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第30話 花言葉


 学園の校庭には崩れた校舎のがれきが散らばり、天津光ノ民の隊員たちと戦闘が行える学園生が、東洋竜の姿をしたモノノケと対峙していた。


 今日は休日だったので本校舎に学園生はいなかったものの、訓練をしていた生徒はいる。


 本校舎の裏に訓練場が存在するため、モノノケによって破壊された正門付近の教室には生徒はいなかった。


 負傷者が出ていないとはいえ、まだ訓練生として実戦に出ることができない生徒はいるのだ。


 戦闘が行えない生徒が避難していく中を幽璃ゆうりはかき分けて校庭へと出れば、モノノケを支援するように荒禍のメンバーが隊員へ攻撃をしかけているのが見える。



『ランクA、モノノケ=ハクリュウ 危険個体と認定! 学園生は天津光ノ民に対応を任せてください』



 放送が校庭に流れ、学園生たちがモノノケ=ハクリュウから距離を取る。ハクリュウは雷を周囲に落としながら巨体を校舎に打ち付けた。


 荒禍とモノノケによって混乱する場で幽璃は一人を見据える。イフェイオン、彼もまた幽璃を見つめていた。


 見つめ合って数秒。どちらとも言わずに剣を、刀を振るった。刃を打ち鳴らし、剣撃をぶつけ合う。言葉などなく、けれど想いは込めて。


 荒い攻撃に幽璃は力を込めて氷の刀を振った。その勢いにイフェイオンが後方へと下がっていく。



「イフェイオン」


「スノードロップ、こちら側に来いっ」


「前にも質問したが、私に固執する理由はなんだ」



 感情の揺れを感じられる声音の問いに落ち着いた口調で幽璃は返した。その問いにイフェイオンは答えず、風の剣をおおきく振りかぶって竜巻を放つ。


 幽璃は氷の盾を生み出し、竜巻を受け止めて刀で切り裂いた。かき消える竜巻の向こうからイフェイオンが剣を向ける。


 姿勢を低くして剣を避けて幽璃はイフェイオンの腹部を蹴り上げた。ぐっと息を零し、よろける彼の頬に拳を入れる。


 殴られて姿勢を崩したイフェイオンは幽璃から離れた。口から血液交じりの唾を吐き出しながら彼は見つめてくる。



「スノードロップ、お前は……」


「花言葉」



 イフェイオンの言葉を遮って幽璃は言った、花言葉と。開いていた口は閉じ、彼は黙る。すっと息を吸って幽璃が言葉を発しようとした瞬間、風の刃が放たれた。


 無数の風の刃。当たれば深い傷を負うだろうというのに幽璃は氷の刀を下す。盾を生み出すことも、避けることもしない。


 びゅんっと幽璃の頬を風の刃が掠めた、全ての攻撃は当たらずに。当てる気などない攻撃だと分かっていたかのように幽璃は動じなかった。



「恐れているの? それとも苦しいの?」


「っ、話すな」


「私が何を話そうとしているのか。お前には分かっているのでしょう?」



 幽璃の問いにイフェイオンは答えない。ぐっと声を零して唇を嚙みしめ、見つめるだけだ。


 仮面から表情は分からないというのに、苦しみを感じた幽璃はすっと目を細めた。



「イフェイオンとは、ハナニラのことを指す」



 語りかける口調で幽璃は話す。優しく、落ち着いた声音で。



「ハナニラの花言葉は恨み」



 ハナニラの花言葉は耐える愛、星に願いを、それから――



「悲しい別れ」



 幽璃が言葉を紡ぐたびにイフェイオンの呼吸が荒くなる。苦しくて胸を掻くのが視界に入るけれど、幽璃は話すのをやめない。



「お前は誰と悲しい別れをしたの?」



 何も聞きたくはない。そう訴えかける突風が吹き抜けた。風を幽璃は受け止めながら一歩、前に出る。


 向けられる剣先に幽璃は怯まない。氷の刀を構えてイフェイオンを見据える眼に迷いはなかった。全てを受け止める、幽璃は言葉にはせず。


 振り上げられた風の剣を氷の刀で受けきる。言葉なく打ち込まれる刃と刃の音は泣いているかのようで。


 荒い剣撃に幽璃は「イフェイオン」と彼の名を呼ぶ。返事などなく、乱暴に振り回される剣を受け止めて、幽璃は語りかける。



「私に希望を与えてくれた人がいるの。彼は花言葉が好きだったわ」



 彼は花が好きだった。いろんな花言葉を彼は知っていて、その中で特に好きだったのが、スノードロップだ。



『スノードロップの花言葉は希望。もうすぐ春がくるから絶望してはいけませんよという、由来になった天使の言葉が好きなんだ』


 どんなに辛くても、悲しくても、いつか終わりがくる。だから、前を向いて歩こう、いつか希望はやってくるから。幽璃は彼の言葉を紡ぐ、想いを伝えるために。


 思い出の彼がしてくれたスノードロップの花を渡すように言葉を発する。どれだけこの優しさで、愛で救われたのかを。



「今でも私は覚えているわ」


「黙れっ!」



 打ち付けた剣で刀を弾き返し、イフェイオンは声を荒げる。けれど、やめろと言うのに幽璃から離れようとも逃げようともしない。



「なら、どうして逃げないの?」



 フェルメールや部下がいるのでしょう。貴方なら逃げられるのではないの。幽璃の問いかけにイフェイオンはうっと胸を抑えた。



「逃げられないのではなくて、逃げたくないのでしょう?」



 私から。問うのではなく、幽璃は断言する。貴方は逃げられないのではない、離れたくないのだと。



「時政」



 彼の名を呼ぶ。私はここにいるよと優しく。



「私は逃げないわ。だって、やっと見つけたのだから」



 私の希望。幽璃は異能を解く。元の刃へと戻った刀を下して微笑んだ。



「イフェイオン。貴方は時政なのでしょう?」



 イフェイオンは顔を背けた。眩しい陽の光から目を逸らすみたいに。それでも、幽璃は彼の名を呼んで見つめる。


 やめてくれ。か細く声がした。イフェイオンが頭を押さえながら膝をつく。胸を掻き、苦しみながら。



「俺は、希望になんてなれない」



 そんな綺麗なものにはなってはいけないんだ。イフェイオンは震える声で言った。



「君の……幽璃の希望になんて、なってはいけない」



 罪を背負う自分が。首を絞めて喉を潰し、言葉を発せられなくしようとするイフェイオンに「教えて」と幽璃は問いかけた。貴方の罪を、私にも教えてほしいと。


 周囲の音など聞こえない、二人の間には。土埃が風で舞い上がり、幽璃の長い藍髪を攫っていく。



「孤児院が襲ったのは俺の兄だ」



 吐き出された言葉は別れの真実だった。



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