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第六十三話  草薙数馬の破滅への言動 ⑯

「ぬおおおおおおおおおお」


 怪我が治ったことで気力も回復したのだろう。


 マーラ・カーンは全身に〈聖気〉の炎をたぎらせ、再び俺に向かって果敢に突進してくる。


 直後、マーラ・カーンの2度目の快進撃が始まった。


 マーラ・カーンはあらゆる角度から、突きや蹴りを縦横無尽に繰り出してくる。


 その一撃一撃は限りなく速く重い。


 俺は瞬き1つせずにマーラ・カーンの攻撃を避けながら思った。


 普通ならば1発食らっただけでも大ダメージを負うだろう。


 胴体だと内臓破裂。


 両手や両足なら完全骨折という具合に。


 だが魔人となった俺からすれば、マーラ・カーンの攻撃など児戯に等しい。


 現に俺はマーラ・カーンの猛攻をすべて避けていた。


 常人には避けられないスピードだったろうが、俺にはスローモーションのように見える。


 実際にするつもりはないが、やろうと思えば避けたマーラ・カーンの拳にキスできるほどだ。


 それぐらい俺にはマーラ・カーンの攻撃が遅く見えていた。


 さて、どこら辺で反撃してやろうか。


 などと俺は最初のうちこそ考えていたが、何十発という突きや蹴りを躱している最中にこう思ってきてしまった。


 ……何か、飽きたな


 正直なところ、攻撃を避け過ぎて反撃するのも億劫になってしまったのだ。


 ああ……ウゼえ


 俺は心の中でつぶやくと、こんな遊びはさっさと終わらせようとした。


 先ほどまでの俺は遊べるところまで遊ぼうと考えていたが、マーラ・カーンとこれ以上遊んでいても退屈だと感じたからである。


 なので俺は適当に攻撃を避けたあと、マーラ・カーンの懐に一気に飛び込んだ。


 そしてマーラ・カーンの額に軽く「デコピン」を打った。


 バシイイイイイイイイイイイイインッ!


 空気を鞭で叩いたような乾いた音が鳴り、俺のデコピンをまともに食らったマーラ・カーンは顔を仰け反らせて吹き飛んだ。


「ほぎゃあああああああああああああ」


 絶叫しながら背中から地面に落ちたマーラ・カーンは、そのままゴロゴロと床を転がって壁に激しく衝突した。


「あれ?」


 俺は思わず素っ頓狂な声を発した。


 頭部が胴体から千切れないほどは力を弱めて打ったものの、予想以上にマーラ・カーンの巨体は俺のデコピンによって吹き飛んだ。


「もしかして死んだか?」


〈魔眼〉によってマーラ・カーンの生存を視認する。


 ドクン、ドクン、と心臓は未だに脈を打っている。


「おっ、よかったよかった。死んでねえな」


 俺がホッと胸を撫で下ろすと、魔王ニーズヘッドが「もう少し手加減せよ」と注意してきた。


 ――相手が【聖気練武】の使い手とはいえ、魔人となった貴様との実力差は天と地ほどもあるのだ。貴様の思った手加減よりもさらに十数倍は手加減せよ。でなければ人間の肉体など簡単に灰塵となる


 灰塵となるとは凄い表現だ。


 いや、それほど魔人の俺と人間では力に差がつきすぎてしまったのだろう。


「すまんすまん……で、あいつを生かしておいてどうするんだ?」


 ――決まっておる。我がこの世界を蹂躙して征服するための駒になってもらう


「どうやって?」


 ――あやつに近づいて頭部を掴め。さすれば我があやつの脳に直接記憶を見せる


「記憶を見せる? 何のだ?」


 ――アースガルドの魔王であった我の記憶をだ。先ほどからあやつのことを貴様の〈魔眼〉を通して観察していたのだが、どうもあやつは邪神崇拝者だな。【聖気練武】のことを【魔力練武】と言い換えたり、〈聖気〉による自己治癒力を強めたことを「魔力・大回復」と呼んでいたり、自分は魔に魅入られていると思い込みたい邪神崇拝者の典型的な気質だ


