俺は3回目の無双配信をするべく、新たなエリアへとやってきた。
通称、廃墟街エリア。
朽ちた石造建築物が不規則に並び立つ、まさに廃墟が連なって形成されたような異様な場所だ。
街と呼称されているが当然ながら人間は誰1人として住んでおらず、住み着いているのは魔物たちしかいない。
そして成瀬さんに聞いたところによると、このエリアに存在している魔物たちは非常に好戦的かつ強力であり、上位探索者もめったに足を運ばない場所だという。
「ここはあれやな……うちらがいた世界の建物とよう似てるな」
頭上を旋回しているエリーが周囲を見渡しながら言った。
「実は俺もそう思っていたんだ」
始めてこのエリアに足を踏み入れたときから思っていた。
明らかにこの廃墟街エリアは他の場所と様子も雰囲気も違う。
迷宮街などは
しかし、この廃墟街エリアにある建物を構成している建材は石だ。
軽く周囲を見渡してみると、建物の近くには迷宮街では見かけないランタンなどの照明器具の欠片が散乱している。
そのランタンもただのランタンではない。
アースガルドの魔法使いたちが使う、呪文を文字化した魔法文字が刻まれていたのだ。
これは一般的なランタンのように蝋燭や油に漬けた芯などを使うものではない。
魔力を込めると発光する、特別な鉱石を中に入れるタイプの魔道具ランタンだ。
魔法文字に込められた魔力によって蝋燭や油に漬けた芯の炎よりも長く明るく発光するので、アースガルドでは長い旅路をする行商人や旅芸人一座たちに非常に重宝されていた。
俺も勇者パーティと魔王討伐の道中によく使っていたから知っている。
この魔道具ランタンは地球には存在しない道具だ。
「どうやらこのエリアにある建物や道具は、俺たちがいたアースガルドから転移してきたのかもしれないな」
本当のところはどうかわからない。
少なくとも俺たちが転移してきたよりもはるか昔に転移してきたものだ。
見た感じだと朽ちてから数百年は経っているだろうか。
そうでなければここまで建物はボロボロに朽ちない。
ただ、そうなるとおかしいなことになる。
この〈武蔵野ダンジョン〉が日本に出現したのは数十年前。
だとすると、数十年前に出現したダンジョン内に数百年前に朽ちたアースガルドの建築物があるのはおかしい。
俺はアゴをさすりながら周囲を見回した。
この朽ち果てたアースガルドの建築物といい、クレスト聖教会の武闘僧の秘技だった【聖気練武】が存在していることといい、魔王の直属護衛軍の兵士だったイレギュラーたちがいることといい、この〈武蔵野ダンジョン〉はアースガルドの世界と歪に絡み合っている。
となると、やはり魔王がこのダンジョン内にいる可能性が高い。
だが、今はあくまでも可能性でしかなかった。
なぜなら、あの魔王ほどの実力の持ち主がダンジョン内にいたらすべてが一変しているからだ。
まず数千人もの人間が日常生活をしている迷宮街は確実に滅んでいるだろう。
それほど魔王ニーズヘッドの実力は最凶最悪なものだった。
魔族の王を名乗っていたに相応しく、「魔聖」や「賢聖」と呼ばれていた人間の魔法使いたちをはるかに凌駕する魔力と魔法の技を持っていたのだから。
そんな魔王に対抗する術の1つが【聖気練武】だった。
【聖気練武】。
神に素質を見出されたリンネ・ジオゲネス・クレストが創始し、のちにクレスト聖教会の武闘僧に伝えた超常的な技。
人間を神の領域にまで至らせる神技の体術。
ダンジョン協会に所属する上位探索者たちも【聖気練武】を使えるというが、成瀬会長の実力から考えるとアースガルドの上位武闘僧の足元にも及ばない。
理由は圧倒的な実戦経験の足りなさだ。
アースガルドでは魔物に殺されるのが日常で、そのため日常に平然と死が溶け込んでいた。
その死生観が【聖気練武】の力をより強力にする条件となり、自分や仲間や家族を守るために修行に修行を重ねて魔物に対抗していたのだ。
もちろん、俺もその中での1人だった。
そればかりか俺は【聖気練武】を30代を迎える前に極め、数百年ぶりによみがえった魔王を討伐するために勇者パーティーとともに魔王に挑んだ。
今でも鮮明に思い出せる。
スワンタナ荒地で魔王と一騎打ちをしたときの光景を。
けれども、肝心なことは未だに思い出せない。
俺は〈聖光・百裂拳〉で魔王に致命傷を与えたと思ったのだが、その前に魔王が死力を振り絞って俺と近くにいたエリーを巻き込んで地球に転移させたのだろうか。
それこそ、本来はやるはずのない自分も巻き添えにしながら。
ならばこの世界に魔王はいる。
あくまでも推測だったが、そう考えて行動したほうがよさそうだ。
何せ相手は魔王ニーズヘッド。
圧倒的な魔法の知識と魔力以上に、冷静で狡猾で残忍で計画性に長けた魔族の王として恐れられていた存在だった。
もしも俺とエリーと一緒に転移してきたあと、本当に致命傷を負って動けなかったとしたら。
俺が魔王だったならどうする?
