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狂源追想(その二十三)

 この街────オールティアは夜も賑わっている。日中とはまた違った、夜独自の賑わいがあるのだ。


 点々と輝く街灯に照らされながら、街道を行く人々。そんな人々の内の数人を呼び込もうと、快活に声をかける酒場などの、夜という今の時間帯が本番の店の従業員たち。


 それら様々な光景が、この街の夜の日常で。俺もまたそれを好ましいものだと思い────しかし、今だけはどうしようもない程に癪に障り。鬱陶しいことこの上なく、そして煩わしいと。そう、俺は感じる他ないでいた。


 ──……。


 そんな自分に対して嫌気を差しつつ。何の疑問もなく、そして何の葛藤もなく。平穏安寧に、幸福そうに夜の日常を余すことなく享受している街の住人や、旅路の途中で訪れたのだろう者たちを流し見ながら。俺はただ無言で、黙ったまま。鉛のように重たい足を堪らず億劫になりながらも、引き摺るようにして。街道を進み、帰路を辿る。


 ……そう、シャロが独り待つ、店を兼ねている彼女の家を目指して。











大翼の不死鳥フェニシオン』からそう離れてはいないはずなのに、今日だけはやたら遠く長い帰路に思えた。心の中でそんな感想を抱きながら、俺は目の前の建物を軽く見上げ。そして若干気が憚られながらも、俺は懐から鍵を取り出そうとしたのだが。ふと手を止め、それから数秒挟みつつ、呼び鈴を鳴らした。


 リリーン──今ではもうすっかり聴き慣れてしまった鈴の音が響いて。それからすぐに扉の向こうからトタトタという足音がした後、間を置かずガチャリと扉の鍵が外される音がした。


「おかえりなさいませ、ライザー様」


 扉を開いて、その言葉と共に俺を出迎えたのは。白金色の髪と、それと全く同じ色をした瞳の女性────シャーロット。今、彼女の顔には花のような笑顔が可愛らしく咲いていた。


 何の裏表もない、純真無垢で屈託のないシャーロット改めシャロの笑顔に、荒れ果て沈み込んでいた俺の心が幾分か癒され。そしてすぐさま返事をしようと俺は口を開きかけ──────




『クラハ=ウインドア。俺はお前が認められない』




 ──────そんな言葉が、脳裏に響いた。


 ……シャロは、良い子だ。彼女は優しい、誰もが認める善人だ。対して俺は────最低最悪の、人種だ。




『お前の全部が気に入らない。とにかく気に入らない。どうしようもなく気に入らない。だから、俺はどうあってもお前のことを認められそうにない』




 齢一桁の頃からずっと。夢を見て、目標を抱いて、そして憧れた。それは全てかけがえのない大切で大事なもので。きっとそれは俺をライザー=アシュヴァツグフたらしめる、代えの利かない要素で。


 だからこそ、俺はああも言うことができた。今日会ったばかりの、何の事情も知らない人間に対して。ただそこに二人分の居場所などないから、引き退らせる為だけに。あんな酷い言葉を、遠慮容赦なくぶつけることができてしまった。


 それだけじゃない。あろうことか、俺は────




『ええ、本気ですよ。俺は何から何まで本気だ。……何です?貴女は俺に、何か文句でもあるんですか?……メルネさん』




 ────関係のない人たちにまで、逆上の矛先を向けてしまった。もうそれは、どうあっても許されない行為で、もはや取り返しのつかないことで。そしてそれは、俺にとって最悪極まりない、この世の地獄とも思える末路を招いた。




『そろそろいい加減にしておけよ、お前……こっちはただでさえ仲間を無能呼ばわりされて、メルネも馬鹿にされて……さっきからずっと腹ァ立ってムカついてんだよ、わかってんのか……?』


『しかも負けたってのに、クラハに襲いかかりやがって。往生際がわりぃにも、限度ってもんがあんだろうが。なあ』






『焼くぞ、お前』




 ──……俺は最低の人間だ。俺は、最悪の人間だ……。


 仲間を侮辱し、傷つけ。人生の全てだったはずの存在モノを失望させ。挙げ句の果て────その人の大事で大切な存在すらも、手にかけようとした。俺は、ライザー=アシュヴァツグフは……最低最悪の。


 ──そんな俺が、いいのか……?最悪最低のそんな俺が、シャロみたいな善人と言葉を交わし合っても、触れ合っても……関わり合ってもいいのか?