「ああいう人間は異世界にもいたのか?」


 ――無論だ。そのような人間たちを利用すればするほど人間どもの大陸を蹂躙できた。なればこそ、この世界でもあのような奴らは大いに利用するに限る


「なるほどな。それであいつらをためにお前の記憶を見せる、と」


 ――そうだ。そのほうが口で説明するよりも早かろう


 確かにそうだ。


 しかも今の魔王ニーズヘッドは俺の体内にいるため、魔王ニーズヘッドが第三者に意思を伝える場合は俺の口を通さなければならない。


 ならば魔王ニーズヘッドの記憶を見せたほうが手っ取り早い。


 そうなれば善は急げ。


 俺は全身を小刻みに震わせているマーラ・カーンに歩み寄った。


 心臓はまだ動いているものの、トラックにはねられたような衝撃を受けて瀕死の状態になっている。


 そんなマーラ・カーンの顔を掴むと、俺は片手でマーラ・カーンの肉体を持ち上げた。


 まるで羽毛のようにマーラ・カーンの肉体は軽かったが、それは魔人の力のおかげなのだろう。


「な、何をする気で……あ~る……か」


 虫の息の状態のマーラ・カーンがたずねてくる。


「心配すんな。殺しはしねえ。ただ、異世界の魔王の記憶をお前の脳みそに送り込むだけだ」


 俺がそう言うや否や、マーラ・カーンは喉が張り裂けんばかりに悲鳴を上げた。


 マーラ・カーンの全身が悲鳴と呼応して、ビクンビクンと電流を浴びたように跳ねる。


 魔王ニーズヘッドがマーラ・カーンに自身の記憶を送っているに違いない。


 どれぐらいの時間が経っただろうか。


 ――もう離してよいぞ、クサナギ・カズマ。そやつに我の記憶の一部を送った。そして、そのことでそやつは我らの手足となったわ


「マジか? たかが記憶を送っただけだろ」


 ――それだけではない。そやつの魔の心を少しだけ刺激してやった。そやつは心で大量の涙を流して喜びよった。ついに自分の悲願が叶ったとな


「よくわからねえが、もうこいつを離してもいいんだよな」


 俺は答えを聞く前に行動していた。


 マーラ・カーンの顔面を掴んでいた手をパッと離したのだ。


 マーラ・カーンの巨体がどさりと地面に落ちる。


 そこで俺ははたと気づいた。


「何だよ、こいつの怪我も治してやったのか?」


〈魔眼〉で視認すると、マーラ・カーンの全身打撲の怪我が治っていたのだ。


 ――ついでだ。おそらく、そやつは怪我をした場所に両手をかざさなければ自己治癒力を強化できないのだろう。そこで我が特別に〈魔力〉を流し込んで怪我を治してやった


「異世界の魔王さまは下等な人間にもお優しいな」


 ――くくく、もはやそやつは人間ではない。我らの忠実な魔の下僕よ


 魔王ニーズヘッドがそう言ったときだった。


 カッと目を見開いたマーラ・カーンは、倒れていた状態から居住まいを正した。


 それだけではない。


 俺を羨望の眼差しを見上げてきた。


 そして――。


「魔王ニーズヘッドさま! クサナギ・カズマさま!」


 マーラ・カーンは大量の涙と鼻水を流し始めるなり、文字通り地面に額をこすりつけて平伏する。


「これまでのご無礼、誠に申し訳ありませんでしたのであ~る! このマーラ・カーンこと五味楠男ごみ・くすお! 本物の異世界の魔王さまと魔人さまにお会いできて大変光栄なのでありますなのであ~る!」


 ぷぷぷ、こいつ本名はゴミ・クスオっていうのか。


 少し文字をひねったらゴミクズ男じゃねえか。


 意外なマーラ・カーンの本名を聞いて吹き出しそうになったが、こういうことは異世界の魔王は何とも思わないらしい。


 ――クサナギ・カズマ。こやつだけでは不十分だ。こやつの手下どもにも我の記憶を見せよ


 と、普通の口調で言ってきた。


「は? まさか、こいつの手下ども1人1人の顔を掴んで記憶を見せろってか? クソ面倒くせえぞ」


 ――いや、こやつの手下ども程度なら記憶を乗せた我の魔力だけをあてればいい


 などと言われても要領を得ない。


 一体、どうすればいいんだよ。


 すると魔王ニーズヘッドはやり方を教えてくれた。


「……それだけでやればいいのか」


 俺は魔王ニーズヘッドが教えてくれたことを実行した。


 額に意識を集中させ、全身の〈魔力〉を増幅させるイメージを浮かべる。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――――…………


