「まずは本日のケーキ、水のセットと草のセットね!」
そう言ってマスターは、小さなケーキが三種類ずつ載った皿を二つ、机の上に並べた。
「あっ! これ好きなやつ!」
「えーっと食べたことないのは……」
先程までの張り詰めた空気はどこへやら、二人はわいわいと騒ぎ始める。マスターはというと、いつの間にかいなくなっていた。
「ラノ君は食べたいのある?」
「え、あ、僕には正直、どれがどれやら……」
「じゃあ、残り物で!」
ルリさんが小皿に、二種類のケーキを載せてくれた。
「青いのがミズウミウシのチーズケーキ。アイスケーキだから、あったかい飲み物のほうが合うと思う」
そう言ってルリさんは、僕のホットミルクを一瞥する。
「で、緑のがマンドラショコラのガトーショコラ。これはね、とにかく一口食べてみてほしい」
アヤメさんは何かを察したのか、含み笑いで僕を見る。
「え、な、何ですか、ば、爆発でもするんですか」
「するわけないでしょ。大丈夫……死にはしないから」
ルリさんが悪戯な笑みを浮かべる。視界の隅では、アヤメさんがナイフとフォークで彼女の分の小さなケーキをさらに小さく切り分けている。
「そうですか……。まさか、こんな形で口封じされるとは……」
「……口封じ? 何の?」
「いや、だってお二人とも、そもそも呑気にケーキなんか食べてて良いんですか? あなた方の秘密を知った人間が、今目の前にいるんですよ?」
「……」
アヤメさんは、真面目な空気に戻り始めたのに気づいたらしい。ケーキを頬張る寸前で手を止めると、ルリさんがため息をついた。
「ていうか、私こそ許されたの? 私、一応この世界では、魔族ってことになるんだけど」
そう言うとルリさんは、手元のカップケーキのようなものにかぶりついた。
「僕は別に、魔族自体に恨みはありません。あなたの魔族の気配に気づいたのも、知り合いの魔族の気配に似ていたからです。むしろ魔王城の大結界を破れる可能性があるなら、協力は惜しみませんよ」
アヤメさんがほっと息をつき、再びケーキを口元に運ぶ。
「ただし」
アヤメさんの手が、再び止まる。
「あなた方からすれば、僕を始末することで今後の憂いが一つ減るはずです。あなた方の世界のことは知らないが、この世界において、人間関係の三分の一は死因に直結します。いつ裏切られ、その首を狙われるかわからない。命のやり取りはいつも、先手必勝ですよ」
「……」
アヤメさんはフォークをケーキに突き刺したまま、じっと僕を見る。するとルリさんが、持っていたフォークの先を僕に向けた。
「でも、目の前にケーキがあるのよ?」
ルリさんはもうすでに、一つ目のカップケーキを平らげていた。
「そうそう! せっかく女神様に、どれだけ食べても太らない体質にしてもらったわけだし!」
「え」
痺れを切らしたアヤメさんが、勢いよくケーキを口に放り込む。
「やば、アヤも頼んでたんだ! やっぱり魔力とか武器なんかより、美容と健康よねー!」
「ほへもふぁいふぁふぃはらたひのふふふぉふふぁいひゃん!」
「……何て?」
アヤメさんがケーキを咀嚼しながら何かを訴えている。何を言っているのかはわからない。
「とにかく、ラノ君の処遇は一旦保留とします! 追って通知するので、覚悟しておくように! だってさ」
ルリさんが通訳してくれたようだ。流石姉妹。僕には何を言っているのかわからなかったし、文字数も合っていない気がする。
「……そうですか。お二人の本気が見れると思ったのですが、残念です」
勇者に魔王軍四天王の二人が揃って魔鎧にすら勝てないとは、そもそも殺生とか無理系の人たちなのかもしれないな。
「お二人の本気って、まさかこの後三人でする感じ?もしかして、 今晩はお楽しみ的な?」
マスターが今度はゆっくりと入ってきた。そもそもまず、ノックをしてほしいのだが。
「マスター、炎のセットは?」
アヤメさんはマスターの発言に一言も触れずに、ケーキセットの話を始める。
「ごめんねー。それがヒノトリの卵が切れちゃって、代わりに草のセットでも良い?」
ヒノトリの卵は、どんな衝撃を与えても火を通さなければ割れないのが特徴で、持ち運ぶのにとても便利な食材だ。ヒノトリの玉子焼きは、僕の好物の一つでもある。
「あ、すみません。炎のセットって、ヒノトリの卵いるんでしたよね」
「せっかくだから彼氏ちゃんにも食べてほしかったんだけどねー、うちはいつも、旦那が自分で狩りに行ってるからさ」
この店員、既婚者だったのか。僕は少しだけ、口を挟むことにした。
「今日は行ってないんですか?」
「それがねー、こないだ狩りに行った時に別の魔物に魔法をかけられちゃったみたいで、今寝込んじゃっててさー」
確かにこの建物の二階、真上から呪いの波動のようなものを感じる。でもこれは……野生の魔物に使えるような魔法じゃない。犯人は人間だ。
「……じゃあ、今はどこから仕入れてるんですか?」
「あいつらだよ、いつものあいつらさ」
「ああ、あの……」
黒金の獅子団。最近幅を利かせている中堅冒険者たちのことだろう。彼らは、この町から完全にいなくなったわけではなかったのか。
「この間アヤちゃんたちが懲らしめてくれたから、町のみんなも安心してたんだけどね、やっぱり懲りない連中だよ」
「……」
子どもたちの笑顔を守り、町の悪者を退治する。彼女たちの、勇者としての方向性は何となくわかった。しかし当の二人は、その武勇伝を聞かされているというのにどこか浮かない顔をしている。
「今は他所の町で暴れてるらしいけどね、噂では明日の夜、また帰ってくるらしいよ」
ルリさんの肩が小さく震えた。僕は何の気なしに、マンドラショコラのガトーショコラのほうを口にした。
「酢っっっっっっ!!!」
…………そのガトーショコラは、顔が潰れるほどすっぱかった。
「アッハハ! うちのはマンドラショコラ使ってるからね、超すっぱいんだよ」
マンドラショコラってすっぱいの? 僕よく知らないんだけど! 酢の味しかしないんだけど!!!
「……で、でしょー!初見の反応が見たかったからさー!」
「そ、そうそう! ラノ君、食レポ向いてるよ……!」
マスターの笑い声が響くも、ルリさんが無理をしているのが目に見えてわかる。アヤメさんも、心ここにあらずといった感じだった。
「それじゃ、私はもう一つ草のセット作ってくるから」
マスターが空になった皿を手に取る。
「仮面の坊や、アヤちゃんとルリちゃんのこと、守ってあげてね」
「…………」
……そして、今に至る。夜更けに闇市の商人から二人の寝床を突き止めた僕は、一度出直すことにした。
「まさか、あの喫茶店の上で寝泊まりしていたとは」
しかしさっき会った商人も、明日の夜、勇者の宿を嗅ぎ回られることを嫌がっていたように見えた。
「……」
明日の夜、何かある。そして所詮彼も、黒金の獅子団の仲間だったというわけか。
「僕も勇者様の配下として、一度綺麗さっぱり足を洗おうかな……どう思います? 勇者様」
僕は振り返ることなく、背後の影に声をかけた。