「……………クラハ=ウインドアッ!!!!」
自分でも意外だと思ってしまう程に、その声には怒りと憎しみが込められていた。今のメルネはもう、昏く淀んだ負の感情に染まり切っていた。
「貴方よ!貴方が!貴方の所為で!貴方のッ!所為でッ!!」
毒々しく禍々しいそれらに背を突き押されるようにして、メルネが叫ぶ。瞳孔が開き切り、今にでもそこから零れ落ちそうになる程に見開かれた、彼女の藍色の双眸が。視界の先に立つその背中────他の誰でもない、クラハの背中を。を、射殺さんばかりに睨めつける。
「全部!全部全部全部、全部こうなったのはッ!!全部こうなったのもッ!!」
喉が破り裂けてしまっても、それでも一向に構わないとばかりに、怒声を張り上げ続けるメルネだったが。しかし、そんなのはこちらの知ったことではないかのように。クラハはその場に立ち止まることなく、そのまま歩き続ける。その姿を、その態度を目の当たりにして、より強く、鋭くメルネは叫んだ。
「待ちなさいッッッ!!!!」
憎悪に駆られ、怨恨を募らせた、その末の。メルネ渾身の一声が、ようやっとクラハの足を止め、彼をその場に立ち止まらせる。
「……」
が、背後のメルネに顔を向けようとはしない。けれど、そんなことを気にすることができる程の余裕など、今のメルネにはある筈もなかった。
「そうよ……!全部、貴方が悪いの……!全部貴方が悪いのよクラハ……!!」
ラグナを二度も傷心させ、そして再度泣かせてしまい。絶望と諦観に暮れ、失意の底に叩き落とされ、もはやその場に崩れ落ちへたり込むことしかできないメルネであったが。
「よくも、よくもッ!ラグナをっ、私をっ!ラグナと私をこんな目に遭わせてくれたわねッ!?こんな風にしてくれたわねッ!?」
そんな彼女を今一度立ち上がらせたのは、皮肉にもクラハに対する激しい憎悪と深い怨恨から生じた、爆発的な活力だった。
「クラハ=ウインドアッ!私は決して!絶対に!!貴方を……お前を許しはしない!!許さない、許さない!許さないッ!許さないッ!!私たちをこんな目に遭わせたお前だけはッ!!!私たちをこんな風にしたお前だけはッ!!!」
……きっと、今のメルネを目にした誰もが。他の誰でもない彼女こそが、あの『
それ程までに、クラハを激烈に責め立て続ける今のメルネは苛烈で、壮絶極まりなくて。筆舌に尽くし難いまでに、常軌を逸していた。
およそ正常からは遠くかけ離れてしまったメルネの言葉を、しかしクラハは。
「……」
依然として背を向けたまま、黙って聞き入れている────ように思える。彼は今、そこに立ち止まっているだけで。故にメルネの言葉が届いているのかどうかは、彼のみぞ知ることである。
「……何とか言いなさいよッ!このクソ野郎ッ!!」
そんな自殺行為と同義でしかないその態度を前に、堪らずメルネはクラハを口汚く罵ってしまう。が、それでも彼は黙ったままで。それが却って、彼女の思考を一瞬冷静にさせた。
──……ああ、もう駄目ね。
と、心の中でそう静かに呟くメルネの眼差しは。恐ろしいくらいに鋭く、冷ややかに据わっていて。
それが暗に、あと一手で。何かしらの、ほんの些細な切っ掛けたった一つで。彼女が今、辛うじてどうにか保っている、なけなしの理性を。致命的なまでに決定的に崩れることを如実に示していた。
ギリ──自分でも気づかない、無意識の内に。そのまま砕いてしまうのではないかという程の力で、メルネは歯を噛み締め。そして人知れず、薄皮が裂けて血が滲むまでに強く、拳を握り締める。
もはや明白であった。今、メルネがクラハに対して、決して少なくも薄くもない、確かな殺意を覚え始めてしまっていることは、誰の目から見てもわかる程に、明白であった。
