「綾坂さん、ちょっといいかしら──」

バンッ！

突然、デスクにファイルを叩きつけられた。気づけば私は、絵梨花グループにぐるりと囲まれている。

皆さん、見事に敵意むき出しだ。

見下すような目で微笑む絵梨花。

腕を組み、眉間にしわを寄せて威圧してくるお局。

意味不明な軽蔑の目線を送ってくる新卒女子。

人を小馬鹿にした薄ら笑いを浮かべる、同期男子と後輩モブ男子たち。

──つまり。

東薔薇主任以外の「敵」が総出で、私に総攻撃を仕掛けてきた格好である。

……まぁ、今日はなんとなくそんな予感がしてた。

怪文書の件もあるし、全員出勤してるからタイミングも最高だしね。

「あなた、謝恩会の会計よね？何を呑気にしてるのかしら？」

鼻で笑いながら絵梨花が言う。

「……すみません。昨日、前任者と引き継ぎをして、今日、東薔薇主任に相談するつもりでした」

すると敵たちは顔を見合わせ、苦笑い。

「ホホホホ……主任はね、あなたみたいな〝根暗な人〟は苦手だから～。わたくしに間に入って欲しいって、お願いされたのよ～」

あぁ、はいはい。

どうせ、自分からすり寄ったんでしょう？別にいいけど。

「綾坂！そのファイルに目を通して、全て絵梨花様に報告しなさい！」

今度はお局がしゃしゃり出る。

……絵梨花の太鼓持ちやってて、先輩として恥ずかしくないんですか？

「少しは自覚持ちなさいよ？あなたみたいな空気読めない人がいると、皆が迷惑するの～」

「気をつけます。ご配慮ありがとうございます」

「じゃ、よろしく～」

お局が鼻で笑いながら捨て台詞を残す。

包囲は一時的に解かれ、彼らはそのまま戦勝ムードで、自販機コーナーへサボりに向かっていった。

──私は、見逃さない。

敵がいなくなった瞬間、すかさず給湯室へ直行する。

『ララ様、これが絵梨花です』

『うふふ、自信満々でいいじゃない。倒しがいがあるわね。……あ、それとね、さっき男性陣、花の瞳を見て驚いてたわよー』

『え、ほんとですか？気づきませんでした』

ちなみに──

〝ララ化〟した私は、視力まで回復していた。

だから、もう眼鏡は必要ないのだけど……いきなり美しい裸眼を晒すのはまだ早い。

ララ様のお部屋から拝借した、似たようなデザインの伊達メガネをかけて、さりげなくカモフラージュしている。

オーッホホホホホ──！

自販機前から、けたたましい笑い声が響いてくる。

給湯室の隙間からそっと耳を澄まし、すかさずスマホを取り出して録画を開始した。

「東薔薇主任と御相談だなんて、ウケましたわ～、オホホ！」

「ほんと、厚かましい。主任は迷惑がってるのに」

「でもでも、絵梨花様の迫力、マジ怖かったですう～」

……はいはい、想定内、想定内。

絵梨花を筆頭に、取り巻きたちが得意満面で私を笑いものにしている。

──今の私にとって、彼女は確かにラスボスだ。

目の前に立ちはだかる、デカくて厄介な山。

生半可な武器じゃ太刀打ちできない、そんな存在感を纏っている。

だが、ここで思わぬ方向に話が転がる。

「なぁ、あいつ、あんな顔だったっけ？」

「ですよね？目、変わってたような？」

「は？なに言ってんの？」

「いや～、まさか主任に気に入られたくてメイク頑張ったとかー！？」

「オーッホホホホ、ないない～！あの干し草女が～！」

──はい、正常性バイアス、発動中っと。

変化に気づきかけても、必死に見ないフリ。

「綾坂花はモブで干し草」という都合のいい認識を、何が何でも守ろうとしている。

「おや、お揃いで。干し草がどうしたって？」

──えっ。

……えぇぇぇぇっ！？！？

『花？』

『ひ、東薔薇主任だ……！！』

現れたのは、まさかの東薔薇主任。

まるで真打ち登場──いや、最終ボスの降臨だった。

ベンチに座っていた五人は、蜘蛛の子を散らすように飛び上がる。

特に絵梨花。

あの絵梨花が、ラスボスの威厳をかなぐり捨て、急に媚びまくりモードへと豹変する。

「あら～ん、東薔薇主任～。ご機嫌いかがでしょうぅ～」

声色も半オクターブ上がり、身体はクネクネ、目には星でも浮かべそうな勢いだ。

「会計のこと、わたくしにぜ～んぶお任せくださいねっ」

「ん？ああ、だから干し草の話題だったのか」

「ええ、ええ。よ～く指導しておきましたの。無謀にも主任に直接打ち合わせを持ちかけようとしたものですから、オホホ」

「まぁ、彼女とは口をきいた記憶もないし。間に立ってもらえるなら助かるよ」

「はいぃぃぃぃ！わたくしも、主任のお役に立てて光栄ですぅ～～」

必死すぎて、見てるこっちが恥ずかしい。

だけど、絵梨花は本気だ。

社内トップの高嶺の花──東薔薇主任に、なんとしても振り向いてほしいらしい。

ラスボスみたいな威圧感も、取り巻きを従える女帝ムーブも、主任の前ではあっさり溶ける。

プライドも見え見えの作り笑いも、今この瞬間、全力で主任に献上中。

──って、そんなどうでもいい茶番劇を、録画してしまった。

『東薔薇って、絵梨花に話合わせてるだけね。役員令嬢って肩書きあるし、謝恩会も彼女を使った方が無難って計算してるわ』

『……そうなんですか？』

納得しかけたその時、ララ様がとんでもないことを口にした。

『落とすわよ。彼を』

──え？

……ちょっと待って、何を？

『花に惚れさせるの。東薔薇を』

ララ様、なにを仰ってるのですか！？

あの、社内女子全員の憧れトップですよ！？

私に惚れるなんて考えられません！

それに私、東薔薇主任のこと、べっっっつに好きじゃありませんから！！