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第二十七話  よみがえった〈大拳聖〉の記憶

 一瞬、俺は成瀬さんが何を言っているのか理解できなかった。


 成瀬さんはエリーが見えていないのだろうか。


 そんはずはない。


 なぜなら、エリーは俺と成瀬さんの中間の位置で飛んでいるのだ。


 視界に入っていないはずがなかった。


 それこそ、いきなり盲目にならない限りは無理だろう。


 しかし、成瀬さんは俺だけを見つめていてエリーを見ようともしない。


 これはどういうことだ?


 まさか、成瀬さんはわざとエリーを無視しているのか?


 いや、と俺は心中で首を左右に振った。


 そもそも成瀬さんがエリーを無視する理由がない。


 そうなると成瀬さんは本当にエリーが見えていないということ。


「成瀬さん、俺の目の前に何か見えるか? その……妖精とか」


 確認のために問うと、成瀬さんは「え?」と首をかしげた。


「拳児くん、本当に大丈夫? 君の目の前にはわたししかいないじゃない。それとも他に誰かいるの?」


 成瀬さんは医務室の中をキョロキョロと見渡す。


 言い出しっぺの俺も一緒に室内を視認したが、この医務室にいる人間は俺と成瀬さんしかいない。


 そう、人間ではない妖精族のエリーを除いて。


「ふ~ん、この女も一応は【聖気練武】の使い手か……せやけど、クレストの武闘僧には見えんな。それに素の状態でうちが見えんと言うことは、普段から基本功の〈聴勁〉や〈聖眼〉の修行が足らん証拠や」


 そんなエリーは成瀬さんをジロジロと見ながらつぶやく。


 一方の成瀬さんは他に誰もいないことを確認すると、顔を俺に戻して「そんなことよりも」と俺の両肩をがっしりと掴む。


「意識が戻ったのなら、わたしと一緒に来て」


 やはり成瀬さんはエリーがまったく見えていない。


 右頬をエリーに人差し指で突かれているというのに、成瀬さんは気にする様子もなく俺を見つめているからだ。


「ちなみにどこへ行くんだい?」


 俺がたずねると、成瀬さんは「会長室よ」と答えた。


 なるほど、と俺は思った。


 その答えは何となく予想はついていた。


 あのイレギュラーを倒したときからどれだけの日数が経っているかはわからないが、現在の体調から推察するに長くて2日程度だろう。


 その間に俺のことが協会内で議論されていたに違いない。


 どんな議論かは2通り考えられる。


 1つは俺の正体に疑問が持ち上がっている場合。


 以前は俺の身元保証が不明だったものの、成瀬さんを助けたこともあって半ば不問のような形にされた。


 けれども、2度もイレギュラーを倒すと勝手が違ってくる。


 これは少し頭を働かせればわかることだった。


 今回の一件はダンジョン協会の敷地内で起こったことなのだ。


 迷宮街に現れたイレギュラーが暴走した末に、このダンジョン協会内に侵入したというならまだいい。


 しかし、今回のイレギュラーは何の前触れもなく協会の中庭に出現した。


 それはもう手引きなどという生易しい次元を超えている。


 人的要素があるのは間違いないが、今回の件にはそれ以外の要素が含まれている。


 俺は聖気と魔力が存在していた世界――アースガルドのことを思い出す。


 アースガルドには地球には存在していない魔法が存在していた。


 この地球で言うところの科学に値するだろうか。


 向こうの世界には魔力で動く魔道具というものが存在していて、その魔道具を使えば魔法使いでなくても様々な超自然現象が起こせていたのだ。


 魔力を増幅してくれる武具を始めとして、本来は魔法が使えない人間でも1度だけ魔法が使える杖や宝石などが挙げられる。


 これらは一般的な武具屋や冒険者ギルド内の販売店で購入できたが、魔道具の中には世間にあまり流通しない特殊な魔道具も存在していた。


 それは……。


 と、俺がその特殊で危険な魔道具を思い浮かべたときだ。


 成瀬さんが手を差し伸べてくる。


「さあ、拳児くん。一緒に来てちょうだい」


 もちろん、ここで断る理由はないので俺を成瀬さんの手を取った。


 本当は自由に動けるほどの体力はあったが、せっかく差し伸べてきた手を邪険にするほど俺は落ちぶれてはいない。


 なので俺は成瀬さんの手を掴むと、そのままベッドから起き上がった。


「…………」


 2本の足で立ち上がった俺は、あらためて自分の全身を確認する。


 記憶を取り戻した今の状態は不思議な感じだった。


 アースガルドで生きた28年の人生の記憶と一緒に、地球の日本で生きた半年の記憶も存在している。


 つまり28歳のケン・ジーク・ブラフマンとしての記憶と、16歳の拳児としての記憶が混合しているのだ。


 そしてほぼ記憶を取り戻した今の俺はケンである。


 拳児はあくまでも亮二さんがつけてくれた仮名に過ぎない。


 だが、問題は名前ではなく肉体のほうだった。


 なまじ記憶がよみがえったことにより、アースガルドにいたときより筋力も聖気も10分の1以下になっていることに絶望してしまう。


 これは10歳以上も若返っていることが原因なのは間違いない。


 俺がアースガルドにいたときの16歳といえば弱小も弱小。


 アースガルドの世界で3分の1以上の人間が信徒だったクレスト聖教会に師匠に連れられて入会し、一部の信徒が目指す武闘僧として修業を始めた頃だ。


 それがちょうど今の年齢であり、筋力もそうだが全身を覆う聖気が弱すぎる。


〈大拳聖〉と謳われた、クレスト聖教会最強の武闘僧だった頃とは雲泥の差だった。


 ならばイレギュラーと闘ったあとに気を失うのは必然である。


 許容量以上の聖気を練り上げて放出するのだから、肉体以上に精神が悲鳴を上げて強制的に意識を切ってしまっていたのだ。


 まあ、それはさておき。


 俺はなぜこの地球にやってきたのか?


 なぜ、16歳まで若返って日本のダンジョン内で記憶を失っていたのか?


 ここまできたら理由を知りたい。


 俺はふと魔王ニーズヘッドとの死闘を脳内で再生する。


 あの日、俺はスワンタナ荒地の上空で魔王ニーズヘッドを倒した。


 それは覚えている。


 ただ、それ以降の記憶はどうしても思い出せない。


 いつの間にかこの地球の日本に出現したダンジョン内に転移してきたばかりか、記憶をほぼすべて失った状態で亮二さんに保護されていたのだ。


 それだけではない。


 エリーは俺の持っていたペンダントに封印されていた状態だった。


 偶然ではない。


 きっと俺たちがこの世界に転移してきたのには理由がある。


 それは絶対に知らなければならないことだ。


 誰かに言われたわけではない。


 俺の本能がそう告げている。


「どうしたの? 早く行きましょう」


 成瀬さんは俺の事情を知らずに話しかけてくる。


 ちょうどいい機会だった。


 成瀬会長にまた会わせてもらえるなら、2人の目の前で事情を話したほうが今後のためになるだろう。


「わかった。行こう」


 俺は力強くうなずく。


 そんな俺を見て成瀬さんは訝しげに言った。


「あなた、本当に拳児くん? 気を失う前と今だと口調も雰囲気もまったく別人みたいなんだけど……」


「それは会長室に着いたら話すよ」

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