 いい訳がない。そんなこと、あるはずがない。こんな善人を────汚して穢すことなど、絶対に許されない。


 であれば、俺は────────


「……あの、ライザー様?」


 ────────という、こちらの身を案じるシャロの声に。後悔と絶望の深淵に突き落とされかけていた俺の意識が、不意に引っ張り上げられ、連れ出され。俺はハッとしながらも、静かに。


「……ただいま。シャロ」


 という、疲れた声音で返事することしかできなかった。そして無論、善人なシャロがそれを見逃す訳もなく、すぐさま彼女は俺に訊ねる。


「そ、その。どうかなされたのですか、ライザー様。わたしには、貴方が疲れ切っているように、思えて……」


「……」


 シャロの優しさが、俺の心に染み込んでくる。それは温かで、心地良くて────それ故に、痛かった。苦しかった。辛かった。


「ああ、そうだね……ごめん、シャロ。俺、疲れたよ。今日は凄く、疲れたんだ……」


 今すぐにも彼女の元に倒れ込み、彼女のことを抱き締めしてしまいそうになる自分を。凄まじい吐き気を堪えながら、必死に抑え。みっともないことに情けなく震えて止まらない声音で、俺はそう返事する。


「そ、そうなのですか?ライザー様、何か私に……貴方の為にできることはありませんか?」


 ──……君は、本当に……。


 シャロは根っからの善人だ。彼女の言葉に、偽善などというものは、一切含まれていない。そう、彼女は本気で本当に俺の身と、そして心を案じて言ってくれている。それが容易にわかってしまう程、彼女の善意は明け透けで。それは自信を持って誇れる、とても素晴らしい徳のあるものだ。


 そう深く思うと同時に、俺は確信する。故に、シャロにこう言った。


「大丈夫。でも、しばらく一人にしてほしい」


 その時、俺は笑顔を浮かべているつもりではあったのだが。あまり芳しくはないシャロの反応を見る限り、酷い笑顔だったのだろう。だがそれを気にする程の余裕なんて、今の俺は持ち合わせていなかった。


 何か言いたげにしていたシャロであったが、軽く微笑んで。小さく頷き、優しい声音で彼女は言う。


「わかりました。では私は、夕食の準備をしますね」


 そうして、玄関での俺とシャロの会話は終わったのだった。











 ──…………どうすれば、よかったのだろう。俺はあの時、一体どうするべきだったのだろう。


 部屋の中、寝台ベッドに腰かけ。顔半分を手で覆い俯かせながら。俺は独り、黙々と。そんな自問をただひたすら、永遠と繰り返していた。


大翼の不死鳥フェニシオン』での今日の振る舞いは、決して許されることではないと、俺もわかっている。そしてそれを償い、贖うことすらも。


 今日背負った俺の罪は、それ程までに重いものなのだ。……だからこそ、俺はこの部屋に入ってからずっと、答えの出ない自問を馬鹿みたいに繰り返している。


 ……いや、本当のことを言ってしまえば────。答えなんて、とっくのとうに出していた。


 認めてしまえばよかったのだ。意地を捨て、さっさと認めてしまえばよかった。あの青年────クラハ=ウインドアのことを。そうすれば、あんな出来事など、きっと起こらなかった。


 ああ、そうだ。認めてしまえば────諦めてしまえば、よかった。その居場所には一人分の空間しか用意されておらず、そしてその居場所に選ばれたのはクラハ=ウインドアだった。だから選ばられなかった俺が潔く身を退き、あの青年のことを『大翼の不死鳥』の新たな一員、仲間として。歓迎の一言でもかけてやれば、それでよかったのだろう。


 もしそうしていたのならば。もし、そうできていたのであれば。仲間であるはずの『大翼の不死鳥』の冒険者たちを侮辱することも、メルネさんを嘲笑することも────ブレイズさんに失望されることも、なかったはずで。


