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第三十五話  ダンジョンのどこかに

 今から数十年前。


 若き日の成瀬会長が異国から日本へと武術修行を終えて戻ってきたとき、地上世界である妙齢な女占い師に出会ったという。


 そして、その女占い師の占いの実力は抜群だった。


 地上世界にある歌舞伎町という場所の一角で占いをしていたらしいが、あまりにも占いが的中するので大手民間企業の社長クラスや日本政府にも顧客を持っていたらしい。


 そんな女占い師と面会する機会を得たとき、女占い師は成瀬会長の過去をすべて読み当てたばかりか、当時はまだ名前をつけていなかった自身の創始した武術に名をつけたいと申し出てきた。


 新たな武術の名前は【聖気練武】。


 女占い師が言うには、成瀬会長が新たに創始したと思っていた武術は、実は過去にこの世界とは別の世界からやってきた僧侶が会得していた武術だという。


 けれども、僧侶が会得していた【聖気練武】を当時のこの世界の人間が理解することはできなかった。


 それでも僧侶は諦めずに世界中を放浪し、各地の才能と理解に長けた人間たちに【聖気練武】の一端を伝授して回った。


 やがて世界中に【聖気練武】の知識と技の欠片がその土地の言葉や慣習、健康法や武術として継承されて名前がつけられる。


 エネルギーの名前は、気、プラーナ、チャクラ、マナ、オーラ――。


 武術の名前は、日本古武術、中国武術、シラット、カラリパヤット――。


 呼び方は様々だったが、すべてはその僧侶が発端として生まれたものだと女占い師は答えた。


 現在から何百年も前のことだったらしい。


「まさか、その僧侶というのは……」


「今まではわからなかったが、ケン殿の話を聞いたことで確信が持てた。その僧侶はあなたがいたアースガルドから何かしらの理由でこの世界にやってきたクレスト聖教会の武闘僧なのだろう」


 確かにそうだとすると、この世界に【聖気練武】があったことに納得がいく。


 アースガルドにおける【聖気練武】というものは、必ずしもクレスト聖教会の武闘僧だけが使えるものではなかった。


 潜在的に力を開花させる者もいて、俺も幼少期に力に目覚めたことでクレスト聖教会の放浪武闘僧であった師匠と偶然にも出会い、武闘僧見習いとして聖都グランタナスに同行したのである。


 まあ、そんなことはさておき。


 この地球にも魔力とは異なる聖気の力は充満しているので、潜在的に【聖気練武】と同じような力に目覚めている者も少なからずいるだろう。


 その女占い師も潜在的に力に目覚めた者で、占いが得意ということは【聖気練武】の〈聴勁〉に開眼して極めていた人間だったのかもしれない。


〈聴勁〉は真に極めれば他人の心どころか、未来すらも予知することができる。


 だが女占い師に限ってはもっと特異な能力が開花し、もしかするとこの世界の過去の記憶すらも読み取ってしまう力があったのかもしれない。


 あくまでも仮定の話だが、成瀬会長の話を聞く限りでは当たらずとも遠からずといったところか。


 そして話を元に戻すと、魔王がこの地球に俺たちと同じく転移している可能性がある。


 根拠はこの世界に【聖気練武】の種をまいた、アースガルドから転移してきたと思われる謎の僧侶の存在だ。


 俺はこれでもクレスト聖教会の〈大拳聖〉と謳われた上位武闘僧であり、クレスト聖教会の長い歴史についても熟知している。


 なので俺は瞬時にある人物の記憶をよみがえらせた。


 もしかすると、この世界に転移してきた僧侶というのはリンネ・ジオゲネス・クレストかもしれない。


 八百年前にクレスト聖教会を創設した、最初の武闘僧であり初代〈大拳聖〉である。


 そんなリンネ・ジオゲネス・クレストはクレスト聖教会を創設したあと、聖気と武術を融合させた【聖気練武】を体系化させて信徒たちに技を伝授することに精力を尽くしていた。


 理由は当時の時代は冒険者ギルドと呼ばれる魔物退治も扱う職業が存在していなかったため、クレスト聖教会の信徒が街から街へ托鉢たくはつする最中に魔物に襲われて命を落とす事件が多発していたからだ。


 リンネ・ジオゲネス・クレストはそんな信徒たちの被害をなくすために【聖気練武】を修得させ、人間界の各地で猛威を振るっていた魔族を徐々に南の荒涼とした土地へと追い込んでいった。


 そしてリンネ・ジオゲネス・クレストは当時の勇者パーティたちとともに、その時代も猛威を振るっていた魔王ニーズヘッドと闘ったという記憶が残されている。


 結果、魔王ニーズヘッドは勇者パーティーたちに封印されて平和な時代が訪れた。


 けれども、そのときにリンネ・ジオゲネス・クレストは行方不明になっていた。


 そのときにはクレスト聖教会は一大宗教組織となっていたため、高弟たちや信徒たちによって組織の維持や拡大は進められていったが、どれだけ探してもリンネ・ジオゲネス・クレストの姿はなかったという。


 俺の脳裏に転移魔法という言葉が浮かんだ。


 もしも当時の魔王ニーズヘッドが自分が封印される寸前、絶対的な敵対者と認識したリンネ・ジオゲネス・クレストを異世界――この地球に転移させたのだとしたらどうだ?


