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第三十二話  草薙数馬の破滅への言動 ⑦

 あいつが〈魔羅廃滅教団〉の親玉……


 俺はあまりの恐怖に全身がブルブルと震え出す。


 指名手配のポスターに写っていた顔も凶悪だったが、こうして直に見るとその禍々しさが如実に感じられた。


 ボディービルダーのような身体つきと奇妙なタトゥーが彫られた顔も相まって、まだ一度も遭遇したことはないが、イレギュラーのような魔物と出遭うとこんな気持ちになるのかと思った。


 そんなことを考えていると、マーラ・カーンは俺たちに近づいてくる。


「うむうむ、今回の獲物は若くて活きがよさそうであるな。これならば実験は大いに捗るに違いないのであ~る」


 独特な口調をしていたマーラ・カーンは、俺たち――特に美咲と正嗣を見回しながら満面の笑みを浮かべた。


 これこそ悪魔の笑みというやつだろう。


 そして聞きしに勝る狂かれ具合だった。


 自分の信者に若い女と男をいたぶらせ、それを見て喜ぶなど完全に頭が飛んでいる証拠だ。


 やはりこんな連中に関わるべきじゃなかった。


 借金よりも自分の命を優先するべきだった。


 などと考えても、この状況から察するにすべてが遅かった。


 おそらく……いや、ほぼ間違いなく俺たちは死ぬ。


 俺は最悪の結末を脳裏に浮かべる。


 美咲はレイプされた挙句に精神を病んで死に、正嗣も激しい暴力を受けて撲殺されるだろう。


 そして、そうなったらいよいよ俺の番である。


 きっと俺は生半可な殺され方はされない。


 何せ相手はダンジョン協会と真っ向から敵対している、凶悪で非道なカルト教団たちなのだ。


 俺はガチガチと歯を鳴らす。


 一体、俺はどういう殺され方をされるのだろうか。


 まさか、ホモ野郎たちにレイプされて凌辱の限りを尽くされるのか?


 それとも正嗣のように殴る蹴るの暴行を加えられて撲殺される?


 いやいやいやいや、そんな程度で終わるはずがない。


 俺は圧倒的な恐怖に支配されている中、一部だけ冷静に働いている脳みそによってマーラ・カーンのある言葉を思い出していた。


 ――これならば実験は大いに捗るに違いないのであ~る


 そう、マーラ・カーンは「実験」と言っていたのだ。


 俺も探索者の端くれだ。


〈魔羅廃滅教団〉がどういった活動をメインにしているかは知っている。


 数十年前から〈魔羅廃滅教団〉は悪魔と魔法を信仰しているのだ。


 それは武蔵野市にダンジョンが出現し、未曽有の大災害――〈ダンジョン事変〉と呼ばれるようになったあの大事件のときからそうだった。


 いや、むしろあの〈ダンジョン事変〉が起こったことで、〈魔羅廃滅教団〉は信者の数と過激な行動に歯止めが利かなくなったに違いない。


 人体実験。


 俺の脳内に不吉な二文字が浮かび上がる。


〈魔羅廃滅教団〉が他のカルト教団よりも恐れられているのは、ダンジョン内にいる魔物と人間を融合させて魔法を使えるようにすることだという。


 ファンタジー世界に存在する魔法のことではない。


 この現実世界に本物の魔法を生み出そうと暗躍しているのが〈魔羅廃滅教団〉だった。


 実際にどのような実験をしているのかはわからないが、俺は探索試験に合格して最初の講義を受けたとき、そのときの講師たちから耳にタコができるぐらいに聞かされた。


〈魔羅廃滅教団〉はイレギュラーと同じだから、探索途中に遭遇したら脇目もふらずに逃げろと。


 特に教祖や幹部連中は上位探索者と同レベルなため、そこら辺をうろついている魔物よりも格下と思ってはならないと忠告を受けた。


 ふん、大げさな。


 と、そのときの俺は思ったものだ。


 たかがカルト教団の人間が、上位探索者と同レベルなはずがない。


 確かに過去においては重大事件を起こしたのだろう。


 だが、そんなものは数十年前の話だ。


 きっと噂に尾ひれがついて、ダンジョン協会も本当のことよりも過大評価しているに決まっている。


 そんな気持ちがあったため、俺は借金返済のために〈魔羅廃滅教団〉をターゲットに決めたのだ。


 しかし、それがいかに馬鹿で愚かな行為だったことは今になって理解できた。


 こいつらは禁忌の象徴だ。


 人間の姿をした人間ではない連中。


 決して実力のない探索者が近づいてはならないアンタッチャッブル。


 それなのに俺たちはその禁忌の領域に土足で踏み込んでしまった。


 もうダメだ。


 このまま手をこまねいていては殺される。


 それもこの世でもっとも恐ろしく残虐な方法で。


 嫌だ!


