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こんなことの為に(その一)

「はぁあー……かったりぃなあ」


 その言葉通り、実に面倒そうに。見張りの番を交代させられた男は、背後の鉄扉にもたれかかって、深く嘆息する。ちなみに彼が見張りを始めてから、既に小一時間は過ぎていた。


 依然面倒そうに、その男はぼやき続ける。


「俺ってばツイてないぜぇ。まだ子供ガキだってのを差し引いても、超とびっきりの上玉だったてのによお……はあ。俺直々に男の相手の仕方ってもんを仕込んでやりたかったなぁ。そのついでに種も……あ、そういや確かあの嬢ちゃん、噂じゃあの『炎鬼神』様って話だったっけか?まあそうだろうとなかろうと、あんだけ可愛かったら関係も問題もねえよな。……ん?」


 その頭の中と同様の、下品極まった下卑た笑みを浮かべながら。欲望丸出しの随分と長い独り言を垂れ流し終えた、その時。ふと、男は気づいた。


 視線の先、日も沈みただでさえ薄暗いというのに、より深まった裏路地の闇の中に。ポツンと、他の闇から浮いている一つの影があった。


「何だぁ……?」


 それが一体何なのか、本能的好奇心に駆られた男はその正体を確かめようと、目を凝らす。しかしその影は闇に埋もれている上に、男の視力は特別良いという訳でもない。むしろ悪い。


 結果、その影が一体何であるか男はわからず。そして人体の生理現象の一つとして、無意識の内にその目を瞬かせた────そんな、一秒にも満たない僅かな、一瞬の内。


「おわあっ?」


 堪らずという風に、男は声を上げた。何故ならば、男の眼前に──────一人の青年が立っていたのだから。











 周囲の外観から、今目の前に続くこの裏路地がそうであると、僕は判断し。そして迷うことなく、その裏路地へと足を踏み出し、先に進む。


 昼間でも相応に薄暗い裏路地は、夜になったことでその全てが濃く深い闇に包まれており。だが僕はそれを苦にすることなく、曲がりくねったこの裏路地を進んでいく。


 ──……ここだ。


 そうして、僕は辿り着いた。あの廃墟の前へと。しかし、中に入る為には通らなければならない鉄扉の前に、男が一人、気怠そうにして立っていた。


 僕がその男を見つめていると、やがてその男も僕のことに気づいたらしい。男も遠目から、僕のことを眺めていた。


 ──面倒だな。


 そう短く心の中で呟いた僕は、一歩前に踏み出し──────




「おわあっ?」




 ──────男の目の前にまで、接近した。驚きの声を上げる男に対して、僕は短く伝える。


退いてください」


 だが、当然はいそうですかと男が僕の言葉を聞き入れる訳がなく。あからさまにその顔を不愉快そうに顰めさせて、ドスを利かせた低い声で僕に返事する。


「ああ?いきなり現れて退けだぁ?一体何様のつもりだ、お前さん。そっちこそ今すぐに俺の目の前から消えう────




 ドスッ──男の返事が望んだものではないと判断した瞬間、僕は躊躇いもなく。その無防備にもがら空きとなっていた人体の急所の一つ、鳩尾に拳を突き入れ、抉るようにして沈み込ませた。




 ────げッ……ご、え゛……ッ」


 という、呻き声を漏らす男に。僕は淡々と告げる。


「すみません。今、余裕がないんです」


 果たして、その僕の言葉が男に届いたかどうか。それはわからない。僕が言い終えるかないかの瀬戸際で、男は白目を剥き、顔を力なく俯かせてしまったのだから。


「……」


 全身から脱力したその男を退かし、改めて僕は鉄扉の前に立つ。そしてそのノブに手をかけ、握り、回そうと捻る──ことは叶わなかった。


 ──鍵……まあ、当たり前か。


 そう、目の前の鉄扉は鍵がかかっており、固く閉ざされていた。この鉄扉の鍵を持っているかどうか、それを確かめる為、失神している男の持ち物を漁る────普段の僕であれば、若干気を憚れながらも、そうしただろう。


 だが、さっきも自分で言った通り、今の僕はそんな心の余裕なんて、持ち合わせてなどいなかった。


「…………」


 時間にしてみれば、一秒にだって満たない、ほんの僅かな一瞬。その間に僕は判断を下し、そして間髪を容れずに行動へと移る。


 ──【強化ブースト


 ノブを握り締めたまま、僕は握っている手に、腕全体に魔力を伝わせた。瞬間、微かに鈍い音をさせて、僕が握り締めている鉄扉のノブが


 そしてそのまま僕はノブを、意思に従い











 ギギギッバギン゛ッッッ──さながらそれは、痛々しい悲鳴。甲高い音を立てて、本来内側に開くはずのその鉄扉は。、そして耐久力の限度を超えて、そのまま


「ひ、ひぃっ!?」


 鉄の塊である鉄扉が、まるで紙のようにいとも容易く引き千切られる様を、目の前で見せつけられた男が情けない悲鳴を上げ。次の瞬間、男の顔のすぐ横の硬い石の壁に、弾け飛んだ蝶番の一つが深々と突き刺さり、その周囲に亀裂を生じさせた。


「な、何だ何なんだッ!?な、殴り込みだってのかよッ!?」


 あまりにも現実離れした光景の連続に、男は極度の恐慌と混乱に陥ってしまうが、それでも今までの経験からか咄嗟に身構える。が、しかし。


「あ、あ……?」


 ゴォン──引き千切られ、支えを失った鉄扉が倒れ、鈍くて重い音を哀しげに響かせる。しかし、肝心の鉄扉を引き千切った者は、立っていない。そう、誰もいなかったのだ。


「一体、どうなって……」


 随分と風通しの良くなった玄関で、男は困惑気味に呟く。けれど、彼は気づいていなかった。


 自分の背後に、人影が立っていたことに。そのことに男は────最後まで気づけなかった。


 トッ──そして、無防備に曝け出していたうなじに容赦のない、鋭い手刀を叩き込まれ。呻き声一つ漏らすこともできずに、一瞬にして男の意識は刈り取られた。












 恐らく外に立つ者の合図で、内側からこの鉄扉の鍵を開けるのだろう。


 その役目を担っていたのだろう男が、引き千切られ倒れる鉄扉に気を取られている隙に、闇に紛れ音を消し、僕は素早くその背後に回り込んで。そして無防備だったその項に、躊躇せずに手刀を叩き込んだ。


 その意識を奪い取るつもりの威力で放たれた手刀を、まともに受けた男が意識を保てる道理などあるはずもなく。悲鳴どころか呻き声すら漏らせずに、男はその場で力なく崩れ落ちた。


 固く冷たい通路に倒れ込んだその男が、起き上がる様子は全くの皆無で。少なくとも意識を取り戻すのは数時間後だろうなと、その意識を刈り取った張本人たる僕は、まるで他人事のようにそう判断する。


 と、その時。ゾロゾロと、こちらに向かって来る複数人の足音を僕は聞き捉える。聞き捉え、堪らず嘆息してしまった。


 それから僕は天井を仰ぎ、左手で顔の左半分を覆い隠し。そして酷く陰鬱とした気持ちのままに、独り言を零す。


「鬱陶しいな……余裕ないって、言ってんだろ」


 そう零して、足音がする方へと目を向けた。

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