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第六十二話  草薙数馬の破滅への言動 ⑮

【聖気練武】。


 確かにニーズヘッドはそう言った。


「おい、ニーズヘッド。その【聖気練武】って何なんだ?」


 俺はマーラ・カーンを見据えながらニーズヘッドにたずねる。


 ――〈聖気〉の持つ本来の力に、人間の体術を組み合わせた武術の総称だ。そして、その【聖気練武】の源となる〈聖気〉の力は矮小な人間にしか使えない。神のクソが己の眷族である人間という種を憐れんだ末に与えた力なのだろうな。ただし、その力を自由自在に使いこなせる人間は稀だ。ゆえに【聖気練武】の使い手は見つけ次第殺さなければならない。それほど【聖気練武】の使い手は厄介なのだ。特に人間から魔族へと転生した者にとってはな


「あんたも向こうの世界で色々とあったんだな」


 ――今となってはせんないことよ。それに人間を捨てたことで我は魔族となり、魔法を極めた末に魔族の王――魔王となった。悔いなどあろうはずもない。しかし、それ以外のことでは悔いがある


 直後、ニーズヘッドの声色がガラリと変わった。


 ――あいつさえ、ケン・ジーク・ブラフマンさえいなければ我は人間どもを滅ぼし、アースガルドを支配できたのだ。ああ、憎きケン・ジーク・ブラフマン。あやつにとどめを刺される間際、己の魂魄に溜めていた最後の〈魔力〉を放出して危機を乗り越えたまではよかったが、あやつの尋常ならざる〈聖気〉の力と衝突したことで、まさかこんな異世界に飛ばされることになるとは……


 ケン・ジーク・ブラフマン。


 アースガルドとかいう異世界の人間の名前だろう。


「ケン・ジーク・ブラフマン」


 俺はその名前を口に出してみた。


「ケン・ジーク・ブラフマン……ケン・ジーク・ブラフマン……ケン・ジーク……ケンジ」


 拳児。


 俺は眉間に深くしわを寄せた。


 なぜ、こんなときにあの荷物持ちの名前を連想させたのだろう。


 人間だった頃、美咲と正嗣と一緒にボコボコにしてパーティーから追放した足手まといのクズ。


 先ほどの無力なダルマの肉体で、背中に死神の気配を感じていたときは恨みの対象の1人だった。


 だが、今はもう何の感情も持ち合わせていない。


 視界に入ったのなら容赦なくブチ殺すが、そうでなければ生きてようが死んでようが別にどうでもよかった。


 たとえるならコバエだ。


 生きている分には何の感情も持たないが、そのコバエが自分の肉体に接触するほど近づいてきたり、プライベート空間で飛んでいたら無意識に殺そうとする。


 それと同じだ。


 自分の邪魔をしない状態ならば放っておくだけの話である。


 まあ、よく考えたら拳児の奴はもうどこかで野垂れ死んでいるだろうが。


 などと一瞬だけ拳児のことを思い出していると、マーラ・カーンの全身を覆っていた黄金色の光はどんどん勢いと強さを増していく。


 それはさながら紅蓮の炎のようだ。


「人間だけが使える……いや、厳密には人間の中でも正確な知識と修練を積んだ末に覚醒する力か」


 ――そうだ。あの力に目覚めた人間は、それこそ人間を超えた存在になる。まさに超人の域だな


「くくく」


 俺は白い歯をむき出しにした。


「その超人であるあのクソ野郎と、魔人である俺はどっちのほうが強い?」


 正直なところ、訊かなくてもわかっていた。


 けれども、今の俺はどうしても魔王からの返答を聞きたくてたまらない。


 ――知れたこと。無論、魔人である貴様のほうが圧倒的に強い


「だよな」


 それは俺も本能で理解していた。


 確かに〈聖気〉という力を放出したマーラ・カーンからは並々ならぬ力を感じる。


 しかし、それはあくまでも普通の人間と比べてだ。


 魔人となった俺からしてみれば、普通の人間に少しばかり毛の生えた程度。


 その気になれば簡単に殺せる。


 ――何度も言うが殺すなよ。あいつらはまだ使い道がある


「わかったよ。お前の言う通り殺しはしねえ……ただ、少し遊ぶぐらいは構わねえだろ? 人間だった頃に味わった苦痛を返すぐらいにはな」


 ――ああ、それぐらいは構わんぞ


 魔王ニーズヘッドから許可をもらったことで、俺は首を左右に振ってゴキゴキと骨を鳴らす。


「おい、そういうわけだチ〇コタトゥー野郎! 殺しはしねえが、それなりの苦痛を与えてやるから覚悟しな!」


 俺が言い放つと、マーラ・カーンはキョトンとしたあとに「むはははははは」と快活に笑った。


「何という威勢のよいイレギュラーなのであ~るか! よし、決めたのであ~る! 貴様の四肢を切り落として人間の女と交わせるのであ~る! それを配信して大儲けするのであ~る!」


