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第十五話   ダンジョン協会のトップとの闘い

 ここがダンジョン協会の本部なのか。


 僕は成瀬さんと横並びで歩きながら、廊下の隅々まで清掃が行き届いているダンジョン協会の中を見渡した。


 ダンジョン協会は近代的な施設の代表のようであり、身なりを整えた職員の人たちが忙しなく廊下を行き交っている。


 その中には白衣を着ている人もいればスーツ姿の人たちもいて、他には戦闘服や甲冑を着ていた人たちもいた。


 戦闘服や甲冑を着ていた人たちは現役の探索者たちだろう。


 だが、ここで僕は首をかしげた。


 以前に亮二さんから聞いたことがある。


 ダンジョン協会というのはあくまでも通称であり、本当は日本迷宮探索協会というのが正式名称だったが、地上世界でインターネットとやらが発達するにつれて「ダンジョン協会」という名前が世間一般的に広く浸透した。


 そんな日本迷宮探索協会ことダンジョン協会は1000人以上の探索者たちのサポートをする民間団体であり、この本部では正規の探索者の証明であるライセンスの発行や稀少アイテムを使った武器や防具の研究開発をしているという。


 そのためダンジョン協会の本部にいるのは研究職や技術職の職員たちばかりで、現役の探索者たちはよほどの理由がない限り普段は足を運ばないと言っていた。


 この亮二さんの話が本当だとすると、ダンジョン協会の本部には白衣の人やスーツ姿の人たちのほうが多いはずなのに、廊下を歩いている人の割合は探索者たちのほうが明らかに多い。


「ちょうど今日は探索者試験の日なのよ」


 僕の心を読んだように成瀬さんが言った。


 探索者試験のことは僕も知っている。


「年に1度の探索者になるための試験日ですよね」


「そうよ。試験料は10万円とちょっと高いけど、大体平均して80~100人前後は必ず応募者がいるの。だから今日だけは協会に探索者たちが集まってくる」


「でも、試験を受けるのはこれから探索者になりたい志望者の人たちですよね。だったら現役の探索者の人たちが集まってくるのは変じゃないですか。まさか、探索志望者の試験を見学に来たわけじゃないでしょう?」


「ところがそうなのよ。今日ここに現役の探索者たちが集まっているのは、試験に合格した探索志望者のスカウトが目的なの。ちなみに試験会場はそこの窓からも見える中庭ね」


 僕は立ち止まって窓の外に顔を向けると、広々とした中庭の様子が見て取た。


 ただし中庭といっても植物の類は植えられておらず、綺麗に舗装された地面の端に弓術の的や剣術の打ち込み台、他にも金属製のスタンドで吊るされた無数のサンドバッグが置かれている。


 中庭というよりは武術の総合鍛錬場なのだろう。


「試験開始は午後1時からだから、今から2時間後ね。時間的にもそろそろ試験を受けにくる志望者が集まってくる。それぞれ時間までに身体を解したりイメトレしたりするのよ」


