5. 可愛いねって言いたい
夜ご飯の温かい食卓を囲み、他愛もない会話を交わした後、真凛はいつものように自分の部屋へと戻った。リビングにはボクと莉桜姉さんだけが残され、静かな時間が流れる。
ボクは意を決して、週末に葵ちゃんとデート……いや、あくまで友達として遊ぶ約束があることを莉桜姉さんに相談してみることにした。
「ねぇ、莉桜姉さん……」
勇気を振り絞って声をかけると、莉桜姉さんは、読んでいた雑誌から顔を上げ、優しい眼差しをボクに向けた。
「ん?どうしたの?何かあった?」
「じっ……実はさ……その……今度の週末なんだけど……あの……女の子と、遊ぶことになって……」
「え?あら~、いいじゃない。もしかして……それは、デートかしら?」
「えっ!?いや違うよ!?ただ遊ぶだけで……」
莉桜姉さんは、面白がるようにニヤニヤしながらボクを見る。ボクは、慌てて両手を振って否定すると、莉桜姉さんは、その茶化すような表情を緩め、温かい眼差しをボクに向けた。
「冗談よ。それにしても……引っ込み思案の勇輝が女の子とデートだなんて……お姉ちゃんなんだか感動しちゃうわ。成長したのね?」
「だから、違うってば!デートじゃないって!」
「ふふ。それで、お姉ちゃんに、何の相談かしら?」
「えっと……ボク……その……どうしたらいいかなって……女の子と、遊んだことなんて、ほとんどないし……」
不安げに呟くと、莉桜姉さんは少し考えて、穏やかな声でアドバイスをくれた。
「そうね~。ありのままの勇輝で接すればいいんじゃないかしら?外見は変えても、中身まで無理に変える必要はないと思うわ。その子は、今の勇輝のことしか知らないんだし。変に格好つけたりせずに、いつもの勇輝を見せれば、きっと大丈夫だと思うわよ?」
「そっ……そうかなぁ?」
「ええ。でも、せっかく女の子と遊ぶんだから、レディーファーストの精神で、ちゃんとエスコートしてあげるのよ?」
エスコートか……男の子としてだって、そんな経験ないのに、ましてや女の子として、女の子をエスコートするなんて、一体どうすればいいんだろう?そもそも、女の子と二人で、何をすれば喜んでくれるのか、全く見当もつかない……
でも、ボクがいつも見ているアニメや漫画の中では、主人公の男の子が、スマートに女の子をリードして、楽しそうなデートをしている。今から……脳内で、徹底的にシミュレーションすれば、きっと、なんとかなるはずだ!
そして、あっという間に約束の週末がやってきた……ボクは葵ちゃんと待ち合わせをした駅前のシンボルになっている大きな時計台の近くのベンチで、そわそわしながら彼女を待っていた。
時刻は午前10時30分。待ち合わせの時間は午前11時。まだ30分もある……緊張してきた……心臓が、ドキドキと早鐘のように鳴っている。
でも大丈夫。漫画やアニメらラノベを見返して頭の中で、何度もデートのシミュレーションを繰り返した。まずは、待ち合わせ場所に現れた葵ちゃんを見て、笑顔で「葵ちゃん、可愛いね」と褒める。これさえ言えれば、きっとスムーズに事が運ぶはず……
そんなことを、あれこれと考えながら、喉が渇いたので近くのコンビニで買ったペットボトルのジュースを少しずつ飲んだり、落ち着かない気持ちを紛らわせるように、SNSのタイムラインを何度も確認したりしながら、時間を持て余すこと30分。
すると遠くから、待ち合わせの時間ぴったりに、葵ちゃんの姿が見えた。白いふんわりとしたブラウスに、淡いピンク色のフレアスカートを合わせた装いは、とても清楚で、まるで春の妖精のようでボクは思わず息を呑んだ。
葵ちゃんは少し離れた場所から、ボクを見つけるとパッと笑顔になって小さく手を振ってくれた。ボクは、緊張で強張った顔のまま、ぎこちなく手を振り返した。
「ごめんね、雪姫ちゃん。待った?」
「あっ、ううん。わ……私も、今、来たところだから」
「……ふふ。嘘。飲み物、結構汗かいちゃってるよ?」
「え?あ……。……その……実は、30分前くらいに、着いちゃって……」
「早いね~、雪姫ちゃん……そんなに、私とのデートが楽しみだったのかな?」
葵ちゃんはからかうように、でもどこか嬉しそうに笑う。ボクの顔が、みるみる熱くなるのを感じる。図星を突かれて何も言い返せない。
「ねぇ、雪姫ちゃん。今日の私の服、どうかな?この前話した、雪姫ちゃんと同じブランドのやつなんだけど?」
そう言って、葵ちゃんは、その場でくるりと一回転してみせた。ふわりと揺れたスカートの裾が、陽の光を浴びてキラキラと輝き、ボクは思わず見惚れてしまう。
すごく似合ってるし、本当に可愛い……言わなきゃ……頭の中で何度も繰り返したセリフを……『葵ちゃん、可愛いね』って。すると葵ちゃんは、少し低い位置から上目遣いでじっとボクの顔を見つめてきた。
「あっ……あの……えっと……」
「ブランド……お揃っち、だね?」
葵ちゃんが少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに微笑む。
「あ。うっ……うん!すごく似合ってる!本当に、可愛い!」
「ありがと。この服、すごく気に入ってるんだよね。雪姫ちゃんも今日の服すごく可愛いよ?それじゃ、行こうか」
……服?あれ?なんだか、シミュレーションしていた流れと、微妙に違う気がするけど、まぁ、葵ちゃんが喜んでくれたから、いいか。ボクは、ホッと胸を撫で下ろすと、葵ちゃんも嬉しそうに微笑んでいる。こうして、ボクと葵ちゃんの初めてのデートがぎこちなく始まった。