俺はエリーの口から語られる言葉に耳を傾ける。
内容は先ほど俺が3人に伝えたこととほぼ同じだったが、エリーは俺と出会ったときのことも加えて3人に事情を話す。
あれからずいぶんと経ったな……
俺はエリーと出会った10年以上前のことを思い出す。
クレスト聖教会の本部があった聖都グランタナスに師匠に連れて来られ、武闘僧見習いとして厳しい武術や【聖気練武】の修行に明け暮れていたときのことだ。
その日は1人で大通りの市場を歩いていた。
聖都グランタナスには珍しい商品が多く入ってくる。
アクセサリーや調度品もそうだが、香油や香辛料なども異国からの
なので市場はいつも人であふれ返っていた。
いや、市場を盛り上げていたのは人間だけではない。
トカゲや虎の顔をした亜人種なども通りを行き交い、市場に並んでいる商品を店主に値切ったりして買い物を楽しんでいる姿が日常茶飯事だった。
その中で俺は師匠に命令されて、1日1時間は市場を歩き回っていた。
買い物を楽しんだり、市場の雰囲気を楽しむのが目的ではない。
【聖気練武】の修行の一環だった。
特に生物の生命エネルギーを視る〈聖眼〉の修行については、こういった様々な人種が一ヵ所に集まっている場所で修行することが最適だったのだ。
高い買い物をして気分が高揚している者。
賭け事で負けて意気消沈している者。
客を騙して大金を手に入れようと画策している者。
絶対に相場よりも安く商品を買い叩こうとしている者。
そういった者たちの生命エネルギーの形はそれぞれ違うため、〈聖眼〉を使ってどんな考えをしている者なのか見極めること自体が修行になるのだ。
そして俺はこの〈聖眼〉の修行の最中、市場の上空を泳ぐように飛んでいたエリーを見つけた。
最初に見たときは「まさか」と思った。
妖精郷に住む妖精族は、人間の土地へと好き好んでやってこないと聞いていたからだ。
そのため俺はエリーに興味が湧いて人知れず尾行した。
ただし、修行中だった俺にはエリーの尾行自体が大変困難だった。
妖精族は生命エネルギーの塊――高聖霊体と呼ばれる存在である。
それこそ、並みの【聖気練武】の使い手には姿どころか声も聞こえない。
俺も初めはそうだった。
偶然にも一瞬だけエリーの姿が見えたものの、〈聖眼〉を維持していないとすぐにエリーの姿は周囲の風景と同化して見えなくなってしまったのだ。
もちろん、ここで諦めたわけではない。
俺は常に高い緊張感を持って市場に通い、〈聖眼〉を保った状態でエリーの姿を探し回った。
するとある日、エリーが路地裏でたちの悪い魔法使いに捕まっている姿を目撃。
俺は義勇に駆られてエリーを魔法使いから助けた。
そこからだった。
エリーは妖精族にしては珍しい性格で、普通ならば人間に恩義を感じないはずなのに、俺になついて逆に付きまとうようになったのだ。
そんな昔のことを考えていたときである。
「拳児くん――いえ、ケン・ジーク・ブラフマンさん」
三木原さんが俺の両肩を掴んできた。
その表情からは悪意は感じず、それどころか子供のように無邪気な笑顔を浮かべていた。
「本当にあなたは異世界人なのですね! しかも私たちが恋焦がれていたファンタジーのような世界……亜人や魔法が存在する異世界の住人!」
「ああ、そうだ。信じてもらえただろうか?」
「ええ、もちろんです! 素晴らしい! これは非常に素晴らしいことですよ!」
俺は少しだけ動揺した。
初対面のときは冷静沈着な男かと思ったが、どうやら本性はもっと幼稚な性格をしているらしい。
三木原さんは目を爛々と輝かせて「魔法がある世界」とつぶやいている。
そんな中、成瀬さんはエリーを呆然と眺めていた。
一方の成瀬会長は何やら難しい顔をしている。
やがて成瀬会長が「ケン殿……と、お呼びしたほうがよいか?」と問うてきた。
「ああ、記憶を取り戻した俺としては本名の「ケン」と呼んでくれたほうがありがたい」
承知した、と成瀬会長はうなずいた。
「では、ケン殿。あなたが異世界人であることがわかった上でおたずねしたい……あなたはなにゆえこの世界に参られた?」
「それなんだが……」
俺は包み隠さず3人に伝えた。
アースガルドで魔王ニーズヘッドに〈発勁〉の極技の1つ――〈聖光・百裂拳〉を繰り出して致命傷を負わせたときまでの記憶はあるが、なぜかそれ以降の記憶がぷっつりと途絶えているのだ。
正直なところ、もっともそこが重要だった。
俺はなぜこの地球という世界に転移してきたのか?
