「ぎゃああああああああああああ」
俺はあらん限りの悲鳴を上げた。
これまでの人生で味わったことのない激痛が、それこそ電流となって脳みそを中心に胴体へ駆け抜けていく。
「ぬはははははッ! さすがは自分1人だけが助かるために仲間を差し出したクズであ~る! よい声で鳴くのであ~る!」
もうどれぐらいこの苦痛を味わっているのだろう。
「も、もうやめてくれえええええええええええ」
俺は目の前にいるマーラ・カーンに涙を流しながら懇願した。
本当は靴を舐めるほどに頼みたかったが、今の俺ではマーラ・カーンが履いている革靴を舐めることもできない。
「ふむふむ、やめてくれと申したであ~るか。ならばやめてやろうであ~る」
そう言うとマーラ・カーンは、親指と中指の腹を強くこすった。
バチンと甲高いスナップ音が鳴る。
すると俺の全身に走っていた電流がピタリとおさまった。
電流に似た激痛が消えたことで、俺はぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す。
それでも脳みそが焼け焦げているような錯覚がずっと続いている。
ああ……くそ……くそ……くそ……
俺は朦朧とする意識の中、ただただ絶望感に打ちひしがれていた。
まだ助かる可能性はあるだろうか?
大声を出せば誰か助けに来てくれるだろうか?
答えはすぐに出た。
いいや、無駄だ。
こんな場所で大声を出したところで、絶対に外には届かない。
それどころかそんなことをしても、マーラ・カーンを始めとしたこの場にいる〈魔羅廃滅教団〉の信者たちを悪戯に喜ばせるだけだろう。
現在、俺はどこともしれないホールのような場所にいる。
美咲と正嗣が殺されたあと、この場所に無理やり連れて来られたのだ。
そんな俺は実験体と言う名のオモチャにされている。
最初は抵抗しようとしたが、手足を拘束されていたので身体をジタバタさせるのがやっとだった。
しかし、命さえあればここから逃げられる機会がきっとある。
などという考えが、この場所へ連れて来られる前にはあった。
けれども、もうそんな希望は欠片もない。
なぜなら俺はこのホールに連れて来られるなり両手両足を切り落とされ、俗に言う頭と胴体だけのダルマの状態にされてしまったからだ。
しかも俺の両手両足は麻酔もなしに切り落とされた。
普通ならば意識は飛んで出血死していただろう。
だが、今の俺に両手両足を切り落とされた痛覚だけはなかった。
マーラ・カーンの仕業だった。
マーラ・カーンは俺の両手両足を信者たちに切り落とすように命じる前、俺の頭をつかんでこう言ったのだ。
「今から貴様の痛覚を一時的に麻痺させるのであ~る。これは〈発勁〉の応用技――相手の体内に衝撃だけを残す〈
直後、俺の頭部に電流が走った。
まるで脳みそに直にスタンガンを浴びせられた感じだった。
それから俺は両手両足を切り落とされ、そのときはマーラ・カーンが言ったように痛みはなかった。
ただし、それは一時的なことだった。
信者たちに傷口を包帯で巻かれて出血死だけは免れたあと、再び脳みそに電流が走って白目を剝くほどの激痛に襲われたのだ。
それからどのぐらいの時間が経ったのかはわからない。
俺は延々と脳みそから発生している電流のような激痛に苛まれていたのだ。
「さてさてさ~て、余興はこれぐらいにして本番といこうかなのであ~る」
俺はギクリとした。
両手両足を切り落とされたのに、まだこれ以上の苦痛が待っているのか。
このとき、俺の脳裏に「自殺」という二文字が浮かんだ。
けれども、手足を失った状態では自殺もできない。
よくフィクションの世界では舌を嚙み切って自殺するような描写があるものの、実際に舌を噛み切っても死ぬことは困難だ。
舌にある血管は少ないので失血死には至らず、舌の根本だけが喉のほうへと委縮することもないので窒息死も狙えない。
じゃあ、どうすればいい?
俺はどうすれば楽に死ねる?
「ぬはははは、それは無理なのであ~る。貴様は楽に死ねないのであ~る」
マーラ・カーンはニヤリと笑って俺を見下ろしていた。
「な……何だと……」
どうして俺の考えがわかったんだ?
まさか、あまりの恐怖で声が勝手に漏れていたのか?
「そうではないのであ~る。貴様の考えは吾輩の〈聴勁〉で読み取れるのであ~る。そして今も言ったのであ~るが、貴様は簡単に殺さないのであ~る。むしろスポンサーたちのために死ぬまで生かすのであ~る」
す、スポンサー?
