美波にとって、男というものはすべて美味しい食べ物以外の何者でもなかった。それを自覚した時、気がついたのである。自分は人間の女の姿をした、全く別種のイキモノである、と。
恋愛対象の相手を、普通の人間は愛おしいと思ったり、照れたり、あるいは特別な嫌悪を向けたりして眺めるものであるらしい。その気持ちは美波にも全くわからないものではない。同性であれ、異性であれ、恋愛対象の性とはそういうものだ。自分とは違うもの、だからこそ惹かれ、魅了される。ある意味では美波ほど『男性』という性を慈しんでいる存在はいないとも断言できるだろう。
少しばかり違うのは。美波にとって全ての男性は、踏みつけてこそ愛を産む存在であるということである。
女性という性別が、男に劣るものだという認識が少しでも生まれることが耐えられない。少なくとも美波は、自分がどんな男よりも才色兼備であり、どんな男よりも才能に溢れているという自負があった。美波にとって男性は守って欲しいものでもなければ愛して欲しいものでもない。自分に支配欲を満たしてくれる、自分を絶対的支配者として据える椅子として機能してくれるもの以外の何者でもないのである。
気持ちのいいことは、好きだ。
でも、男に抱かれてやるつもりは全くない。自分も女だからそのための機能は持っているが、そんなことよりも気持ちよく絶頂できる快楽があることを美波はよく知っているのである。
それは、己が支配する者が、己の手の中で快楽や苦痛に悶える様を見つめること。その命運を自分が意のままに操り、手の中で転がし、好きなだけ飴玉のように転がすことそのものである。
容色に優れ、愛らしい声を持つ美波が少し心の隙とくすぐってやれば。どんな男もころっと美波の懐に落ちてきて、しなだれかかってくるものだった。それは美波の類まれなる話術と調査能力もあってのことである。狙った獲物を逃がしたことは、ただの一度もない。心に隙を持たない男など、不良だろうとヤクザだろうと関係なく存在していないからだった。いざとなれば、美波の『一見弱々しく見える外見と性別』がいくらでも盾となってくれる。多少危険が迫った時は、そうやって篭絡した男たちがいくらでも美波の盾になってくれたものだ。美波が希えば、どんな男も喜んで銃口の前に飛び出してくれるのである。――残念ながら多くの場合はそんな感動的なシーンを見る前に、美波の調教に耐え兼ねて自滅してしまうものなのだけど。
薬漬けになって死に、あるいは廃人になって捨てた男は数知れず。
それは美波がプレイの一貫で麻薬を与えたこともあるが、多くの場合は美波の苛烈な“責め”に耐えられず、痛みを誤魔化すための薬を要求してしまうからということが最大の理由だった。美波は彼らが順応できるように、薬という飴をあげて飼い慣らしていたにすぎない。残念ながら薬を強請ってしまった男が、長持ちをしたことは一度もなかったけども。
――耕洲君は、そういう意味では最高の逸材だった。だってこの子は、生まれついてのマゾヒストだったんだもの。
どうやら両親から、相当過酷な虐待を受けていたらしい。なかなか身長も高いし体格もいいというのに、美波が調教するまでもなくある程度のところまで出来上がっていたのだから驚きである。普通の男は、まずアブノーマルなプレイをするだけで痛がるのが普通だというのに。彼は美波に命じられると、いくらでも痛みを快楽に変えることができたのだ。
痛いことも、気持ち良いことも、美波が命じればいくらでも耐えたしおねだりした。普段はむしろクールで済ました顔をしているのに、二人きりの時のギャップといったらまさにたまらないものがあるのである。それこそ、美波が『抱いて』やった時は、どんな男や女より色っぽく啼いてくれたのだ。まさに、美波のような天性のサディストのために容易された存在であると言っても過言ではない。
その上、彼がくれるのは身体ばかりではなかった。心もだ。美波が愛を囁くと、彼は心底嬉しそうに喜び、まるで誠実な騎士のように付き従うようになったのである。両親はどうやら、彼に鞭ばかり与えてほとんど飴はやらなかったらしい。実に勿体無いことだ。黙っていれば、十分イケメンの範疇であるというのに。これだけ美しい筋肉を、骨を、精悍な顔立ちを持ち合わせているというのに。
「ねえ、耕洲君。今日はどういうことがして遊びたい?私、とても機嫌がいいから……いくらでもリクエスト、聞いちゃいますよー?」
「み、美波……」
ごくん、と耕洲が喉を鳴らす。そして真っ赤になった顔で、そっと視線を逸らしてきた。恥ずかしいのと、同じだけ興奮しているがゆえだ。
「こんな場所では……出口のあるこの部屋は、鍵もかからない。誰がいつ来るかわからないのに、ここでするのか……?」
普通はこれ、女の子の台詞よね、と美波は苦笑する。羞恥プレイなんていくらでもやったことがあるのに、何度繰り返しても初めての頃の初々しさを失わない彼。たまらなく欲情してしまう。体が火照るのを感じながら、美波は彼の逞しい首筋にキスを落とした。
「そうね、誰が来るか分からないですね。……それもすごく、興奮しちゃいます。むしろ、私達は世界で最強最高のカップルなんだって……みんなに見せつけちゃうのも、悪くないかなーって。だってそうでしょ。どんな場所でも、日常でも、こんな非日常でも……私達の邪魔は、誰にもできない。ね?」
