「おはようございます」

週明けの朝。

私はいつになく清々しい気分で出社した。昨日は翔様のマンションで穏やかな時間を過ごし、その余韻がまだ胸に残っている。たくさん話して、たくさん笑って──あの優しい笑顔が、今でもはっきりと思い出せる。まだ〝友達以上、恋人未満〟の関係だけど……それでも今の私は、十分に幸せだった。

そして今日は、謝恩会で全てを曝け出したあの日以来、初めて遠慮なくララ様直伝のフルメイクを施してきた。背筋を伸ばし、胸を張って、堂々と。

そんな私に、フロアの皆さんはいつもより明るく挨拶を返してくれる。あの日を境に、確実に空気が変わったのを実感していた。

それからもう一つ、はっきりと変わったこと。

かつて幅を利かせていた絵梨花やお局様が、今ではすっかり浮いた存在になっている。周囲も気を遣ってか、必要以上に近づこうとしない。その微妙な空気が漂う中で、課内ミーティングが始まった。

「えー、まずスタッフリーダーの交代です。池園さんから……」

課長の一言で、一瞬にして場の空気がピリつく。事前に聞いていなかった業務連絡に、皆の表情がこわばる。

……おっと、いきなり来たな。

この部署を事実上仕切っていた絵梨花のポジションを、何の前触れもなく、同期の男性社員に交代すると課長が告げたのだ。

「えっ！？な、なんで！？」

絵梨花は明らかに動揺し、思わず声を荒げる。

「どういうことですか？何も聞いていませんけど！」

「理由は後で個別に説明します。それと──新人の橋口さんの教育係を、綾坂さんに変更します。よろしくお願いします」

「は、はい。かしこまりました」

──教育係の交代も、まったく予想外だった。

新卒女子はすでにほぼ独り立ちしており、今さら担当を代える理由が見当たらない。けれど、これもきっと〝変化〟の一部なのだろう。

『お局と新卒の子を引き離すってことよね。あの子は、ただ絵梨花グループに従っていただけだし』

『そうか……にしても、専務の出向が発表された途端にこれとは、ずいぶん露骨な手のひら返しですね』

まさかここまで早く〝報復人事〟が始まるとは──さすがに私も驚きを隠せなかった。

一方で、絵梨花はまるで納得していないという顔をしていた。その隣で、お局さんはどこか達観したような、すでに覚悟を決めていたような雰囲気だった。

「綾坂さん、ミーティングが終わったら会議ブースに来て」

「はい」

「池園さんは後で呼ぶから、待機していてください」

「……」

その瞬間、絵梨花に鋭く睨まれたけれど、私は知らぬ顔でやり過ごす。

ふと見渡すと、同期の男子も後輩たちも、絵梨花やお局には一切話しかけようとしない。そういえば、謝恩会の席で酔っ払った同期男子が、「あの人たちとはつるまない」ってはっきり言ってたっけ──あれは本音だったんだろう。

やっぱり、みんな専務の存在が怖かったんだ。

今ようやく、その重しが外れたのかもしれない。

私は、あの謝恩会をきっかけに、職場の空気ががらりと変わったことを、改めて肌で感じていた。

「綾坂さん、これを……」

会議ブースで課長から差し出されたプリントを見た瞬間、私は思わず声をあげた。

「こ、これは……！？」

間違いない。見覚えのある〝怪文書〟だった。

まさか、課長の手元にあるとは思わず、驚きは演技じゃない。

「有志一同から密告があってね。……ま、他にも色々と挙がっている」

もしかして──お局から奪って、課長に提出したってこと？

「綾坂さん……すまない！」

え、急に謝罪モード？

「前々から君が池園さんたちにモラハラを受けているのは、うすうす感じていた。だが……見て見ぬ振りをしてしまった。知っての通り、私も専務には目を掛けていただいていてね……正直、動けなかった」

……まぁ、そうだろうなとは思ってましたけど。

「でも、君からBCCでメールが来るようになって、考えさせられた。これは、助けを求めてるんだと」

「いえ、課長に何かしてほしかったわけではありません。ただ……現状を知っていてもらいたかっただけです」

「……うむ。で、色々と証拠があると聞いているが、それを公にするつもりか？」

「はい。専務の異動で彼女の影響力も弱まっていますし、人事労政部や労働組合に正式に相談しようかと考えています。池園さんたちには、けじめをつけてもらうつもりです」

「そ、そうか……」

──あれ、なんか急に歯切れが悪いな？

ま、課長にとっては大迷惑でしょうね。

だって、身内びいきしてた専務の御令嬢が絡んでる社内不祥事、しかも証拠付きのモラハラ案件だなんて。胃が痛くなるのもわかるわよ。

「なあ、こういうのはどうだ？私から彼女らに厳重注意をした上で、配置転換させる。リーダー交代も、その布石だったんだ。それと──山本お局さんも同様に処分するつもりだ」

つまり、公に問題化する代わりに、課長の裁量で絵梨花とお局をフロアから外すというわけね。

「……納得できません」

「じゃあ、彼女たちから正式に謝罪させよう。これでどうだ？」

ふむ。謝罪＋配置転換ってことね。

いや、甘い。そもそもあの絵梨花が、素直に謝罪すると思ってるの？

私は一瞬迷った。怒りはあるけれど、課長が何とか穏便に収めたい気持ちも分かる。

だけど──それならそれで、こちらにも条件がある。

「では、百歩譲って提案を受け入れる代わりに、こちらの条件を提示させてください」

「……条件？」

「はい。それは──以下の3点です」

条件①　この建物から、必ず異動させること。グループ会社への出向でも構いません。

条件②　正式な謝罪を行うこと。その様子は動画で記録させていただきます。

条件③　今回の一連のモラハラについて、私から専務に報告メールを送ることを認めていただくこと。

「この条件を満たしてくださるなら、人事労政や組合、必要なら労基署への相談は控えます」

──これが、私なりの譲歩だ。

「せ、専務にまで報告するのか？」

「はい。私個人の判断で、専務に事実を伝えるだけです」

「待て、それは……どう転ぶか分からん。会社としてもリスクが大きい」

「そうですね。でも、もしこの件がうやむやにされた場合──私は予定通り、然るべき機関への相談を進めます」

──さあ、ここからが腕の見せどころよ。

あなたのその〝中間管理職〟としての手腕、見せていただきましょうか。課長。