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終焉の始まり(その終)

 壁が崩れ落ちる音を聴きながら、僕は視線だけを背後にやる。天井付近の壁には大穴が穿たれており、そこから夜空の一部と、そこに浮かぶ月が丁度見えるようになっていた。


 それを確認して、僕は再び視線を正面に戻し、すぐ目の前に立つライザーを見据える。彼は僕の顔面真横に腕を突き出した姿勢のまま、顔を俯かせ、その場で固まって動かないでいた。


 そうして数秒が過ぎた後────先に動いたのはライザーで、彼は数歩その場から後ろに下がると、膝を崩し。流れるようにそのまま、もはや無事なところを探すことの方が難しい教会の床に、両手を突かせるのだった。


 ドサ──そんなライザーのことを見下ろしていると、不意に背後でそんな音がして。反射的に振り返ると、床に尻餅をかせたラグナ先輩の姿が。僕の視界に飛び込んできた。


「先輩!?大丈夫ですか!?」


 と、堪らず僕は声をかけ、ラグナ先輩のすぐ傍に駆け寄ろうとするが。


「い、いい!……俺は大丈夫、だから」


 そう言って、ラグナ先輩はそんな僕を制止させるのだった。床に座り込んだまま、先輩は僕を真っ直ぐに、青褪めた顔と薄らと涙が浮かぶ瞳で睨みながら。震える声でどうにか、僕に告げてくる。


「でも、次こんな真似しやがったら……そん時は覚悟しとけよお前……っ」


「……確と肝に銘じます」


 この短い間に、一体どれだけの心労をかけてしまったのかを。そのラグナ先輩の叱責によって、僕は重々思い知らされる。それと同時に、こちらの意図を汲み取り、そして付き合ってくれたことに深い感謝を抱いた。


 ……不覚にも怒っているその姿に対して、小動物による精一杯の威嚇のような可愛らしさも感じてしまったことは、墓場まで持っていく僕の秘密の一つとしよう。


 それはさておき。先輩に対して申し訳なく思いを抱きつつ、僕は改めてライザーの方に向き直る。数分が経ったと思うが、彼は依然としてその場に両手を突き、沈黙していた。


「……」


 そんなライザーの元に、僕はゆっくりと歩み寄る────その途中。不意に彼は肩を小刻みに震わせ、酷く乾いた笑い声を力なく漏らす。壊れたように、漏らし続ける。


 それでも構わず、僕がすぐ目の前にまで来ると。またしても不意に、ライザーの笑い声は止まって、数分。


「笑えよ、クラハ」


 徐に、僕にそう言ったが。しかし、その言葉に対して僕が返事をすることない。


 一瞬の静寂の後、突然ライザーは拳を握り、振り上げ。


「クソッッッ!!」


 ドゴッ──そう叫ぶと共に、振振り上げたその拳を、床に叩きつけた。


「……後戻りなんざ考えなかった。俺はもう、後には引けなかった。進んで、進んで、進み続けた」


 唐突に、徐にライザーが独白を零す。その声音には彼らしからぬ、苦悩と苦渋と。そして確かな後悔が滲み出ていた。


「これしかねえって、これでいいって、これが正しいって。そう思いながら……思い込みながら、諦めながらな。それで結果は、このザマだ」


 そんなライザーの独白に、僕は何も言わず、ただ黙って耳を傾けていた。


「なあ、クラハ」


 不意に、僕はライザーに訊ねられる。


「お前はわかっていたのか?最終的にはこうなることをわかっていて、それであんなことをかしやがったのか?」


 そのライザーの問いかけに対して、僕は数秒の沈黙を挟んでから。静かに、ゆっくりと口を開いた。


「そういう訳じゃない。ただ、もし僕が逆の立場だったら、お前と同じことをして。同じ結末を辿っていただろうから」


 そして続けて、僕ははっきりとこう言った。


「最低最悪の同類同族、だろ?僕とお前は」


「……ああ、そうだな。全く以て、そうだな……」


 僕の言葉に対して、ライザーはしてやられたような沈黙を挟んでから、失笑し。それから何処か草臥くたびれたような声音で、もう疲れ切ってしまった様子でそう返すのだった。


「俺はどうすれば、よかったんだろうな。何をするのが、本当は正しかったんだろうな。……お前には、それがわかるか?」


 それから呆然と呟き、そう訊ねながら顔を上げたライザーに。僕は────


「僕だって、わからないよ。わからないけど、でも。だからこそ」


 ────そう言って、手を差し伸べた。


「僕たちはそれをわからないといけない。わかる為に、僕たちは生きなきゃいけない」


 差し伸べられた僕の手を、黙って見つめるライザー。それから少しの間を置いてから、彼は参ったように目を閉じ、また力なく笑うと。ゆっくりと、腕を振り上げ────






「んなもん、知ったことか」






 ────そう忌々しそうに吐き捨てるや否や、宙に翳したその手を、そのまま。何の躊躇もなく、己が胸元に自ら、ライザーは突き立てるのだった。


「お前と生きるくらいなら、そりゃ死んだ方がマシだ」


 と、口端から一筋の血を垂らしながら、また吐き捨てるように言って、胸元に突き立てた手を引き抜くライザー。瞬間、塞いでいたものがなくなったことにより、胸に穿たれた穴から大量の血がぼたぼたと、床に流れ落ちていく。