 僕と同じく立ち止まった成瀬さんが説明してくれた。


「はあ……」


 成瀬さんの説明に僕はどう答えていいかわからず曖昧に返事する。


 探索者の試験を受けない僕にとっては関係のないことであり、それよりも今から会うダンジョン協会のトップとの面会のほうが何倍も意識してしまう。


「まあ、今のところあなたには関係ないわね。今のところは」


 成瀬さんは意味深なことを言うなり再び歩き始めた。


 僕も成瀬さんについていこうと中庭から視線を逸らそうとした。


 そのときである。


 僕はふと中庭の隅にいた人影に気づく。


 遠かったので人相まではわからなかったが、おそらく女性ではなく男性だった。


 その男性は弓術の的の裏手で何やらゴソゴソとしたあと、キョロキョロと辺りを見回して足早にその場から立ち去っていった。


「どうしたの? 早く行きましょう」


 数メートル前方にいた成瀬さんが顔だけを振り向かせて言う。


「は、はい。すみません」


 僕は中庭から視線を外すと、成瀬さんの元へ駆け寄った。


 たぶんあの男性はメンテナンスの人か何かだったのだろう。


 だったら僕には何の関係もなく、成瀬さんに男性のことを伝える必要もない。


 僕は男性のことなど記憶の引き出しに仕舞い、再び成瀬さんと一緒に目的の場所へと向かう。


 やがて廊下を抜けて吹き抜けの大ホールへと出ると、そのまま僕たちは奥にあった金属製の箱の中へと入った。


 これも亮二さんから聞いた覚えがある。


 簡単な操作で複数の人間を上下に簡単に運んでくれる、エレベーターという金属の箱だ。


 そのエレベーターは僕と成瀬さんを乗せて上のほうに移動していく。


 このとき僕は表向きこそ普通にしていたが、初めてエレベーターに乗ったことで内心ソワソワしていた。


 いきなりガクンと揺れて落ちないよな?


 僕の不安を嘲笑うように、エレベーターは何事もなく数秒後にチンという軽快な音が鳴って扉が開いた。


 さっきまでいた廊下や大ホールとは異質な光景が飛び込んできた。


 視界には心を落ち着かせる木造の通路が広がっていたのだ。


「このままついてきて」


 僕は成瀬さんの後ろを子犬のように追っていく。


 どうやらエレベーターから会長室までは1本道のようで、僕と成瀬さんは迷うことなく目的地である部屋の前へとやってきた。


 重厚そうな扉の上には「会長室」と筆書きのネームプレートがつけられている。


「入りなさい」


 僕と成瀬さんが扉の前まで来たと同時に、部屋の中から落ち着いていながらも低調な声が聞こえた。


 おや、と僕は思った。


 まだノックもしていないのに、どうして部屋の主は僕たちが来たことがわかったのだろう。


 木造の廊下なので足音がまったくしないということはなかったものの、それでも遠くまで聞こえるほどギシギシと音が鳴っていたわけではなかった。


 同じ通路の中にいたのならまだしも、分厚そうな扉越しに僕たちの足音を聞き取れるはずがない。


 あ、そうか。


 この扉の上に監視カメラが設置されているんだな。


 僕はさりげなく扉の上を見回した。


 だが、すぐにおかしなことに気づく。


 扉の上どころか天井付近のどこを探しても監視カメラが見当たらない。


「言っておくけど、監視カメラでわたしたちが来たことを知ったわけじゃない。そんなものに頼らなくてもお爺さまは部屋に来る人間のことがわかるのよ。それこそ、わたしたちがエレベーターに乗ったぐらいからね」


 そう言うと成瀬さんは扉を開けた。


「さあ、どうぞ入って」


 成瀬さんはニコリと笑って僕を室内へと促す。


 当然ながらそれを断れるはずもなく、僕は「失礼します」と一礼して部屋へと入った。


 僕は会長室へ足を踏み入れるなり、その部屋の広々さと異様さに圧倒された。


 会長室は高価そうな革張りのソファや机が置かれている一方、部屋の隅には100キロは軽く超えているバーベルや表面がおびただしい血で汚れたサンドバッグが天井から吊るされていたのだ。


 でも、おかしい。


 この部屋の主人はどこにいるのだろう?


 などと思いながら、僕が部屋の中央へと歩を進めたときだった。


 ゾワッと全身の産毛が総毛立った。


 同時に部屋の隅から強烈な殺気をまとったが疾駆してくる。


「――――ッ!」


 その何かは僕の間合いに不法侵入してくるなり、電光のような突きを放ってきた。


 狙いは僕の顔面だ。


「くッ!」


 僕は顔面に飛んできた突きを掌で受け流した。


 しかし、その何かからの攻撃は止むことはなかった。


 すかさずニ撃三撃と凄まじいスピードの突きを繰り出してくる。


 それはまさに疾風怒濤しっぷうどとうの連撃だった。


 まともに食らうわけにはいかない!


 僕は必死に前方から飛んでくる突きの連撃を受け流した。


 ダメだ、このままだとマズいッ!