 理にかなっていると俺は思った。


 むしろリンネ・ジオゲネス・クレストをこの地球に強制的に転移させたため、他の勇者パーティーたちに封印されるほど力が弱まっていたとしたら。


 俺が生唾を飲み込むと、今まで黙っていたエリーが俺の眼前へと飛んでくる。


「ケン……これは由々しき事態やで」


 エリーも俺と同じ考えに至ったのだろう。


 俺はこくりとうなずいた。


「この地球――いや、このダンジョン内には俺たちと一緒に転移してきた魔王がいるかもしれない」


 俺がそうつぶやくと、成瀬さんも大きく目を見開いた。


「この〈武蔵野ダンジョン〉」内に異世界の魔王が……そ、それは本当なんですか?」


「確証があるわけじゃない。だが、その可能性もゼロじゃない。とはいえ、仮に俺たちの他に魔王がこのダンジョン内にいるとしたら、エリーが言ったように由々しき事態だ。魔王がどんな状態でいるのかはわからないが、もしも俺と最後に闘ったときと同じ状態なら未曽有の被害が出る」


「しかし、ケン殿。それはあくまでもあなたの予想に過ぎないことでしょう?」


 そう言ったのは成瀬会長だ。


「まあな。ただ、相手はアースガルドで魔王と恐れられた存在だ。奴が俺やエリーと同じくこの世界のダンジョン内に転移して来ているのなら、絶対に見過ごすわけにはいかない」


「とはいえ、その異世界の魔王さ……いえ、魔王を見つけることは比較的簡単ではないのですか? どのような身なりをしているのかは存じませんが、魔王と呼ばれるほどの存在なら探索者たちからの目撃情報などが協会に入ってくるはずです」


 続けて答えたのは三木原さんだった。


 なぜか彼は声色を弾ませている。


 そんな三木原さんに俺は言った。


「それは楽観的過ぎる。ニーズヘッドの本体は負の感情の塊だ。そして奴は自身が選んだ外道中の外道の人間に憑依し、その憑依した人間かもしくはその人間が生ませた子供としてこの世に誕生すると言われている。もしも奴が俺と闘ったときの姿ではなく、物体のない状態でこの世に転移してきたのならそう簡単に情報など出てこない」


 そうである。


 魔王ニーズヘッドが数百年の間に中々討伐できなかった理由がそれだった。


 奴を本当の意味で倒すには、人間に憑依した状態で魂魄が欠片も残らないほどに消滅させなければならない。


 それには【聖気練武】の奥義が必要になってくる。


〈発勁〉の奥義である〈聖光・神遠拳〉。


 それをさらに昇華させた究極奥義によって。


 などと考えながら、俺が右拳をグッと握ったときである。


「ケン殿、1つよろしいか」


 俺は声をかけてきた人間に顔を向けた。


 成瀬会長だ。


「あなたや魔王の事情はわかりました。わしも迷宮協会の会長としてご協力致しましょう。協会に所属する探索者たちからそれとなく情報を集めようと思います」


 俺はパッと表情を明らめた。


「ありがたい。そうしてくれると非常に助かる。だが、すべてをあなたに任せるのは心苦しい。俺も自分で魔王の情報を集めてみようと思う」


「ですが、ここはあなたにとって遠い異国どころの話ではない。そう簡単に情報を集められますかな? 今のあなたはこの世界で何の身分もないのですぞ」


「たとえそうでも、これは俺と俺のいた世界の責任でもある。もしも本当に魔王がこのダンジョン内に転移しているのなら、俺は絶対に黙っているわけにはいかない。むろん、ただ指を咥えてあなたたちの情報を待つということもしたくない」


 俺の決意が本物だと伝わったのだろう。


 成瀬会長はニヤリと笑った。


「では、そんなケン殿に迷宮協会の会長として提案したいことがあります」


 直後、成瀬会長は驚きの言葉を口にした。


「今日からA級探索配信者となり、あなた自身が配信活動を通して多くの視聴者を獲得し、魔王の情報を集めてみてはいかがでしょう?」


 成瀬会長は唖然とした俺に言葉を続ける。


「そのために我が迷宮協会はサポートを惜しみません」


 この成瀬会長の提案をキッカケに、俺はA級探索配信者として魔王の情報を集めるために配信活動を始めることになる。


 そして、このときの俺は知る由もなかった。


 やがて俺がする配信活動がバズりにバズりまくり、伝説の探索配信者として全世界に顔と名前が知れ渡ることに――。

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