「……ら、ライザー……お前、何やって」


 少し遅れて、背後から呆気に取られたラグナ先輩の声がこちらに届く。


「何って、ただの自害ですよ。自害。一々いちいち訊かんでも、見りゃわかるでしょうに」


「いやだから!何でんなことしてんだよ、お前!?」


 と、ラグナ先輩は動揺を隠せないでいたが。僕はといえば、別に驚くこともなく。ただ黙って、ライザーのことを見下ろしていた。そんな僕のことを、きっと人は冷酷な薄情者だと蔑むのだろう。


 どうしてこうも僕が平然としていられるのか────単にそれは、わかっていたからだ。こうなると、初めからわかっていたのだ。


「ハハ、自分としては始末ケジメと言いたいんですがね。まあ他からすれば、逃げとしか思えないでしょうねぇ……かふっ」


 喋っている途中で、その口から大量の血を吐き出すライザー。流血の勢いから、彼がもう長くないことが容易に察せられる。そんな最中、僕は彼に差し伸べていた手を静かに引く。


「だがどう思われようが、もうどうだっていい。お前はお前で、精々無様に……足掻きやがれ。ハ、ハハハッ!」


 という、有り触れた負け惜しみの捨て台詞を吐き捨てるライザー。そしてそのまま、彼は教会の床に倒れ臥す────




「……あ……?」




 ────


 ライザーが訝しげな声を上げたのも束の間、彼はすぐさま表情を歪める。


「ぐ、う、お……おぉ……ッ!」


 そして苦しげに呻き出し、身体を捩らせるライザー。そんな見るからに奇妙で、不可解な行動を起こし始めた彼のことを、僕は依然として黙り込みながら眺め続ける。


「ライザー……?」


 と、ラグナ先輩が困惑した声音で呟いた瞬間。


「や、め……ろぉおおおおぉおぉぉぉおおおおおお゛お゛お゛お゛ッッッ!!!」


 またしても大量の血を宙に向かって吐きながら、ライザーが叫び────同時に、彼の胸から流れ出る血が、瞬く間に。直後、凄まじい勢いで噴き出すが、そのまま、彼の全身を


「ライザーッ!?」


 一体何が起こっているのか、ラグナ先輩には理解できなかっただろう。僕とて、それは同じで────しかし、


 ライザーの魔力が、更に。だんだんと、人から遠のき、かけ離れていく。


「先輩、僕の傍から離れないでください」


 と、緊迫した声でラグナ先輩に言って。僕は静かに長剣ロングソードを抜き、構え。ライザーを見据える。


 やがて、ライザーの全身を覆っていた漆黒のそれが薄れて、消えて。そうして再び、彼が姿を晒す。


 燻んだ金髪は完全に侵食され、黒髪となり。肌もまた、浅黒く変色していた。


 そんな姿に変容を遂げたライザーを目の当たりにした先輩が、少し遅れて呆然と呟く。


「……ライザー……?」


 すると俯かせていたその顔を、ゆっくりと上げるライザー。右の瞳は金色のままだったが、左の瞳は夜よりも暗く、闇よりも昏い、黒色に染まっていた。


「ライザー?否、否否否否断じて否ッ!」


 ……そうだ。薄々、わかってはいた。あの人外じみた、邪悪で禍々しい、歪な魔力。周囲に撒き散らされる、破壊の力。


 その根源たる存在モノを、僕は────いや、この街に住まう人々は知っている。


 あの日。今日から一ヶ月近く前の、あの日。世界オヴィーリス顕現あらわれた────厄災の予言に記されし、滅びの一つ。


 剣の柄を握る手に、力を込める。否応にも、全身から冷や汗が浮き滲む。軽く息を吸い、吐き出し、そうして僕は覚悟を決める。


 ライザー────否、今し方までライザー。悪意に満ちた満面の笑みを浮かべながら、僕と先輩にはっきりと、己の名を宣う。






「我はエンディニグル!『魔焉崩神』エンディニグルッ!厄災の予言に記されし、滅びの一つり!!」




















 そうして今、終焉は始まった。

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