決まっている。
自分の力と存在を徹底的に殺して
などと俺が思ったとき、目の前にエリーが飛んできた。
「この場所のことはともかく、今日の配信はいつするんや?」
「いつも何もまだイレギュラーが出てきてないしな」
「せやけど、あの成瀬伊織いう小娘も言うとったやないか。すでに配信日時は告知済みなんやから、その時間に合わせてケンの配信を待っている連中もおるって」
「待機、とかいうものをしている視聴者か」
俺はエリーの後方で飛んでいるドローンを見た。
ドローンの液晶画面には小さな字で「4200人が待機中」と表示されている。
つまり、これだけ俺の配信を心待ちにしている人間がいるとということだ。
「4200人か……どえらい数やな。ダンジョン協会も大騒ぎしとったし、まだまだケンの顔と名前がこの世界に知れ渡るな」
エリーはまるで自分のことのように笑うと、喜びを表現するかのようにクルクルと旋回する。
「そのおかげで俺たちがアースガルドに帰還する方法も見つかればいいんだけどな」
俺の噂は視聴者だけではなく上位探索者たちにも知れ渡ったそうなので、アースガルドに帰還できる特殊なアイテムの情報を知っている探索者もいるかもしれない。
まあ、それはともかく。
「エリーの言う通り、そろそろ時間だから配信を始めるか。あんまり視聴者を待たせるのも悪いしな」
そう言うと俺は丹田で〈聖気〉を練り上げ、ここら辺に存在する魔物たちを探知するべき〈聴勁〉を使った。
俺の全身を覆っていた〈聖気〉は油をかけられた炎のような勢いで周囲に大きく拡大していく。
「ケン、何か以前より〈聖気〉の総量が増えてへんか?」
「お前もそう感じたか?」
俺は〈聴勁〉の精度をあげつつ言った。
確かに数日前よりも〈聖気〉の総量が増えている。
ここ最近は配信のことを勉強していて基礎鍛錬をおろそかにしていたが、それでいて〈聖気〉の総量が増えた理由は1つしかない。
イレギュラーの肉を食ったからだ。
あれ以降、俺の体内で著しい変化が起こったことはわかっていた。
ただ、それが何なのかわからなかったのだが、ここにきてそれが明確に判明したのは
俺はイレギュラーを食うほど元の力を取り戻す。
基礎修行をおろそかにしていたのに力が上がった――正確にはアースガルドにいたときの実力に近づいたのがその証拠である。
「もしかして、イレギュラーを食えば食うほどアースガルドにいたときの力に戻っていくんかな? だとしたらもっともっとイレギュラーの肉を食おうで。うちも全面的に協力したるわ」
「お前はただ魔物の肉が食いたいだけだろ」
バレたか、とエリーがウインクしながら舌を出した。
「まったく……だが、まあいい。食えそうなイレギュラーが出たら積極的に食って――」
行くか、と言葉を続けようとしたときだ。
「――――ッ」
俺の〈聴勁〉が第三者の存在を察知した。
「出たぞ。人間じゃない。気配からして魔物だ。それも1匹じゃない……10……20匹以上はいるな」
そう言ったのも束の間、第三者たちの気配は一斉に俺たちに近づいてくる。
しかもスピードがかなり速い。
……人型種の魔物じゃないな
という俺の予想は的中していた。
ガルルルルルルル
常人なら身震いするほどの唸り声が周囲から聞こえてくる。
「なるほど、ここはアンデッド・ウルフの縄張りか」
アンデッド・ウルフ。
その名の通り、アンデッドとなったウルフ(狼)の呼称だ。
動物の中でも戦闘能力と敏捷性に優れていたウルフが、アンデッド特有の痛覚と恐怖が消失して誕生した非常に厄介な魔物である。
そんなアンデッド・ウルフの皮膚や肉はデロデロに腐り落ち、剥き出しの骨や飛び出ている眼球は見ていて気分のいいものじゃない。
「……ケン、こいつらを倒す配信もするんか? 倒す倒さんは別にして、耐性のない人間に見せていい魔物ちゃうで」
「ああ、そうだな」
俺はドローンの液晶画面に表示されている数字を確認した。
「5266人が待機中」
その待機人数を見て俺は決心した。
「だが、せっかく俺の配信を楽しみにしている人間がいるんだ。ここで無双配信をやめるなんてできないさ。それにアンデッド・ウルフは必ず群れで行動する。エリー、こいつらのボスの名前は憶えているだろう」
「当たり前やないか。ハイリッチ・フェンリルやろ?」
そうである。
アンデッド・ウルフを統括しているのは、ハイリッチ・フェンリルというアースガルドの冒険者たちに恐れられた存在。
このダンジョンではイレギュラーに相当する魔物だ。
単純な戦闘能力や敏捷性もさることながら、かなりの物理攻撃や魔法攻撃でも瞬時に再生してしまう能力を持つゆえに「出会ったら闘わずに逃げろ」と冒険者たちが口を揃えていたことを思い出す。
しかし、それはあくまでも並の冒険者たちが言っていたことだ。
俺は指の骨をボキボキと鳴らしてニヤリと笑う。
相手がハイリッチ・フェンリルならば、今の俺がどのぐらい全盛期の力を取り戻しているのかを試すちょうどいい試金石だ。
などと思ったとき、全部で26匹のアンデッド・ウルフたちは唸り声を上げながら徐々に間合いを詰めてくる。
ある一定の距離まで近づいたら一斉に飛びかかってくるつもりなのだろう。
そんなアンデッド・ウルフたちに対して、俺は〈聴勁〉を解いて代わりに右拳に〈聖気〉を集中させた。
続いて腰を落として右拳を脇に引き、渾身の〈発勁〉による突きを足元の地面に向かって打ち放った。
ドゴオオオオオオオオオオン――――ッ!
直後、強震の如き激しい揺れがアンデッド・ウルフたちを襲う。
アンデッド・ウルフたちは悲鳴を上げながら次々と地面に倒れていく。
「お前ら雑魚に用はないんだ。さっさと親玉を連れて来い」
そして俺はドローンを操作して配信を開始した。