だから、脱いで?美波が耳元で囁いて、そっと耕洲の股間に手を伸ばそうとした時だった。
こつん、と。小さな足音が。
「あ、あ、あのっ……!」
誰だろう、と美波は振り返る。これが女子の声だったならイラついたかもしれないが、聞こえてきたのはまだ声変わりもしていないような、可愛らしい少年の声だ。
高校一年生で、まだ声変わりをしていない少年というのも時折存在する。このクラスにもごく僅かにいたはずだ。可愛らしい弟キャラも好きな美波は、こっそりチェックしていたのでよく覚えている。この声の持ち主は、ひそかに気になっていた男子の一人――。
「あら、どうしたんですかー?……篠丸クン?」
小倉篠丸は。その小柄な身体を縮こませるようにして、そこに佇んでいたのである。
***
「……それはそれは、災難でしたねー」
ふむ、と美波は頷く。基本的に耕洲以外は全員殺してもいいつもりでいたが。美波は何も人殺しそのものが好きなわけではない。死体には萌えないし、あくまで目的は耕洲と一緒に脱出することである。その目的を妨げない人間ならば、生かしておくのも悪くはないと思っていた。特にそれが、美波好みの可愛らしい男子なら尚更だ。
いわく。篠丸は聖也に命じられ、ある班のリーダーとして行動していたのだが。水車恭二に遭遇し、仲間の殆どを殺されてしまったというのだ。なんとかその恭二を隙をついて返り討ちにしたのはいいが、仲間の一人であった久瀬明日葉が、唯一手に入れることができた鍵を奪って逃げてしまった。自分は通信能力しかなく、鍵を取り返すこともできずに途方に暮れているのだという。そもそも、それまでうまくやっていた仲間の明日葉に裏切られたことが悔しくて悔しくてたまらず、どうにか仕返しをしたくて仕方ないのだそうだ。
――久瀬明日葉。……ああ、あのクソ女。なるほど、あの女の顔面をぐちゃぐちゃにしてやるのも、なかなか楽しそう。
同性に興味がない明日葉にとって、美人な女というのは基本的に忌々しい存在でしかない。明日葉はクラスでも五本の指に入る美少女だった。クールぶっているという意味でもムカつく存在である。できればあの女は脱出してほしくないな、と思っていた矢先。思いがけないチャンスが巡ってきたというわけだ。
篠丸は、とにかく裏切り者に仕返しがしたくてたまらないらしい。そのために力を貸して欲しいというのが篠丸の願いだった。それができれば、明日葉が持っている鍵はそのまま美波達のものにしても構わないという。脱出よりも仕返しが優先というあたり頭が湧いているとしか思えないが、生真面目で仲間の絆なんてものを本気で信じていた篠丸にとってみれば、想像以上にショックな出来事だったのは確かなことなのだろう。
いくつもチャンスがありながらそれを逃し続け、まだ鍵が手に入らずに困っている美波からすれば願ってもないことだ。問題は――美波と耕洲は既に何人も人を殺している。その情報を『通信』の篠丸が知らないとは思えない。聖也からも忠告を受けていたはず。本来なら、殺される危険も考えて、そう簡単に声をかけようとするなど思わないはずなのだが。
「言いたいことはわかりました。でも、私達が何をしたか、他の『通信』の子達から訊いてないはずない、ですよねー?このまま自分が殺されるとは思わないんですかー?」
「…………」
ストレートに美波が尋ねれば、篠丸は気まずそうに視線を逸した。そして。
「……だからこそ、だよ」
「だからこそ?」
「だからこそ、明日葉は僕が、唐松さん達に頼るだなんて思わないでしょ。……それに、きっと明日葉は桜美さん達に頼るから……他に頼れそうな相手なんかいないんだ、僕には。ましてや、仕返しをしたいなんて希望を叶えてくれそうな相手なんて……」
段々と、小さく頼りなくなる声。これは、よっぽど追い詰められているな、と察した。もしかしたらその明日葉のことが、篠丸は好きだったのかもしれない。好意を持っていた女子に裏切られ、鍵を持ち逃げされたとあっては――愛が憎しみに変わるのも仕方ないことではあるだろう。
流石の美波も同情を禁じえない。自分だったらこんな可愛い男の子、ちゃんと満たして満たして、壊れるまで使い潰してあげるというのに。なんて明日葉は見る目がない、勿体無いことをするクズ女であることか。
――まあ、筋は通ってるし。実際、クラスメートを殺したいなんて希望、桜美聖也に擦り寄った連中が聴く筈ないもんね……。
「……いいわ。協力してあげちゃいます。篠丸君可愛いし、約束守ってくれそうだものね!」
だが、それはそれ。念には念を、だ。本当に自分の下僕になる覚悟があるのかどうか、それはしっかりと見極めなければ。
「でもね、ちょっと条件があるのですー。たった今、キミが邪魔しちゃったことの続きをしたいんですよねー」
「つ、続き?なんの?」
「決まってるじゃない!最高に気持ちいいこと♪」
予定変更。いつも通り耕洲を可愛がってあげて終わりにするつもりだったが、気が変わった。せっかく可愛いゲストがいるのだから、生かさない手はない。そう。
「篠丸クン。今ここで……耕洲と一緒に遊んでくれません?」