「……ふぅ」
アヤメさんはまた袖で汗を拭うと、シャツの胸元を摘みパタパタと風を送り始めた。
「アヤも汗だくじゃん、もう上脱いじゃったら?」
「んん……いや、大丈夫」
「また倒れても知らないよ? チビどもしかいないんだし、これだけ疲れたらチャームも切れてるって」
チャームの効果が、疲労により弱まることは理解しているようだ。一般人がチャームを受け続けると、軽い魅了、洗脳状態になることがある。彼女はそれを良しとせず、普段はなるべく素肌を見せない格好を心がけているのだろう。
「ほら、アイツが来る前に……」
どうやら、僕がいることには本当に気づいていないようだ。嫌な予感がした僕は、慌てて立ち上がり今来た風で近づく。
「遅くなってすみません。勇者様、もういらしてたんですね」
「うぇあっ?! あ、あんたいつから……?」
「ついさっきですよ」
ルリさんの反応は予想通りだった。だがアヤメさんのほうは僕が近づいても微動だにせず、汗に濡れた前髪から覗く瞳で、僕をじぃっと見つめる。
「……勇者様?」
「え、ああ、ううん……ごめん」
慌てて胸元を隠してはいるが、彼女から恥じらいは感じられない。それどころか焦点の合わないまま、こちらを眺めている。
「アヤ、大丈夫?」
「うん……ちょっとぼーっとしてただけ……」
汗の量も尋常ではないし、目が泳いでいるようにも見える。これはおそらく、熱中症だ。
「はぁ……ヒューマンケイン・レディ」
僕はお気に入りの赤い杖を呼び出した。
「セット・アクアリウム・アイスエイジ・ソルティ・スタンバイ」
杖をかざし、魔力を込めながら魔法陣を描く。空気中の水分が凍結し、空中に複数の小さな氷の塊が出現する。それらはその場でくるくると回転しながら、僕の指示を待つように浮遊する。
「なんだあれ!」
「すっげー!!」
子どもたちも気づいたようで、水飲み場からこちらに駆け寄ってくる。
「氷属性の魔法……?」
「きれい……」
その反応から察するに、これも初めて見る魔法のようだ。確か、歴代の召喚された勇者たちが元いた世界は、魔法が存在しない世界だったはず。アヤメさんはこの世界に召喚されてから日が浅いだろうし、子どもたちが魔法に縁のない生活を送っているのだとしたら、それはきっと喜ぶべきことだ。
「……ついでだ。サイカ・ワ系フローズン、ファイヤー!」
僕はその氷の塊をアヤメさんとルリさん、それから子どもたちの首筋にぶつけ、一気に魔力を流し込む。
「冷たっ!?」
「うひゃあ!」
全員の首筋から、白い蒸気が立ち上る。
「……あれ?」
「痛くない……?」
「でも、水浴びした時みたい!」
「さっぱりした!」
子どもたちは不思議そうに首をさすっている。アヤメさんとルリさんも、何が起こったのかわからず目をぱちくりさせている。
「すげー! 仮面の兄ちゃん魔法使いなのか!?」
「かっこいい!」
「もっかいやってー!」
子ども特有の好奇心旺盛な眼差しに囲まれ、思わずたじろぐ。
「え、あ……でも……この魔法は攻撃用の状態異常の魔法の威力を緩和したもので……複数回使用すると……」
「何言ってるかわかんなーい!」
「もっかいもっかーい!」
たじろぐどころではない。僕は子どもたちを前に、完全に麻痺状態になってしまった。
「あ、あの……あるいは……一定時間空ける必要が……」
「……ねぇ、それじゃあさっきの魔法じゃなかったら良いってこと?」
救いの女神の声が聞こえた気がしたので振り返ると、復活したアヤメさんが僕の袖をくいくいと引っ張っていた。
「え? え、えぇ……」
「そう……じゃあみんな、私が魔法使ってみるから、お兄ちゃんから離れてあげよっか!」
「やったー!」
子どもたちは一斉に僕から距離を取り、アヤメさんについていく。僕はというと、いまだに身体が麻痺して動けないでいる。
「今日はみんなたくさん遊んで、たくさん転んだりしたでしょ?」
「うん! けど、俺へーき!」
「こんなのかすり傷だって!」
「私、ちょっとまだ痛いかも……」
「そっかそっか。でも大丈夫!」
いつの間にか、彼女の手に僕の杖があった。
「みんな見ててね……。ヒューマンケイン・レディ!」