「第二会議室でいいか？」

「はい」

通されたのは、いつもの簡易ブースではなく、個室の会議室だった。逃げ道のない空間に、緊張と不安が混じる。それでも、ここなら周囲を気にせず話ができる。むしろ好都合だ。

「それで……綾坂さん、話というのは？」

──ほら、また目線が胸元に落ちた。こっちは気づいてるっての、セクハラ部長め。

もう、かつての尊敬の念など微塵も残っていない。ララ様にした仕打ちは決して許されるものではない。でも、ここは職場。冷静に、手順通りに。

「……私、誰かに似ていると思いませんか？」

「え？いや、マスク姿の印象が強かったけど……こうして見ると、綺麗な方だったんだね」

「お褒めいただきありがとうございます。入社以来、部長にはお世話になり、本当に感謝しています」

「そうか、それは嬉しいな」

「では、本題に移らせていただきます。先ほど、誰かに似ていませんかと伺いましたが──正解は」

彼の表情に、わずかな緊張が走る。

「え……芸能人とか？」

「いえ、三年前、購買部で一緒に働いていた〝伊集院ララ〟様です」

「……な、なに……？」

明らかに動揺している。彼の顔色が、みるみるうちに青ざめていく。

「……ララ様のこと、ご存知ですよね？当時、風俗の仕事を掛け持ちされていた彼女のことを」

「いや……そ、それは……！」

椅子をきしませて立ち上がる部長。その動きは逃げ腰そのもの。

「業務に戻らないといけないんだ。会議が──」

「お待ちください」

私はしっかりと彼の視線を捉える。

「私は、部長のことを心から尊敬していました。いつも優しくしてくださって……孤独だった自分には、とても救いでした」

「……君は……何が言いたい？」

「だからこそ、これ以上、幻滅させないでください」

一拍置いて、ゆっくりと言い放つ。

「ララ様へのセクハラ音声データ──警察と人事に提出済みです。もう、逃げられません。どうか、自首してください」

会議室の空気が凍りつく。

まるで時が止まったような沈黙──だが、次の瞬間、その張り詰めた空気を破ったのは、部長の妙に乾いた笑い声だった。

「……は、ははは。何を言い出すかと思えば……私はセクハラをした覚えもなければ、伊集院さんとは何の関係もないよ」

──そう来ましたか。しらを切るつもりですね。ならば、こちらも次の手を。

私は黙ってスマホを取り出し、ボイスレコーダーの再生スイッチを押した。

──《ちょっと、触らないでくださいっ、門前課長！》

──《いいじゃないか。どうせ店では……》

再生される音声に、彼の表情が強張った。だが、動揺を隠すように、なおも強気を装って言い放つ。

「……ふんっ。私には、まったく身に覚えがないな。別人の声じゃないのか？綾坂さん、あまりふざけるのはやめてくれ。私はこれで失礼させてもらうよ」

門前は椅子を乱暴に引き、足早に会議室のドアへ向かおうとする。

──逃がさないわっ。

「待ってください！」

私は声を張り上げた。

「あなたはララ様に交際を断られ、ストーカーのように執拗に追い回した！その挙句、音声データの存在を知って逆上し、果物ナイフで彼女の背中を何度も刺した！──全部、事実でしょう？」

足を止めた彼の背中が、ぴくりと震える。そしてゆっくりと振り向いた彼の目には、怒りと、何よりも〝動揺〟が浮かんでいた。

──なぜそれを知っている？

目がそう語っていた。

「信じてもらえないかもしれません。でも──私には、ララ様の魂が宿っているの。だから分かるのよ。あなたが犯人だって！」

……しまった。つい言ってしまった。普通なら、ただの電波女かオカルトマニア扱いだ。でも、もう後戻りできない。

「……綾坂さん、君は……？」

門前が低い声を漏らしながら、ジャケットの内ポケットに手を差し込む。

──何かを取り出そうとしている。

『花、危ないよ！逃げて！』

ララ様の声が、頭の中に響いた。

『いいえ、逃げません──！』

……なんて言ってみたけれど、内心は怖くてたまらない！

ポケットから出てくるのがナイフだったら、私は──私の命も──！