「エリーも肝心な部分の記憶がないんだろう?」
俺はあらためてエリーにたずねた。
「そうなんや。うちもケンが魔王のアホタレに〈聖光・百裂拳〉を放ってボコボコするのを見た記憶まではあるんやけど、そこからの記憶がケンと同じくないねん。そんでうちは気づいたらケンが持っとったペンダントに閉じ込められ、こんなわけのわからん世界で目覚めとった」
ふむ、と俺はアゴに手を添えて唸る。
これも記憶を取り戻したことで氷解したのだが、記憶を取り戻す前に見ていたアースガルドの光景はエリーから見た視点だった。
エリーは俺が勇者パーティーに入ったときも俺についてきていたため、魔王ニーズヘッドを倒すときまでずっと俺のそばにいたのである。
そしてエリーは俺が肌身離さず持っていた、クレスト聖教会のシンボルマークのペンダントの中に存在を封じ込められていた。
だからこそ、記憶をなくしていた俺は夢の中でエリーの視点を自分の視点だと勘違いした。
と、ここまではいい。
問題はそのあとのことだ。
やはり何かがおかしい。
アースガルドの住人である俺とエリーだけが地球に転移されてきたというのは、こうしてあらためて状況を確認すると不自然だ。
そもそも俺たちはどうやってこの世界に転移してきたのだろう。
〈転移鏡〉などという生易しい魔道具を使った程度では到底無理なことだ。
それこそ転移魔法を使わないと不可能だろう。
転移魔法。
名前だけは俺も知っている。
その名の通り、物体を転移させる魔法の総称だ。
しかし転移魔法は数百年前に使い手がいなくなったことで、術者が存在しない古代魔法の1つに分類されていた。
同時に禁忌魔法としても有名だった。
異世界に行けるほどの魔法を発動させるのはとてつもない魔力が必要で、もしも成人した大人1人を異世界に転移させようと思えば数百人の人間の命が必要だったという。
なので世界政府からは関連資料を集めることも禁忌とされ、少なくとも人間界には転移魔法を使える術者は存在しなかったはずだ。
俺は世界最大宗教と言われていたクレスト聖教会の最上位の武闘僧だったため、魔王討伐の道中に各地域の大神官から転移魔法が使われた形跡がないことも知り得ていた。
けれども、俺とエリーは何の因果か次元を超えてこの異世界にいる。
アースガルドと呼ばれていた世界とは異なる、地球と呼ばれている異世界に。
などと考えていたときだ。
「あのう……いいですか」
おずおずと成瀬さんが手を挙げた。
全員の視線が成瀬さんに集中する。
「拳児くん……いえ、ケンさんでしたっけ。あなたが異世界から来たことはわかりました。本当は信じられないけど、そこにいる妖精が見えている以上は信じないわけにはいきませんから」
俺は成瀬さんの言葉をじっと待った。
彼女は何が言いたいのだろう。
「ごめんなさい、話が逸れました。え~と、それで肝心なのはケンさんとそこの妖精さんがどうしてこの地球に転移してきたかですよね」
成瀬さんは俺とエリーを交互に見る。
「お2人の話を聞いていて、ふと思ったんです」
そして成瀬さんは俺が予想もしていなかったことを口にした。
「これはあくまでもわたしの仮説なんですが、あなたたちをこの地球に転移させたのは魔王だったんじゃないですか?」