 相手の突きを受け流しながら僕は自分の立場を危ぶんだ。


 突きの連撃はまったく止む気配がなかったのである。


 これではジリ貧だ。


 いつかこっちの受けのスピードが間に合わずに大ダメージを負う可能性が高い。


 ならば、と僕はカッと両目を見開いた。


 そして十何撃目かの突きを躱したあと、左足を軸に渾身の右回し蹴りを繰り出した。


 軸足の返しから腰の捻転、それらを完璧に合致させた僕の回し蹴りは半円を描いて相手へと飛ぶ。


 狙いは相手の側頭部である。


 バアンッ!


 と、火薬が破裂したような衝撃音が部屋中に轟いた。


 僕は蹴りを放った姿勢で驚愕した。


 スピード、体重の乗り、タイミングを融合させて放った蹴りが完全に腕で防御されたからである。


 なので僕は瞬時に蹴り足を戻して後方へと跳んだ。


 着地した瞬間に構えを取る。


 左手は顔面の高さで相手を牽制けんせいするかのように前にかざし、右手は人体の急所の一つであるみぞおちを守る位置で固定させる。


 両手とも拳はしっかりと握り込まず、どんな対応もできるように緩く開いておく。


 肩の力は抜いて姿勢は直立。


 バランスを崩さないように腰を落として安定させ、左足を二歩分だけ前に出して後ろ足に七、前足に三の割合で重心を乗せた。


 そこで僕はハッとした。


 なぜ、こんな構えを咄嗟にしてしまったのだろう。


 以前に僕が亮二さんから習った素手の構えは、ボクシングという格闘技の構えを参考にしたものだと聞いていた。


 けれども、無意識に僕がした構えはそのボクシングの構えとは違う。


 むしろ、こちらの構えは武術の構えだった。


「実に素晴らしい」


 僕の構えを見た相手は拍手をする。


「完全に気配を断った死角からの不意打ちに対する迅速な反応。相手の攻撃を完璧に受け流したあとでの正確な反撃。そして、その一分の隙もない堂に入った構え。実に見事だ」


 僕は短い息を吐くと、相手から殺気がなくなったことで構えを解いた。


 すると僕に攻撃をしてきた相手は真剣な表情になり、僕に対して深々と頭を下げてきた。


「君を試すような真似をしてすまない。どうしても可愛い孫の窮地を救ってくれた相手の実力を推し量りたくなってな。これも武術家の性というやつだ。本当にすまなかった」


「あ……いえ……そんな……こちらこそ、お褒めにあずかり光栄です」


 僕も背筋を伸ばして前方の相手に頭を下げる。


 銀色と見間違うばかりの白髪に、彫りの深い端正な顔立ち。


 年齢は確か60歳を超えているはずなのに、背筋は鉄棒を仕込んでいると錯覚してしまうほどピンと伸び、その眼差しは中級までの魔物ならばひと睨みで委縮させてしまうほどの鋭さがあった。


 成瀬なるせ・巧太郎こうたろう


 自他ともに認めるダンジョン協会のトップであり、現役を退いた今でも探索者としての強さはS級探索者が束になっても勝てないと言われているという。


「もう、お爺さまったら。途中で少し本気になっていたでしょう」


 成瀬さんは前もって知っていたのだろう。


 両腰に手を置き、両目を吊り上げて頬を膨らませる。


「うむ、年甲斐もなくつい嬉しくなってしまってな。老いたとはいえ、この成瀬巧太郎の拳撃をここまで防ぐ相手に会うのは久しぶりだ」


 それはさておき、と成瀬会長は僕と成瀬さんを部屋の奥へと誘った。


 会長室の奥には4畳の剥き出しの和室があり、中央には囲炉裏でお湯を沸かしている茶釜があった。


 成瀬会長はその茶釜の奥に移動して正座する。


「さあ、こちらへ来て座りなさい」


 成瀬会長は柔和な笑顔を浮かべたが、僕の背中には冷たい汗がどっと噴き出す。


 顔は笑っているのに、心は完全に笑ってはいない。


 僕の目には、成瀬会長が研ぎ澄まされた抜き身の日本刀に見えた。



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