 俺の全身に凄まじい〈魔力〉が満ちた。


 その〈魔力〉は形容するならば青白い鬼火である。


 しかもマーラ・カーンの燃え盛る炎のような〈聖気〉よりも十数倍は勢いがあった。


 俺はこの〈魔力〉を衝撃波として室内全体に発した。


 数秒後、室内にマーラ・カーンの手下どもの叫声が響き渡った。


 俺の放った〈魔力〉の衝撃波をモロに食らったからだ。


 もちろん、殺傷目的で放ったわけではない。


 なので手下どもは全員無傷だった。


 しかし、衝撃波を受ける前と受けたあとでは言動が著しく変化していた。


 手下どもはマーラ・カーンと同様、俺に対して「魔王ニーズヘッドさま! クサナギ・カズマさま! 我らは今よりあなたさまたちの下僕です!」と土下座してきたのだ。


〈魔力〉の衝撃波に魔王の記憶が込められており、その記憶の衝撃波を受けたことで手下どもは教祖と同様に、俺と魔王ニーズヘッドの配下に加わったのだ。


 すげえな。


 俺は心中で感嘆の声を発した。


 ある意味、これも立派な洗脳という魔法である。


 そんなことを思っていると、マーラ・カーンが勢いよく顔を上げた。


「魔王ニーズヘッドさま、クサナギ・カズマさま。今より吾輩たち〈魔羅廃滅教団〉をお好きに使ってくださいなのであ~る。お2人のためなら何でもやるのであ~る」


「――って言ってるがどうする?」


 俺は体内にいる魔王ニーズヘッドに訊いた。


 ――そうだな。まずは手始めにこのダンジョン内から地上へと出たい


 俺は魔王ニーズヘッドの要求を口に出してマーラ・カーンに伝えた。


「でしたら迷宮街に行く必要がありますなのであ~る。あそこには憎きダンジョン協会の本部がありますなのであ~る」


 ダンジョン協会。


 今となってはあまり興味がないが、俺が人間だった頃に所属していた探索者どもを管理する民間団体の総本山だ。


 ――アースガルドにも似たようなものがあったな。だが、そのダンジョン協会とやらと地上に行くことと何の関係がある?


「ダンジョン協会には地上世界に行くための〈門〉があるんだよ」


 これは俺も知っていたため、魔王ニーズヘッドに教えた。


 迷宮街と呼ばれる場所にダンジョン協会の本部があり、そのダンジョン協会の本部施設の敷地内に地上世界に通じる〈ゲート〉があることを。


 ――くくく、そうか


 迷宮街とダンジョン協会、そして〈門〉のことを知った魔王ニーズヘッドは低く笑った。


 ――ならば、そのダンジョン協会を潰せばいい……いや、それだけでは面白くないな。ついでに迷宮街とやらも滅ぼせば混乱は増すだろう


「おい、マジか。迷宮街とダンジョン協会を滅ぼそうなんてさすが魔王の考えることは違うぜ。よっしゃあ、いっちょう暴れてやるか」


 おい、と俺はマーラ・カーンを睨みつける。


「魔王は迷宮街とダンジョン協会をひとまず滅ぼしたいってよ。当然だがついてくるよな?」


「モチのロンなのでありますなのであ~る! どのみちダンジョン協会は近いうちに滅ぼす手はずだったのでありますなのであ~る! そのための準備も整えてあったのでありますなのであ~る!」


 いちいち口調がウザかったが、まあそれぐらいは聞き流せる。


 だが、マーラ・カーンはその中でも聞き逃せない情報を口にした。


「ダンジョン協会を滅ぼす手はずを整えていただぁ? まさか、ダンジョン協会内にお前らのスパイでも放っていたのか?」


 マーラ・カーンは大きくうなずいた。


「魔王さまと魔人さまさえよろしければ、少し準備の時間さえもらえば迷宮街に飛べますなのであ~る」


 俺が首をかしげると、マーラ・カーンは懐から何かを取り出す。


 それは半月状の形をした、血のように赤色をした金属だった。

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