しかし、それだけは駄目だと。その一線を超えてしまったのなら最後、もう二度と自分は戻って来れないと。そうわかって、理解しているメルネは。
故に彼女は、それを忘れようと。今この時、この瞬間だけは自分の頭から消し去ろうと努めた。
訪れるべくして訪れた沈黙。それを真っ先に破ったのは────
「貴女にはその資格がある。そうする資格を、貴女は持っています」
────意外にも、そのクラハの一言であった。彼の言葉を聞いた瞬間、即座にメルネの頭の中をドス黒い疑問符が埋め尽くす。
「……は?いきなり、何の、話……?」
今すぐにでも噴き出しそうなその怒りを、今はどうにか必死に抑え込みながら。あくまでも平静であることを装いながらに、メルネがクラハにそう訊ねる。
「僕は肯定します。貴女の
すると背を向けたまま、クラハはそう答え。そして、こう続けた。
「故に僕は逃げも隠れもしない。だから、貴女はそうすべきだ」
……薄々、そんな気はしていた。クラハが、自分の
そう、見透かされていた。勘づかれていた。気づかれていた────だというのに、その言葉通りこの男は逃げようとも、隠れようともしなかった。どころか、自分に向けられている殺意を正しいと、肯定さえする始末だった。
そしてメルネはそれが、堪らなく、どうしようもなく、どうしたって、これ以上にないくらいに、圧倒的に絶対的に。
「…………は、はっ、あはは……何それ。殉教者でも気取ってるつもり?最低最悪の聖人にでもなりたいの、貴方?……はぁ」
虫唾が走って仕方のない程、何処までも。大変受け入れ難く、途轍もなく気に入らなくて。
「ふざけんじゃないわよ」
そしてそれが遂に、決定打となってしまうのだった。
メルネは唐突に【
実に手慣れた様子でメルネの手が、その柄を力強く握り締めると同時に。その金槌全体に彼女の魔力が走り、帯びたかと思うと────一気に、巨大化する。
それはもはや金槌と呼ぶべき代物ではなく。無骨に大雑把で、ただひたすらに重厚な鉄塊の如き、一振りの武器。一振りの、戦鎚。
どうやっても女性の細腕一本では、振るうことはおろか持ち上げることすら叶わないだろうその戦鎚を。しかしメルネは大したことでもないかのように平然と持ち上げ、構えた。
「そのド頭かち割ってぶち砕いてやる……!」
と、物騒極まりなく、まるで冗談のような一言を。メルネは至極真面目に、真剣な声音で。陰鬱で暗澹とした昏い殺意を伴わせながら、吐き捨てるように呟き。そうして、彼女は己が両足に力を込めた。
グッ──メルネの足の筋肉が僅かに盛り上がり、隆起する。
「……」
数秒後にも、今すぐにでも。メルネがその場から駆け出し、ある程度開いているこの距離を一気に詰め切り、そしてこちらの脳天めがけて戦鎚を振り下ろせることなど。当然、クラハはわかっている。言及するまでもない当たり前の事実であると、彼は確と理解している。
わかっていて、理解していて。その上で、クラハは
『故に僕は逃げも隠れもしない』
その姿から、その言葉が騙りの虚勢などではないことを、メルネは思い知る。それを思い知った彼女は、戦鎚の柄を握り込む手に、更に力を込める。
もはや、二人には言葉など一切不要で。会話を交わすことなく、そして不意に、メルネが廊下の床を蹴りつけた。
一瞬にしてメルネは間合いに入り込み、既に振り上げていた戦鎚を。彼女は何の躊躇いもなく、少しの容赦もせずに。
この期に及んで未だに背中を向け、あくまでも無抵抗の姿勢を取り続けるクラハの脳天へ。
戦鎚を振り下ろす──────────直前。
「止めろぉ!そこまでだァッ!!」
と、メルネの背後で叫び。今にも戦鎚を振り下ろさんとしている彼女を、ロックスが羽交締めにして。その凶行を、彼は既のところで阻止するのだった。