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狂源追想(その十七)

「ではまたしばらくの間は、遠出はないのですか?」


「ああ。新しい情報なんてそうそう手に入らないからな。また冒険者ランカー稼業に専念するよ」


 翌朝、寝台ベッドから起きた俺とシャロは朝の身支度などを済ませ、昨日予め作り置いていた朝食も食べ終え、玄関でそのような会話を交えていた。


「それじゃあ行ってくるよ、シャロ」


「はい。今日も一日、お互いに頑張りましょう」


 そう言って、俺とシャロは数秒見つめ合い。どちらかが言い出すこともなく、両方自ら進んで顔を近づけ、互いの唇を触れ合わせ、重ね合う。


 そうして、僅かばかりの名残惜しさを感じながらも、俺はシャロの唇から離れて。微笑む彼女に見送られながら、俺は玄関の扉を開いた。











 この街の朝は忙しい。まだ日も昇って間もないというのに忙しなく、目紛しく誰も彼もが動き回っている。そんな、一年前からずっと変わらない街の風景を眺めながら、俺は街道を歩いていた。


 ──……ん?


 と、不意に俺はその場に立ち止まり、明後日の方向へ顔を向ける。何故ならば、ついさっき────大気中に含まれる魔力マナの、奇妙な揺らぎを感じ取ったからだ。


 まるで静謐を保っていた水面に、石を投げ込み小波さざなみを立てたような。……とはいえ、気の所為と言われてしまえばそれで済まされてしまう程度の、ほんの微弱な揺らぎではあったのだが。


 その奇妙に思える現象に、俺は否応にも関心を引かれてしまう。引かれてしまうが、今は『大翼の不死鳥フェニシオン』に向かっている為に、すぐさま前に向き直って、何事もなかったかのように歩き出した。











『大翼の不死鳥』には、そう手間もかからず、特に何もなく辿り着いた。冒険者ランカーになってから数日の間は通るだけでも緊張を覚えたが、一年経った今ではもう何とも思わないその門を押し開き、広間ロビーに進む。


 一年経っても街の景色が変わらないのならば、『大翼の不死鳥』もまた変わっていない。一年前と同じ、しかし微妙に人は入れ替わっているが、相も変わらず広間は喧騒で溢れ返っていた。


「お、ライザー!お前帰って来てたのかよ。だったらそう言ってくれよお!」


「ジョナスの野郎が寂しがってたぜー!」


「ヒャッハー!酒美味え!」


 ……一応、彼らも俺の先達に当たる人たちなのだが、その性格やら振る舞いやらが原因で、どうにも敬う気になれない。しかし無反応で返す程俺は淡白ではない為、とりあえず手を振って最低限の反応は示した。


 歓声やら何やらに背を押されるようにして先に進み、俺は受付カウンター前にまで向かう。そこには、現状この場で唯一、手放しで尊敬できる人が日常いつも通り立っていた。


「あら、おかえりなさいライザー。今度の情報はどうだったのかしら?」


「残念ながら、今度もガセでしたよ。一応駄目元で訊いてみますが、何か新情報は入ってますか?」


 受付に立っていた女性────『大翼の不死鳥』の受付嬢であるメルネさんに訊かれたことを手短に答え、俺もまた彼女にそう訊ねる。しかし予想していた通り、彼女はその首を横に振るのだった。


「こちらも残念ながら、ね」


「そうですか……ああ、そういえばジョナスはもう来ているんですか?『夜明けの陽』と共同依頼クエストをする機会があったので、折角だからその時の話を聞かせようと思ってるんですけど」


「あら、それはちょっとタイミングが悪かったわね。ジョナス君なら依頼を受けて、もう行っちゃったところなのよ」


「え?そうなんですか?それですれ違わなかったということは、あいつは全く別の道を行ったのか……わかりました」


「まあ戻って来たら話してあげればいいじゃない」


 そう言って、余裕のある魅力的な微笑みを浮かべると共に、メルネさんは俺にグラスを差し出す。グラスには水が注がれており、受け取ってみれば適度に冷えていた。


「ありがとうございます」


 と、礼を述べて、俺はグラスに口を付け、中の水を喉へ流し込む。そんな時、ポツリとメルネさんが呟いた。


「貴方が『大翼の不死鳥』の冒険者になってから、もう一年が経ったのよね」


 メルネさんの感慨深そうなその呟きに、俺は頷き。グラスを受付台に置いて、口を開く。


「はい。気がつけばあっという間の日々でしたよ」


「……そうね。あっという間の一年だったけど、ライザー……貴方は変わらなかったわ」


 そう言うメルネさんの表情は、微かに昏く落ち込み、沈んでいて。それから申し訳なさそうに彼女は続ける。


「そう、昔も今も変わっていない。貴方の夢は、貴方の目標は、そして貴方の憧れは変わっていないのよね。……だというのに、そんな貴方の誠実さと一途さに『大翼の不死鳥』は応えられないでいる。今も、昔も……本当にごめんなさい」


「えっ、いや……ちょっと待ってくださいメルネさん。そんな、謝る必要なんかないですよ。『大翼の不死鳥』の情報提供には毎回助けられていますし、それに『世界冒険者組合』が躍起になって捜しても、その影すら見つけられないでいるんです。だからその、これは仕方ないというか……」


 突如、ブレイズさんの確かな目撃情報をろくに提供できていないことに負い目を感じ、謝罪をしてきたメルネさん。そんな彼女に対して、俺は慌ててそう言葉を返す────と、ほぼ同時のこと。




 ドクン──まるで心臓が鼓動を打つように。一際力強く、大気中の魔力が脈動し、揺らめいた。




「こ、これは、また……?」


 その魔力の揺らぎに、俺は身に覚えがあった。そう、それはついさっき街道を歩いている時にも感じたものと同質の、しかしそれとは比べ物にならない程にずっと、確かな揺らぎ。


「…………嘘」


 俺が僅かに動揺する最中、メルネさんが小さく呟く。見てみれば、彼女は愕然とした表情を浮かべていた。一体どうしたのかと思い、俺が口を開く────直前。


 バンッ──不意に、『大翼の不死鳥フェニシオン』の門が勢い良く押し開かれて。






「よっ、待たせたな。お前ら!」






 という、快活な声が広間ロビーを貫き。咄嗟にその声がした方向に俺は顔を向け──────目を見開いた。

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