何のことかわからなかった俺だが、ふとここで気がついた。
マーラ・カーンの後方で俺にカメラを向けている信者がいたことに。
「ようやく気がついたのであ~るか。現在、吾輩たちのことはライブ配信しているのであ~る」
ライブ配信という言葉を聞いて、俺は心の中でダンジョン・ライブのことを思い浮かべた。
「違うのであ~る。あれはダンジョン・ライブではなく、ダーク・ライブ上に配信しているのであ~る」
ダーク・ライブ?
ダンジョン協会が運営しているダンジョン・ライブとは違うのか?
チッチッチ、とマーラ・カーンは人差し指をメトロノームのように動かす。
「ダンジョン内にある動画共有プラットフォームは1つだけではないのであ~る。それこそ忌々しい迷宮協会のダンジョン・ライブが知名度も活用状況も1番ではあるが、吾輩たちのような裏の人間がもっとも活用するのがダーク・ライブなのであ~る。アクセスも利用も厳重に厳重を重ね、それこそ地上世界のダーク・ウェブのダンジョン版のような扱いがされている
ちなみに、とマーラ・カーンはウインクをしてくる。
「内容はお子さまにはとても見せられないような残虐な行為のみを配信するのであ~る。拷問、強姦、死姦、人食、そしてリンチによる殺人など何でもなのであ~る。しかし、吾輩たち〈魔羅廃滅教団〉が提供するものは実験。この世に悪魔と魔法を顕現させるための実験の過程を動画投稿することで、吾輩たちは豊富な活動資金をスポンサーから得ているのであ~る」
俺は目玉が飛び出るほど驚愕した。
なぜ、こいつら〈魔羅廃滅教団〉がこんなダンジョン内で密かに活動できていたのか。
その疑問が氷解した。
こいつらには裏のスポンサーたちがいたのだ。
どのようなスポンサーなのかは容易に想像できる。
おそらく腐るほど資産を持っている一方、大抵の娯楽は体験してしまって暇を持て余している金持ちたちだろう。
そんな奴らの残虐性を刺激する動画を配信し、数十年の間に渡って莫大な活動費用を得ていたのだ。
ただし配信という形で活動費用を得たのは近年になってからに違いない。
昔はインターネットがなかったこともあり、もしかすると実際にお忍びでダンジョン内に入っていた金持ち連中の目の前で実験を見せていたのかもしれない。
などとやけに冴えている頭で考えていると、再びマーラ・カーンが俺の頭をむんずと掴んでくる。
「長話が過ぎてしまったが、そろそろ本番にいこうかなのであ~る」
マーラ・カーンは片腕で俺のダルマとなった肉体を持ち上げる。
そのときである。
ガゴン、とホールの奥で巨大な何かが外れる音がした。
俺は目だけをその音がしたほうに向ける。
するとホールの奥から10人以上の信者たちによって、見るからに頑丈な鋼鉄製の巨大なコンテナが運ばれてきた。
やがてマーラ・カーンは俺を持ったまま床を蹴った。
そのまま3メートルはあったコンテナの上まで跳躍する。
信じられないことだった。
2メートルの大男の動きとは思えない。
それはもはや普通の人間の身体能力を大きく超えている。
などと思ったのも束の間、マーラ・カーンとともにコンテナの上に移動してきた俺は息を呑んだ。
分厚いコンテナの半分は屋根がなかった。
そのため屋根のある部分からコンテナの中は丸見えの状態だったのだが、コンテナの中には見知らぬ魔物が入れられていたのだ。
無数の蛇の髪をした、爬虫類のような皮膚をした妙齢の女。
顔や胴体は人間の女の形をしていたが、その乳房は10個以上もついている。
俺の頭にはギリシャ神話に出てくるメデューサという魔物女が浮かんだ。
そんなメデューサもどきの魔物女は、コンテナの中から俺を嬉しそうな表情で見つめている。
「あれは貴様ら探索者の言うところのイレギュラーの1匹なのであ~る。人間の女に対しては異常なほどの敵意を現わし、それこそグチャグチャのミンチになるまで襲い続けるのであ~るが、一方で人間の男――特に10代半ばから20代前半ほどの細身の男に対しては凄まじい求愛行動を取るのであ~る。ん? どんな求愛行動を取るのか? ファンタジー世界のサキュバスのように相手の精神が崩壊するまで精をむさぼり取るのであ~る。むはははははははは」
う、嘘だろ。
まさか、俺をあんな魔物女がいるコンテナの中に……
「ピンポンなのであ~る。今回の実験はあのイレギュラーとお前を交わらさせ、異世界におられる魔王さまを現世に召喚する
「い、嫌だ! 頼む……いや、頼みます! お願いですから助けてください!」
俺は涙や鼻水を垂れ流しながら懇願した。
そんな俺にマーラ・カーンは満面の笑みで言い放つ。
「こ・と・わ・る……なのであ~る。むははははははは」
直後、マーラ・カーンは俺をコンテナの中へと放り投げた。
「ああああああああああああああああ」
そして――俺は地獄の底へと落とされた。