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第七十三話  黒髪の小さな闘神

「はあ……はあ……ねえ、みんな大丈夫?」


 新井京子あらい・きょうこことあたしは荒い息を吐きながら問いかけると、他のメンバーたちから「何とかな」と疲れた声が返ってきた。


 よかった、とあたしは胸を撫で下ろす。


 そして目の前の光景を見て、再び安堵の息を吐いた。


 迷宮街の肆番町よんばんちょうにいるあたしの前方には、今回の騒動で犠牲になった一般市民の死体に混じって、無数の魔物の死体も横たわっている。


 A級探索配信者のあたしをリーダーにした探索者PT――【花鳥風月かちょうふうげつ】が倒した魔物たちだ。


 ゴブリンやトロールといった通常の魔物たちが大半だったが、その中で1体だけ通常の魔物とは一線を画すほどの強敵の死体が地面に伏している。


 アーク・グリフォン。


 体長3メートルはあるイレギュラーの魔物だった。


 鳥の頭部と羽を持ち、胴体は筋骨隆々な人型。


 肉付きのよい鳥の足は筋肉の塊であり、あの足での攻撃は凄まじかったものだ。


 けれど、あたしを含めた6人組のPTである【花鳥風月】は、最後まで互いに協力してイレギュラーのアーク・グリフォンを倒すことができた。


 正直なところ、死人が出なかったのは奇跡だった。


 きっと迷宮街の外の探索エリアで遭遇したら全滅だったかもしれない。


 では、なぜあたしたちはイレギュラーを倒すことができたのか。


 あたしは頭上を飛んでいたドローンに顔を向ける。


 すると【花鳥風月】専用のドローンはあたしの目の前まで降下してきた。


 サブリーダーの遠山武人とおやま・たけとが操作してくれたのだろう。


 あたしはドローンの液晶画面を見て笑みを浮かべた。


 液晶画面にはあたしたち【花鳥風月】のライブ配信を視てくれているリスナーたちのコメントが流れている。


〈キョウちゃん、やったな!〉


〈イレギュラーを倒せるまでに成長したんだな〉


〈古参リスナーとして【花鳥風月】の成長ぶりに感激しています〉


〈絶対に無理すんなよ!〉


〈ここまで闘ったんだから、もうあとはS級探索者に任せて逃げてくれ〉


〈これ以上、京子さんを始め【花鳥風月】の皆さんの辛い姿を見るのは忍びありません〉


〈もういいじゃねえか! 配信なんてやめて全員で逃げてくれ!〉


〈このまま闘ったら皆死んじゃうかもよ〉


〈他の配信者たちの情報によると、魔物の大群はダンジョン協会の本部に向かっているっぽい〉


〈頼む、逃げてくれ〉


〈さすがにこれ以上の戦闘は無理だって。イレギュラーを1体でも倒せたんだから、早く配信を切って逃げようぜ。命、大事にだよ〉


 などと多くのリスナーたちからの励ましや、今後の行動についてのアドバイスが書き込まれている。


 そうだ、このリスナーたちのおかげであたしたちは闘えたのだ。


 あたしも今年で29歳。


 心はまだまだ現役だったが、正直なところ身体のほうは年々衰えていっている実感がある。


 このとき、あたしは探索者を志したときの記憶を思い出した。


 22歳のときに地上世界で勤めていた会社を辞め、一念発起して探索者の試験を受けたことを。


 中高ともに剣道部に在籍したこともあって、何とか探索者試験に合格して最低級の探索者からスタートしたあとはあっという間だった。


 少しずつ実績と実力を身に着けていき、数年前から始まった「探索配信者」にも成ることができた。


 そして今年になってA級探索配信者に昇格し、長年にわたって苦楽をともにした武人以外の仲間を加えて【花鳥風月】を結成。


 今ではチャンネル登録者数2万人の〈花鳥風月ch〉として探索と配信活動を頑張っていた。


 だが、もしかすると今日で〈花鳥風月ch〉は終わりかもしれない。


 そう思ったときだった。


「京子……話がある。これからの俺たちの行動についてだ」


 相棒であり恋人でもあった武人が近づいてきた。


 配信中だというのに堂々とあたしの名前を呼んでくる。


「情けないことだが、俺たちはこれ以上闘えない。もう限界なんだよ。協会からの命令に背くことにはなるが、それも命あっての物種だ。あとは他の探索者たちに任せよう」


「それってライブ配信もやめるってこと?」


 そうだ、と武人は真剣な表情でうなずいた。


「でも、あたしたちはA級探索配信者なのよ。戦線を離脱するってことは、今のライブ配信もやめるってことでしょう。そんなのは許されない。それにもっと過酷な現場で闘っているのは成瀬会長やS級探索者たちなのよ」


 あたしたちA級探索者は、主に迷宮街で逃げ遅れている一般市民たちの安全圏への誘導や護衛の仕事を協会から命じられていた。


 もちろん、この命令に背くような上位探索者は1人もいなかった。


 あたしもそうである。


 長年の功績が認められて武人と一緒にA級探索者にランクアップしたあと、協会本部で特別な力を開眼するためにS級探索者から指導を受けた。


【聖気練武】という特殊能力である。


 一昔前には超能力と呼ばれていたこの力は、普段は閉じている人体の気脈というエネルギーラインを特殊な瞑想や呼吸法で開けることにより、通常では考えられない超常的な力が顕現するというものだ。