 こんなところで死にたくない!


 俺はまだまだやりたいことがあるんだ!


 このとき、俺の脳裏に幼少期から現在までの記憶がよみがえってくる。


 俺は地上世界で裕福な家庭の三男として生まれた。


 親父は大物議員であり、母親は私塾を持つ教育アドバイザー。


 そこら辺の貧乏人は一生住めないような豪邸に住み、常勤のお手伝いたちも何人もいた。


 なのでガキの頃から金には一切不自由しなかった。


 地上世界において金は絶対的な価値の象徴だ。


 金さえあれば俺は王様のような振る舞いができた。


 現に俺は月に何十万と貰えた小遣いを使い、大勢の手下どもを子飼いにしてやりたい放題したものだ。


 中学の頃には何人もの女を手下どもとレイプし、孕ませても大物議員であった父親に頼めば簡単に揉み消せた。


 しかし、そんな俺にも劣等感はあった。


 俺には2人の兄がいる。


 長男は東大に入って司法試験を現役で合格したエリート中のエリート。


 次男は有名な陸上選手で、高校大学ともにスポーツ推薦でアスリートのエリートコースを歩んでいた。


 一方、三男の俺には何の才能もなかった。


 勉強も中学でつまずき、高校は金と両親のコネを使って有名私立校に入学したものの、そこでも俺は勉強もスポーツも平均以下で早々に両親から見限られた。


 とはいえ、俺は別に家から追い出されることもなかった。


 むしろ逆だった。


 両親は2人の兄たちと比べて何十倍も劣る俺を見ても、「この出来損ない」や「このクズ」などと罵らなかった。


 そう、両親は俺を罵らずに「お前はお前でいいんだ」と俺を受け入れたのだ。


 兄たちもそうだった。


 たまにしか会えなかったが、久しぶりに会っても俺を罵らなかった。


 両親から俺の素行は聞いていたはずなのに、俺に対して「お前にはお前しかできないことがある」と優しい言葉をかけたくれたのだ。


 そのときのことは今でも鮮明に思い出せる。


 面と向かって罵ったり勘当されるよりも、優しさで受け入れられるほうが何百倍も屈辱だった。


 だからこそ、俺は自分から家を飛び出した。


 こんなぬるま湯につかっていると、いつか俺の心は完全に壊れてしまう。


 両親の金で遊ぶことは楽しかったが、それも最初だけで高校を卒業する頃には虚しさを覚えることが多くなったせいもある。


 理由はわかっていた。


 自分の実力で金を稼いでいないからだ。


 自分の実力で名声を手に入れていないからだ。


 では、どうすればいい?


 どうすればこの心にぽっかりと空いた虚しさを塞ぐことができる?


 ずっと考え抜いた先、俺は自分の力ですべてを手に入れようと思った。


 そして家を飛び出した俺は、〈武蔵野ダンジョン〉へと向かった。


 探索者になって金も名声もすべて手に入れるためにだ。


 それなのに、俺の探索者としての人生は終わろうとしている。


 ダンジョン・ライブ上で大炎上し、借金を手にした不名誉な状態で今まさに俺の探索者……いや、人間としての人生が終わろうとしている。


「むふふふふ。さ~て、どいつから実験してやろうであ~るかな」


 マーラ・カーンは「誰にしようかな」という風に俺たちに指を向けている。


 そのとき、俺はピンときた。


 ここだ!


 生き残る最後のチャンスはここしかない!


「あの!」


 俺はマーラ・カーンに向かって叫んだ。


 全員の視線が俺に集まる。


 そして俺は心にもないことを最大限の演技をして言った。


「俺を〈魔羅廃滅教団〉に入団させてください!」と。


 しかし、このときの俺は自分で気づいていなかった。


 この言葉こそが、自分自身を本当の意味で地獄に突き落とす一言だったことに――。

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