 そう言うとマーラ・カーンは、地面を滑るような歩法で俺に向かってくる。


 言葉遣いこそふざけた物言いだが、マーラ・カーンは相当な武術の使い手らしい。


 常人よりもはるかに速く滑らかな動きだったからだ。


【聖気練武】という技を使えることもそうだが、おそらく日常的に肉体鍛錬も欠かしていないのだろう。


 ゆえに素手でもかなり強いことは動きだけでも十二分にわかった。


 それこそ、イレギュラーを殺さずに捕まえるぐらいは余裕かもしれない。


「まあ、魔人となった俺とイレギュラー程度を比べられても困るがな」


 俺がつぶやくと同時に、間合いを詰めてきたマーラ・カーンが攻撃してくる。


「我が【魔力練武】の秘技の数々を食らえ!」


 マーラ・カーンは疾風怒濤の突きの連打を放ってきた。


 くくく……


 俺はほくそ笑みながらマーラ・カーンの猛攻をすべて避けた。


 顔面や喉元、心臓や水月に飛んできた突きを紙一重で避けてみせる。


「ぐぬぬぬ」


 顔を歪めたマーラ・カーンは、続いて丸太のような足で蹴りを繰り出してきた。


 左の軸足を返し、腰の捻転の力も加えて右の回し蹴りを放ってくる。


 狙いは俺の側頭部だ。


 遅え……


 俺は半円を描いて飛んできた回し蹴りをバックステップして躱した。


 目の前を暴風が通過し、俺の前髪の何本かが空中に舞う。


「ちょえい!」


 回し蹴りを躱されたマーラ・カーンは、その右足の勢いを殺さずに追撃を放ってきた。


 素早く右足を地面につけるや否や、すかさず左足での後ろ回し蹴りに繋げてきたのである。


 遅すぎる……


 我慢できなくなった俺は、スローモーションのように見えていたマーラ・カーンの後ろ回し蹴りに対応した。


 避けたのではない。


 俺はマーラ・カーンの足首に軽く手刀をお見舞いしたのだ。


 ベギンッ!


 俺の手刀はマーラ・カーンの足首を叩き折った。


「ほぐあッ!」


 当然ながらマーラ・カーンは絶叫した。


 常人ならここでうずくまって戦意喪失しただろう。


 しかし、そこはカルト教団の教祖。


 手下の見ている手前もあってか、無傷の右足で床を蹴って俺から距離を取った。


「ほう」


 俺は感嘆の声を漏らした。


 右足一本で跳躍したマーラ・カーンは、その場から数メートルも一気に遠ざかったのだ。


 あれも【聖気練武】という特殊な技のおかげだろうか。


 などと思ったとき、俺はふとマーラ・カーンが口にした言葉を思い出した。


「なあ、ニーズヘッド。あいつはさっき【聖気練武】じゃなくて【魔力練武】って言ってなかったか」


 ――言ったな。【聖気練武】ではなく【魔力練武】と


「どっちが本当の名前なんだ? それとも【魔力練武】なんていう技もあるのか?」


 ――そんなものはない。【聖気練武】は【聖気練武】だ。そしてあの者が使っているのは間違いなく〈聖気〉を力の源とする【聖気練武】


「となると、あいつは勝手に【聖気練武】を【魔力練武】って言ってんのか? 何のために?」


 ――聞いてみればよいではないか。当の本人にもっと苦痛を与えながらな


 そりゃそうだな、と俺が納得したときだ。


「お、おのれええええええええええええええ」


 マーラ・カーンがうずくまりながら俺を睨みつけていた。


「たかがイレギュラーの分際でよくも吾輩の身体を傷つけてくれたのであ~るな!」


 直後、マーラ・カーンは折れていた自分の右足に両手をかざした。


 そして――。


「〈魔力・大回復〉ッ!」


 と高らかに言い放った。


 するとどうだろう。


 マーラ・カーンの右足に〈聖気〉が集まっていく。


 時間にして10秒ほどだろうか。


「むはははははははッ!」


 マーラ・カーンは2本の足で立ち上がり、万歳をするように大きく両手を広げた。


「おいおい、完全にぶち折った足が治ったぞ。あれも【聖気練武】という技なのか?」


 ――そうだ、〈聖気〉の集中によって自身の自己治癒力を強化する技だな


 へえ、と俺は感心した。


「つまり、骨折ぐらいの傷ならすぐに自分で治せるってことか……だったら、ある程度まで痛めつけても死ぬことはないってことだな」


 ――脳みそや心臓、内臓を一瞬で潰さなければ大抵の怪我は治せるだろう


「いいね。実にいい」


 俺がニヤリと笑うと、マーラ・カーンは俺に人差し指を突きつけてくる。


「見たか、イレギュラー! これが吾輩の力なのであ~る! この聖気練……もとい【魔力練武】を使う吾輩は無敵なのであ~る!」


 俺は鼻で笑った。


「そうか。じゃあ、本当にお前が無敵なのか俺が確かめてやるよ」

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