小学校教師で、退職後に地域ボランティアとして活動していた。


「お嬢さん、読み方に芯があるね。昔、教え子にもこんな子がいたよ」


「いえ、私は……芯なんてありません。ただ、読んでるだけです」


「そうやって、自分を低く見る癖は、少しずつ手放していくといい」


優しいけれど、まっすぐな言葉だった。




それから数ヶ月。


生活保護を受けながら、週に数回の読み聞かせ。

収入にはならなかったが、心の支えになった。


そしてある日、篠田から思いがけない言葉をもらう。


「紗英さん、今度、地域の子ども向け朗読イベントがあるんだけど、読み手として出てみない?」


驚いた。けれど、少し考えて、首を縦にふった。


「……やってみます」




あの日、くまくんが帰れたように。

私も、少しずつ、帰り道を見つけていけたらいい。


まだ道は続く。

でも今度こそ、自分の足で、歩いていこうと思えた。

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