バァンッ──荒々しく、を通り越して。もはや叩き壊さんばかりに『
一体何事かと、今広間にいる
無理もない。今し方広間に飛び込むように押し入ったその者の────クライド=シエスタの、その顔を目の当たりにしてしまえば。
『大翼の不死鳥』に所属する
今の彼の────人形が如き無表情で。しかし、まるで今すぐにでも
まるで狂気の谷底へ今すぐにでも身を投げようとして、正気の崖際に立っているような。そんな顔は、誰もがこの時初めて目にしただろうから。
例え他に類を見ない程の鈍感であっても。今のクライドが普段の、
そして幸いなことに、今この場にそんな者は誰一人としておらず。誰もが皆、決してクライドの行先を阻むことのないように。自殺などして堪るかと言わんばかりに、彼から距離を取る。
故にその女性
椅子に
「ひッ……!?」
図らずも、聞いてしまった。元はしがない
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す────という。
まるで壊れたように、それでいて揺るぎもしない確かな意志と強い決意を以て。延々とその口から漏れるクライドの薄暗い憎悪と、仄昏い怨嗟に。塗れて染まり尽くした、彼の呟きを。
女性とてわかっていた。別にクライドにとっては、ほんの一瞬でさえ気に留める必要もない、路傍の石に過ぎないだろう自分に対して。
酷く悍ましく恐ろしいことこの上ない、その殺気が。自分に対してわざわざ向けられた訳ではないことくらいは、彼女とてわかっていた。
だがそれでも、こちらの正気を削るには十二分過ぎた。
まるで自らの喉笛に、魔物の牙が食い込み、突き刺さり。そして無惨にも噛み千切られる────そんな
青いを通り越し、白い顔色を晒しながら。女性は小刻みに、絶え間なく身体を震わせ。やがて耳を澄まし意識を集中しなければ聴き取れない程の、くぐもった水音を立てる。
少し遅れて、女性が今履いているショートパンツの股間部が徐々に色濃く変色し始め、その裾口から薄黄色い筋が数本、彼女の
やがてくぐもった水音は堰を切ったように激しさを増し、それと同時に股間部は一気に色濃くなり、裾口から伸びる筋が無数となり。
そうしてあっという間に、女性の足元にはほんのりと湯気を漂わせる、大きな水溜まりが出来たのだった。
今し方、自らが作り出した粗相の上に、女性は力なく尻を落とし。
しかしクライドはそんな光景には目もくれず。ただひたすらに前へ、前へと突き進む。
──殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
頭と心の中をそれだけで埋め尽くして。視線の先、並み居る冒険者の全員が恐怖に慄き、身を竦ませその場から一歩も動けないでいる最中。たった一人、未だ独り呑気に
「どれが良いかな……?先輩は何でもいいって言ってたけど……」
などと、何処までも馬鹿馬鹿しくふざけた戯言を宣うその者の、すぐ背後にまで。クライドが迫るのには、一分も必要なかった。
文字通り、手を伸ばせばすぐに届く至近距離。しかしクライドの気配にその者が気づくことはなく。それがまるでこちらからの不意打ちを誘っているかのように思えて仕方なく、そののほほんとした余裕の態度が、クライドの神経をこれでもかと逆撫でる。
「……やっぱり先輩に訊くか」
と、呟いて。ようやっと依頼表の前から移動しようとしたその者の、無防備に晒されていた後頭部を。躊躇わず、透かさずクライドは掴んだ。
「ッ!?なっ」
そして遠慮も容赦もせずに思い切り、突然後頭部を掴まれ素っ頓狂な間抜け声を上げたその者の顔を、クライドは依頼表に叩きつけた。
ゴチャッ──水分を含んだ柔らかいものが、硬いものに勢い良く衝突した、嫌に生々しい音が
「が……ッ」
予期せぬ出来事と、顔面全体を覆う鈍痛に。その者は堪らず声を漏らす。が、そんなことは知ったことではないとでも言わんばかりに────二度三度、更に数回、クライドは後頭部を掴んだままに、その者の顔面で依頼表を叩くのだった。
叩きつけられる音に重なる、痛みに喘ぎ呻く声。それを聴いて────その場から動こうとする者は、誰一人としていない。男たちは息を殺し、女たちは手で口を押さえて。皆誰もが全員、動けないでしまっている。
わかっているから。もしその行為を止めようものなら、まるで
だから誰も動けない。誰も止めない。誰も助けない。何故なら誰だって、自分の身の安全が第一だから。自分の命が一番なのだから。
そうして音と声が等しく、十数回鳴って。やがて声はしなくなったが、それでも音だけは続いて。
誰もが思った。やっと満足したのか、と。これようやく、その者も自分たちも解放されるのだと。今し方行なわれていた、クライドの横暴の終わりを。その場にいる全員、誰しもが皆、予想した。
だが、そんな希望的観測に満ちた予想は──────────
「クラハ=ウインドアァァァッ!お前ェ!よくもォォォ!!やってくれたなァァァァアアアアッ!!!」
──────────という、常軌を逸したクライドの声によって。大いに覆され、そして粉微塵に打ち砕かれるのだった。