「…………」
指先に絡んで纏わりついている、どろりとしたそれ。それを、メルネは嫌悪や不快を示すことなく、ただ静かに眺める。
眺めて、それから徐に、指先を口元へ近づけた。紙や布で拭き取らず、そのまま。お構いなしに唇に触れさせ、その粘度を感じながら。
伸ばした舌先で、メルネは掬うように舐め取った。
そうして確かめた、ラグナの味。新鮮で生々しい、ラグナの、雌の味。
「……
と、一言呟き。数秒の間沈黙していたメルネであったが、不意に彼女は笑い出す。肩を小刻みに揺らし、酷く乾いた笑い声を、掠れさせながら漏らす。
そして悟った、というよりは何もかもを諦めてしまったかのような、そんな自嘲の笑みを浮かべながら────
「結局、私も同じだったってこと……かぁ」
────力なく、メルネはそう呟くのだった。
快楽漬けにして虜にして、こちらに依存させてしまうのが。一番、手っ取り早いと思った。そう思ったからこそ。
寝室を訪ね、押し入り。
そうして強請らせて、媚びらせて。そして最後には、達させた。こちらの意思で、お構いなしに、躊躇わず遠慮なく。
故にだからこそ、同じ──────────
『そうだ。俺はライザー……一年前、『
『そんな訳ないでしょうがああああああッッッ!?』
──────────自分もまた、彼らと同じだったということ。
此の期に及んで、もはや手遅れで、既に取り返しがつかないことを承知の上で。導き出した、その結論。ぐうの音も出せない程否定しようがなく、認める他にない、その帰結。
何もかもを諦めた、或いは全てを捨て去ったようなその一言は。より強く、それを実感する為のもの。より深く、罪の意識を得る為のもの。
「私も、二人と同じ……」
そうしてとうとう、遂に。メルネは正気を取り戻した。正気を取り戻した彼女は、受け入れた。
己が最も忌み嫌い、恨み憎んだ彼ら。そんな彼らと同じ存在────最低最悪の同類同族に。自ら、成り果てたことを。
──……そういえば私、何がしたかったんだっけ……?
未だラグナのそれが絡んで纏わったままの指先を見つめ、余さず視界に全てを映し込みながら。唐突に、メルネは自分に問いかける。
こうしてこのように、彼らと同じように、身勝手にラグナを傷つけて。穢らわしい己が欲望に、ラグナを無理矢理巻き込んでまで。結局のところ、自分は一体何がしたかったのか────今更ながら、遅過ぎると思いながら。メルネは考える。彼女はその答えを見出そうとする。
──私はラグナを救いたかった。私が救いたかったから、あいつに……クラハになんか、もう救わせたくなくて。
そうして終わりのない思考の螺旋を描いて、落ちていくその最中────瞬間、メルネは思い至る。
──ああ、私はクラハ=ウインドアを否定したかったんだ。
「ふ、ふふっ……あは、ははは……」
メルネは気づいた。彼女は気づかされた。直後、堪らず彼女の口から笑い声が漏れ出す。
「なぁんだ……私は救いたかったんじゃなくて、否定したかった……クラハを否定する為にラグナを救おうとしてた、だけだったんだぁ。そっか、そっかぁ……あははっ」
ラグナを救うと、あれ程言って、言い続けて。ラグナを救いたいと、宣って。
けれどその全ては、クラハ。ラグナを救えなかった────否、救おうとしなかったクラハ=ウインドアを。あの男を否定する為だった。あの男が救わなかったラグナを救うことで、そうすることで否定したかった。ただ、それだけのことだった。
『貴女の押し付けがましい
ただそれだけのことの為に。そんな取るに足らない、実にくだらない理由で。あれ程大切に、狂おしい程に大事に想っていたラグナを。
『その名前、
自分のことは忘れてしまったというのに、記憶喪失の原因となったクラハのことには憶えがあって。どうして自分はそうではないのかわからなくて、納得できなくて、悔しくなって────感情の整理がつかないまま、激情に突き動かされたメルネは。
このような暴挙に走り、ラグナを都合のいい、否定材料にしてしまった。
「私最低だなぁ……私って、最悪なんだなぁ……」
そうして、メルネは理解する────己が目的の為なら、どんなに大切で大事にしている存在であっても、形振り構わず利用し巻き込む。そんな
所詮耳聞こえの良い言葉を言うだけ言って、言い繕って。結局はただ自分だけが満足したかった、偽善者に過ぎなかった、と
結局はラグナをただ傷つけただけの、小っぽけで無力で、何もできない人間でしかない、と。
その全てが意味することとは、つまり。メルネは成り果てて
メルネ=クリスタは元から、己が忌み嫌い、恨み憎んだ存在────
それを理解してしまったメルネはもう、壊れたような笑い声を、壊れたように垂れ流すことしかできないでいる。その様子と、底知れぬ絶望に沈んだ昏き瞳を目の当たりにすれば。誰にでも、きっと誰であろうとわかることだろう。
今この時、メルネの中で。彼女を支え続けてきたものが、瓦解し。そして一気に、全て崩壊してしまったのだ、と。
──……メルネ、さん……。
そんなメルネのことを。未だ絶頂の余韻が抜け切らず、半ば蕩けている意識の最中。彼女の瞳から止め処なく零れ落ちてくる涙を腹部に受けながら、ラグナは呆然と見上げるのだった。