 そしてあたしと武人は、さっきもこの【聖気練武】を使って通常の魔物とイレギュラーを倒した。


 だけど、本当は武人が言うように心身ともに限界だった。


【聖気練武】の力を使えるようになったのはいいけれど、その基本技を使うだけでも凄まじい精神力と体力を削られてしまう。


 やっぱり、あたしは凡人だったというわけね。


 クラス的には同じA級探索者とはいえ、そのA級探索者の中でも絶対的な力の差というものがある。


 あたしは2人の若いA級探索者の顔を脳裏に浮かばせた。


 1人は成瀬会長の孫娘であり、チャンネル登録者数が80万人を超えるインフルエンサーの成瀬伊織さん。


 あたしよりも10歳以上は若いのに、コネではなく実力で今の地位を築いてきた本物の才女。


 そしてもう1人は、その成瀬伊織さんをも超える才能を見せている、新星の如く現れた「元荷物持ち・ケンジch」の拳児くんだ。


 あの2人こそ将来はS級探索配信者となり、ダンジョン配信界に革命をもたらす若き逸材たちだろう。


 その中でも「元荷物持ち・ケンジch」の拳児くんの実力は別格だった。


 言うなれば、黒髪の小さな闘神とも呼べるほどに。


 では、そんな2人と同じA級探索配信者のあたしが楽をしていいのか?


 答えはノーに決まってる。


 けれど、心身ともに限界なのは武人の言う通りだ。


 さすがにもうイレギュラーはおろか、中級クラスの魔物とも闘えない。


 それほどまでに実は心身ともに限界が来ている。


 とはいえ、そんなあたしたちでもまだできることはある。


 あたしは武人を見つめて言った。


「武人、あなたの言いたいことはわかった。でも、やっぱりここであたしたちが逃げるわけには――」


 いかない、とあたしが言おうとしたときだ。


 突如として戦慄の風が吹き荒れてきた。


 あたしたちは目を剥いて顔を上げる。


「うわあああああああああ」


 我に返った仲間の1人が、喉が裂けんばかりの悲鳴を上げた。


 一方、あたしと武人はあまりの衝撃に声を出せなかった。


 当然である。


 あたしたちの上空に、どこからか1体の魔物が飛行して現れたからだ。


 探索者の天敵と呼ばれている魔物の中に、翼竜種のワイバーンという魔物がいる。


 そのワイバーンの上位種――エンシェント・ワイバーンというイレギュラーだった。


「ケラアアアアアアアアアアアアア――――ッ!」


 エンシェント・ワイバーンが独特の声を発すると、ビリビリと大気と大地が激しく鳴動した。


 あたしの脳裏に今までの記憶が走馬灯のようによぎった。


 探索者になることに最初は反対しながらも、B級探索配信者となってから密かにコメントで励ましてくれた両親や兄弟たち。


 協会本部で【聖気練武】を教えてくれた、S級探索者の先輩兼師匠たち。


 こんなあたしを好いてくれて、こうして今でも一緒に探索や配信活動に協力してくれている武人。


 あたしたち、ここで死ぬの?


 嫌だ、まだ死にたくない。


 まだ探索していないエリアがたくさんある。


 それにあたしの配信をずっと視てくれて応援してくれているリスナーたちと、もっともっと交流をしていきたい。


 だから、まだ死にたくない。


 だが、どれだけ悔やんでも現状は好転しないだろう。


 エンシェント・ワイバーンなどが現れた以上、もはやあたしたちの命は風前の灯火以下だ。


 よほどのことが起こらない限り、あたしたち【花鳥風月】はここで全滅する。


 などと考えて悔し涙を目元に浮かべたときだった。


 ――〈聖光・神遠拳〉ッ!


 神経が極限まで高ぶっていたあたしの耳に、腹の底にまで響くような凛然とした声が聞こえてきた。


 直後、黄金色の光の塊がどこからか凄まじい速度で飛んで来る。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオ――――ッ!


 その黄金色の光の塊は、エンシェント・ワイバーンの片翼に直撃した。


 周辺に轟くエンシェント・ワイバーンの悲痛な叫び。


 致命傷には至らなかったようだが、確実にエンシェント・ワイバーンにダメージを与えたようだった。


 エンシェント・ワイバーンは片翼の一部を削がれたことにより苦痛に顔を歪め、空中で大きくバランスを崩して黄金色の光の塊が飛んできた方向を見やる。


 あたしも同様だった。


 黄金色の光の塊が飛んで来たほうに視線を移す。


「あ……ああ……」


 あたしは歓喜に打ち震えた。


 今ほどまで全身を蝕んでいた、恐怖という鎖が音を立てて千切れていく。


「お前の相手はこの俺だ!」


 そう言い放ってエンシェント・ワイバーンと対峙したのは、黄金色の光――〈聖気〉を全身から燃え盛る業火のような勢いで放っていた1人の少年。


 それは黒髪の小さな闘神の姿だった。

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