 そしてまた明日から日常を、日常いつも通りの生活を送れていた。『大翼の不死鳥』の皆と騒いだり、依頼クエストをこなしたり……そして、戻って来たブレイズさんと他愛のない世間話なども、できたかもしれなかった。


 そう、たとえもう自分の想いが届くことはなくとも。この夢と目標と、憧れが理解されることなどなくとも。


 同じ場所にいることくらいは、できていたかもしれない。俺が齢一桁の頃から抱いた夢を、定めた目標を、そして追いかけ続けたその憧れを。


 俺の人生の全てを捨て去ってしまえれば、諦めていられれば、何も起こりはしなかった。


 それに、それで俺は全てを失う訳じゃない。他にも大切で大事な、代えの利かない存在モノを見つけることができた。これからの人生は、その存在の為に────シャロの為に費やせば、それでよかったのではないか。


 ──そう、シャロの為に、俺の人生を……。


「…………ハハ」


 。そんなこと、俺にできるはずがなかった。こんな最低最悪の俺なんかに。


 だって、もはや手遅れだというのに。それなのに、俺は未だ夢と目標と憧れを捨てられないでいる。諦め切れないでいる。


 ……やはり、どうしても。俺はどうしても────クラハ=ウインドアのことを認められないでしまっているのだ。


「……」


 と、その時。不意にこの部屋の扉が数回、遠慮気味に叩かれて。それから申し訳なさそうなシャロの声が、扉を挟んで聞こえてきた。


「あ、あの。ライザー様、夕食の準備が終わったのですが……」


 ……シャロは、根っからの善人だ。そんな彼女と、最低最悪の俺が、これ以上関わっていいはずがない。


 だから、俺は────────


「……ありがとう、シャロ。そしてごめん。後で行くから、ちゃんと行くから……まだ少しだけ、そっとしておいてほしい」


「……ラ、ライザー様。私、私……」


 俺の返事に、シャロは何かを言い倦ねて。しかし、彼女がそれを最後まで紡ぐことはなかった。


「…………わかりました。では、お待ちしていますね」


 そう言い残して、数秒は扉の前に立ったまま。だがやがてゆっくりと、シャロがその場から去る気配を俺は感じ取る。


 そうして廊下から彼女の気配が完全に消えたのを確認して、俺は部屋の中で呟いた。


「シャロ。……シャーロット。俺は、決めたよ」


 呟いて、俺は窓を見やる。夜空に浮かぶ月が、こちらを見下ろし。この身に降り注ぐ青白い月光が、やたら眩しく。そして冷たく思えた。





















「…………ん、ぅ……?」


 静寂漂うリビングに、そんな可愛らしい呻き声が響く。それを発したのは、すっかり冷め切った料理が並ぶテーブルに突っ伏していた、絢爛に輝く美しい白金色の髪をした女性────シャーロット=ウィーチェである。


 まだ重たげな寝ぼけ眼を擦り上げ、シャーロットはゆっくりと突っ伏していた上半身を起こす。それから少し遅れて、彼女は悲鳴の如く言葉を発した。


「い、いけないっ!私としたことが、いつの間にか眠ってしまって……」


 それから慌ててすぐ目の前の料理を見やり、既に冷め切ってしまっていることを確認したシャーロットは、悲しげな表情を浮かべ────ふと、気づいた。


「あら、これは……?」


 向こう側、ほんの一年前までは誰も座ることがなかったそこに。料理が乗せられた皿の隣に、あるものが置かれており。シャーロットはそれを手に取り、呟く。


「……冒険者様の、冒険者証ランカーパスでしょうか……?」


 そう、見紛うことなく。それは己が歴とした、冒険者組合ギルドに所属する正規の冒険者であることの証。そしてこの冒険者証に、シャーロットは見覚えがあった。




『これを見てくれシャロ!俺、やったよ。遂にやったんだ!』




 そう、これは正しく『大翼の不死鳥フェニシオン』所属の《S》冒険者ランカー────ライザー=アシュヴァツグフの冒険者証だったのだ。


 それを手に取ったシャーロットは、己が胸に当てて、呆然と彼の名を口に出す。


「ライザー様……?」


 彼女の呟きは、静かに。そして悲しげに響いた。

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